シェヘラザードの本棚

物語同士のつながりが好き

第十回 天国と地獄~サイコな二人~空に溶けた声を集めて聴き合う

天国と地獄 〜サイコな2人〜 Blu-ray BOX

体調がちょっと崩れてたので二回で感想が止まってました。

消化しきれてない感想になってしまいますが最終回はやっぱり書いとこうと思います。

 

 

さて、すべての罪を被ろうとする日高と助けたい望月。

陸や警察内部を混乱させながらも果たしてこの二人の行きつく先とは?

 

日高陽斗という人>

日高は家族や仕事仲間を見ればわかるけどすごく慕われていて、コミュニケーションの能力が一見高いように見える人です。

そのうえ企業もしていて能力自体も凄く高い。

にもかかわらず一番救いたかった兄である朔夜の地獄を知りつつも朔夜の罪の告発者にも完璧な共犯者にもなりきれなかった悔恨を抱えていました。(アシストはしましたが)

 

朔夜の痛みを「もう一人の自分」のようにとらえており、自分の無力さを感じていたと思います。

兄の人生を奪ったのは自分なのだから仕方ないと思い込んで。

おそらく、人生で初めての挫折といえる出来事ではなかったのではないでしょうか。

 

罪の沼につかったまま、どうしようもなく兄の犯罪につき合っている中で起きたのが望月との入れ替わりでした。

 

自分達兄弟の罪を許さず罰してくれる存在。

日高は心のどこかでそれを待ち望んでいたように見えます。

裁いてくれる「神様」みたいな望月を彼を身を挺いて守り抜こうとします。

望月を助けたいという思いもあるし、自己犠牲的な良心を持つ彼らしい在り様の一部ですがそれだけじゃなくて、「死」という罰を受けたかったようにも私は見えます。

兄が死に、自分が生き残った罪悪感。

思い込みだけど兄の人生を奪っておきながら兄よりも軽い罰ですんでしまう自分への嫌悪感。

「もう一人の自分」を失う事にどうしようもない痛みを感じていたのではないでしょうか。

 

だけど彼にとっての「もう一人の自分」はもう一人います。

「あなたはわたし。わたしはあなた。」である彩子です。

自分の中にもありながらも、自分には出来なかった正義の在り方を体現した人。

だからこそ彼女を守るとこが自分を守るというセリフが出てくるのでしょう。

 

望月彩は許さない>

一方で日高の守り抜きたい望月はどんな人なのか。

彼女は日高と違い周りと軋轢を生みやすく厄介者として職場では扱われています。

だけどそれは空気を読まず自分の信念を貫く事ができる事の表れでもあります。

そして彼女は一線に踏みとどまれる強さを持った人間です。

 

しかしその、人としてのある「べき」線を守ってきた彩子は人格者だったでしょうか?

悩みはなかったでしょうか?絶対的な善良性を持った人間だったでしょうか?

違います。

彼女には認められたいという承認欲求や野心を人並みに持ち、自己保身もある。

そんなエゴや揺らぎの中でなんとか正義を通さんともがく「普通」の人でもあるのです。

望月のいう「べき」というのは世の中や現状の自分がそういう状態ではないからこそ発せられる言葉です。

だから彼女は「理想」を「べき」で語る。

 

そんな彼女が入れ替わることで他者が見る世界を体験していきました。

日高陽斗は自分よりも社会的には上手くやっていけてる人間。

そんな正反対に見える人の中に自分と同じように正義感があり、それを通せない苦しさを見つけてしまいます。

彼女にとっても日高は「あなたはわたし。わたしはあなた。」でもあるのです。

 

自分自身を大切に思うなら他者の中に自分と同質のものを見つけた時、その他者は自分自身と同等の大切さを持ちえます。

そんな「もう一人の自分」が望月自身の正義の在り方を理解せずして守ろうとし、死地に向かわんとする。

それを望月はどうしたって肯定できないし許すことは出来ません。

濡れ衣という理不尽さを見過ごさない望月の正義は日高の罪を被る在り方と対立します。

 

日高が望月を守りたいなら、その人の在り方を全力で助けるべきなのです。

だから望月は本当の事を言え!と日高に迫ったわけですね。

 

<声が聞こえなくともそこにある>

河原 

 立場の弱い人間がいかに容易く奪われ続けるか。

 そして立場の強い人間も最後はこういう風に

 自らが奪われる事にもなる。

 そんな事が言いたかったんじゃないのか?

 やってる事は人殺しだ。

 汚ねぇしゃがれた聞くにたえない声だ。

 でも、それでも…声は声だ。

 お前にその声を奪う正義はあるのか!?

 たかが女一人のために。

 朔夜は許されないことをしました。そこに怒りはありますが同時にいかに立場の弱い人間の声が届きにくい現状があるということを考えてしまいます。

もし声をあげたとしてもそれを聞き取る社会システムが現在、構築できているのでしょうか?

例え自分を気にかけてくれる個人がいないとしても、社会が自分の事をちゃんと気にかけてくれていると思えれば、それだけで生きていける事があるのではないでしょうか?

声がたとえ小さかったり、声に出さないとしてもそこには痛みがあります。

なかったことにはなりません。

そんな声をどうか聞き逃さないように、何度も考え続けていかなければいけない終わらない宿題を背負っているように感じました。

 

<余談>

陸はどうなったんでしょうね?スピンオフで欲しいところです。