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物語同士のつながりが好き

~だから私は推しました第3回~依存と共存の狭間を漂いながら

<あらすじ>
オタクライフが充実してきた愛は仕事にもメリハリがつき、パフォーマンスも向上。
その上、アレンジした口上で接待役としても評価されます。
しかし一方では自分がオタクであることを認められず他の人に言うことができません。
小豆沢からも「自身がないんだろ?みんなが「いいね」と思ったものしか推せない。」
と図星をさされてしまいます。
さて、そんな寛恕は果たして自分の「好き」とどう向き合っていくのでしょうか?


<共に作り上げていく>
ハナちゃんがショーケースという配信サイトで活動を始めました。
ここで上手く人が集まらず、その事を愛と話し合います。
さらっと描かれていますがこのアイドル自ら自分の魅力を発信していく事は
昔では考えられません。ネットの発達と共にできた新たなプラットフォームです。
こういう場で抜きんでるには徹底した自分と世界への分析力、そしてセルフプロデュースが必要となります。
もちろんナチュラルにそれをやってしまえる人ももちろんいますが、基本的には創意工夫が必要な厳しい場所です。
自由にしていいからこその難しさもあり、ハナちゃんもそこに悩んでいました。
真衣が今のアイドルは誰でもなれると言いました。確かにそういう面もあるでしょう。
ですがアイドルになり続けること、そこで上り詰めていく事は簡単ではありません。

 


アイドルがこのように自発的に自身の魅力を発信する事に私は賛成していますが、運営側の怠慢につながる事にもなります。
なぜなら運営がアイドルの魅力だよりをすることで、マネージメントをおざなりにしてしまう傾向があるからです。
運営がある程度は管理しつつもアイドル達の自主性を尊重しながらやっていければいいとは思いますが。

 

 

で、本来ならアイドルと運営がどういう方向で売り出していくか?

と決める所をここでは、アイドルであるハナとファンである愛がチェキ会を通してやっています。
愛がある意味ではプロデューサーのような役割を果たしているんですよね。
こういう面も良し悪しがあって、彼女達の場合はいい方向にたまたま進んでいるように見えますが
瓜田のような厄介を引き寄せる遠因ともなりえます。
まぁ、ここでその話はいったんさておき
ハナちゃんと愛は二人で話し合いによりショウケースでファンを増やす事に成功しました。
このように「共に作り上げる・やり遂げる」という特徴は、アイドルのコール&レスポンスにも表れており、
愛は仕事先でもそれが生かされることになったんですよね。
「場」を盛り上げていく、作り上げていくという事に本当にアイドルオタクは長けていると思います。

<栗本ハナというアイドル>
1話、2話でもまだ掴めなかったハナちゃんですが、なんとなくですが輪郭が掴めてきました。
(あくまで現時点での個人的な予測です)

ハナちゃんは基本的には自信のない子。

「貴重な時間を割いて私なんかのクソつまらない部屋にいらしてくれるんだから(略)」

「私 また間違って…」

 

上記のセリフからもそのような傾向が見られます。
本人の資質もあるでしょうが瓜田の影響もあるかもしれません。
ですが同時に素直さがあります。人の言ったことを受け止め改善しようとします。
愛の助言を聞いてすぐに実行できるとこなんかが。

彼女の素直さを考えるとちゃんとしたボイトレやダンスレッスン、ケアマネジメントを受けたら、相当伸びしろがあるんじゃないかなーと私は感じてしまします。

<真衣の叫び>
今回、悪役としての役割を果たした真衣さん。
彼女の「共依存」という言葉が強烈でしたね。
彼女が菜摘と食事をしている時にサニーサイドアップの象徴である目玉焼きにばっさり箸を入れる真衣。
そして店の壁には花(ハナ)を噛み切る少女の歪んだ横顔とあふれ出した水瓶をもつ女性の二つの絵。
どちらも彼女の心理状態あらわしたものでしょうか。
言ったことはいったん置くとしても、言い方はかなり攻撃的でまさにどろっとした感情があふれだしたかのようでした。
真衣のような頭がいい女性なら、言い方に心配してる風を装って毒を含ませる事もできたはずでしょう。
それをしなかった、もしくはできなかったのは愛の今の在り方が彼女の心の深い所をどこか傷つけたからかもしれません。
怒りはその人の本質に近いところにあるので。
そもそも愛がハナに放った暴言がそのまま真衣を通して彼女に帰ってきた形になっているんですよね。
全部私の予想の範囲なんですけど。


<「好き」は最強>
とうとう愛は友達に自分が好きなものを公言しました。
いい形ではなかったとはいえ、はっきりと。
なにかを「好き」という事は時として勇気がいります。
もしその「好き」が否定されたら?嫌われたら?
その「好き」が自分を成している核の部分に近ければ近いほど、
心が裸となってさらけ出されてしまう。
だけどそれが出来る人はさらけ出したが故に強い。
他の誰でもない自分の評価軸で発したものならば、心の居場所はちゃんと自分にある。
自分の「好き」が自分の居場所になる。

その「好き」が共依存なのかどうか?それはこれから見守って行きたいと思います。