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井伊直虎と三澄ミコトの二人のヒーロー性についてのショートメモ~おんな城主直虎・アンナチュラル~

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おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

連続で視聴したからなのか、この二人の共通性があるような気がしてちょっとここに書いておきたいと思います。(いまさらながら!)
といっても記憶があいあまいなとこがあったり、考えがまとまってなく、非常にふわふわしたものとなりますので暖かな目で読んでください。
まぁ、短いし記憶の確かな直虎の分量が自然と多くなっちゃいますが。

 

 

<半径三メートル以内のヒーロー>
ミコトは家族の心中によって、直虎は戦争により自分が「生き残った」という体験をしているんですよね。
そしてその事が彼女達のヒーロー性の根本にあり、歩む道の方向性決定づけている。

 

けどヒーローといっても彼女達は私にとってあまり遠い存在に感じられないんですよ。
普段はヒーローって個人的には手の届かない選ばれた存在で、いつもは星を見るような気持になるんですが。
(ある意味それは「自分とは関係のない話」であるという突き放した見方でもあります。)
身近に感じる理由の一つに、彼女達の動機や目的が「世界を救いたい」とかいうめちゃくちゃ大きい動機があるわけではなく、
自分の目の届く範囲の人達に向けられている身近なヒーロー性に基づいているというのもあるとは思います。

 

 

直虎は「国を守る」という大きな課題がありましたが、彼女の仕事ぶりを振りかえってみるとものすごく小さなことをこつこつこつやってきました。
政令では農民達との対立をなんとかしたり、綿花栽培に着手したのはいいものの、人手が足りずにどうしようか?
人買いでもする?なんて話もありました。
エピソードとしてはとても地味です。
「どうすれば戦を終わらせることが出来る?」という俯瞰的な見方は後半の方にやっとでてきました。
しかしそこにたどり着くには、あくまで今まで積み重ねてきた地味なエピソードの上にあるんですよね。
直虎は別に百年先を見通せるような天才な戦略家でも政治家でもありません。
だけど命を奪い合わなければ生きてけない暗闇の中にいるような世の中で、正解の道がわからずとも己の中にある明かりを頼りに前に進んでいく。
話のなかにも出てきた「自灯明」といううやつです。

 

 

そんな暗闇を歩くような所はミコトにも当てはまります。
検死という仕事を通して死者と向き合っていくという事を、これまでも彼女はやり続け、これからも続けていく。
死という深淵を見続けるような作業を地道に、そして真摯に取り組んでいます。
彼女も直虎と同じように心に「自灯明」を抱えながら進んでいきますが、けして一人ではありません。
己の足元を照らしていた光は、同じように共に歩く人達を照らして、前に進む動力になっています。
その光はミコトだけではなく家族や中堂達UDIラボのメンバーの一人一人が集まったものです。
基本的には自分の足元をだけを照らしていたものが、気が付くとお互いの足元を照らし合って、思わぬ景色にたどり着ける。
直虎も同じように政次達がいましたね。


ミコトや直虎のその在り方は決して遠いものではないと思います。
才能のあるなしに関係なく、暗闇を一緒に並走する感覚がありました。
けして星を見上げるようなものではなく。

そんな二人のヒーローに続けて出会えて良かったです。

<余談①>
といっても星を見上げるようなヒーローは好きなんですよね。

<余談②>
アンナチュラルはシーズン2が望まれていると思いますが、もし続くのであれば
彼女達の世界の「警察」「病院」とか色んな職場が舞台のドラマになっても良いなと思います。スピンオフ的なやつで。
アメドラの「シカゴ・シリーズ」のように。
たまにクロスオーバーしたりしてね。

 

 

 

 

 

 <余談③>
あとは直虎とミコトの共通点としては、なんというか健康的?というか地に足のついたヒーロー感あるんですよね。
この感覚は自分でもいまだによくわかんないんですけど。
直虎は「狂うてもおらねば己の手を汚す事が愉快なものなどいない」と、リーダーの厳しさを言ってましたが狂ってはいませんでしたし
ミコトは絶対にそういうあっち側におちてたまるかと踏ん張って生きてきた人という印象を受けるというか。
これなんなんでしょうね(もう、煮詰まってきたので他人まかせ)