昔話法廷 ~「桃太郎」裁判~差別の構造の中で
有名な昔話である「桃太郎」。
その主人公である桃太郎が被告人として裁かれようとしています。
本来ならヒーローである桃太郎の新解釈が、裁判を通して描かれていました。
<鬼とは、人とは、何者なのか?>
まず、見ていて感じたのは鬼がこの社会におけるどういう立場にいる人達なんだろうか?
という事です。
彼らはどうも鬼ヶ島で隔離政策のようなものを受けています。
しかもその島は土地が痩せこけていて開発するものが難しく作物が取れない様子。
殺された鬼ノ助が鬼芋を開発してなんとかやっていこうとするところから見て
なんらかの支援があるようにも感じられません。
かといって鬼は人の村にやってこれるので、がっちがちな隔離ではなさそうな雰囲気です。
ちょっとこの辺の隔離が今はもう形骸化されたものなのかなんなのかはっきりしないところ。
しかしなんにせよ彼らが被差別層であることは明らかだと思います。
この鬼ヶ島から抜け出してに生きていく事が困難であり社会的立場で上を目指すことなんで夢のまた夢という状況が考えられます。
だいぶ私の妄想なんですがこの隔離政策の発案の少なくとも最初の理由としてはおそらく
「鬼ヶ島に鬼たちを住まわせることが彼らを守る事になるし人間達も守られる。両者にとって良い事なんだ。」という建前でやってそうだと感じました。
というのも弁護人の
「あなた方はいつもそうだ。」
という言い方からすると犯罪が頻繁に行われてることが考えられ、その犯罪抑止力としても隔離政策ではないか?と思われるからです。
もちろんその政策には穴があって、そもそも犯罪が起きる遠因は隔離によるものであり彼らに対する差別意識からきているものだと思われます。
国が差別を助長してどうするのよ…という感じであり、国民もまたその差別の無意識の沼に浸かっている空気が漂っている感があります。
ここまで書いといてなんですけど自分でもこの辺の理論がまとまってないです(汗)
そして人間サイドの鬼を見る眼差しは果たしてどうなっているのか?
桃太郎のおばぁさんを見てみましょう。
「鬼に怯えるこの国の人たちのために命を賭して戦おうって言ってるんですよ。」
襲撃予告を出したのが人間だったら桃太郎は退治したと思うか?
という問いに
「ほかの方法を考えたんじゃないの?」
「(鬼は)ほんと気味が悪い。」
「こいつらが鬼ヶ島で暮らしていたら桃太郎もこんな事をせずに済んだのに。」
びっくりするくらいナチュラルに差別意識をもってるおばぁさんです。
一番びっくりするのが「この国の人達のために」というセリフ。
国民の中に鬼が入ってないことが前提になっているんですよね。
そこに疑問すら持たない。
「今時ずいぶんな偏見。」と検察側から指摘されるほどに偏った見方をしているおばぁさんですがめちゃくちゃ過激派というわけではきっとないんですよね。
多分どこにでもいる。
自分にもそういう一面は必ずある。
それをつきつけられているようでした。
そして、描写がすくなくて判断つきにくいのですがおばぁさんの偏見がどこからきているものなのか?
という疑問というか想像の余地が残ります。
鬼と人間との軋轢を見てきたゆえの経験なのか?教育によるものなのか?
時代に影響を受けた物なのか?時代の影響を受けたとしたら果たしてどんな時代だったのか?
この辺は折に触れて考えていきたいと思います。
<桃太郎について>
桃太郎
「普通、桃から生れた子供なんて気味が悪いと思うんですよ。」
桃太郎は自分を育ててくれたおじいさんとおばぁさんに恩義を感じています。
愛情をもって彼を育てた事でしょう。
ですが鬼への偏見がそのまま我が子である桃太郎へ向かうと考えが及びついてなかった。
「気味が悪い。」
この言葉が完全に桃太郎へと跳ね返ってます。
桃から生れた「普通」ではない自分と鬼達になんの差異があるのか?
そう考えてもおかしくないからです。
その考えはsnsの中傷から始まり村への直接的な差別にはじまり、ますますどろどろした感情の沼にハマっていったことでしょう。
ただ、自分の感じる痛みを凶器に変えて鬼に向けてしまった事がいけなかった。
だけどその凶器を形作ったのは、おばぁさんも含めた社会全体の差別意識の構造そのものであり、それ自体にも責任はあります。
だから私はこの裁判に判決を下すのは難しい。
桃太郎自体はなんであれ罪を償う形になりますが、社会自体に裁きが下るわけではないので。
<余談>
検察官の桜井真美さんは死刑を求刑をしますが、犯人の動機をくみ取ったりしてだいぶ陪審員の心を同情側に引き寄せている感じがするんですよね。
彼女の正義がかなり気になる所です。