シェヘラザードの本棚

物語同士のつながりが好き

~だから私は推しました第4回~この小さな太陽が消えないためなら私は…

<あらすじ>
サニサイがなんとアイサマことアイドルサマーフェスティバルにエントリする事になりました。
同時に新曲リリースも決定。
が、ただでは出れません。彼女達が参加するためには投票権を買い押し上げる事が必須。
そのやり方に疑問視する愛。
そんな中で倒れてしまうハナに対して愛が取った行動とは?


いやー、感想書くのホントきついですね。やってくれたな!森下佳子脚本って感じでした。
人間の「業」を書く脚本家だと思っているんですけど今回はそんな「業」が全面的に出てたなと思いました。


<それはまるで花火みたいな>
サニサイは人気・知名度がまったくないグループ。
フェス主催者側からすればそんな集客力がないグループを呼ぶからには
なにかしらの見返り、つまり投票権を使っての金が欲しいといったところでしょうか。
1位という称号はそれだけ隠れた人気があるという一応の看板にもなるわけですし。
で、これが一人一票制なら問題はない。
だけど何枚も買い占める事ができるのなら、それは果たして本当に人気投票といえるのか?
フェアだといえるのか?
という疑問が残ります。

 

愛さんもそこを指摘していました。
他のオタ仲間達もそこはおかしいとちゃんとわかってはいるんです。
彼らも、もやもやをかんじながらもそういうやり方で頂点を目指さざるを得ない現実を
飲み込みながらこのイベントに参加してます。
なぜならこの大きな舞台に立つことができたら、もっと多くの人の目にふれる事になり、彼女達の魅力に気付いてくれる人が出てくる確率が現状より跳ねあがるからです。
もしかしたら業界関係者の目に留まる可能性もあるかもしれない。

 

 

彼らのその飲み込めない物を飲み込まざるを得ない状況ってのは、ほんとつらい。
サニサイは確か結成2年目のアイドル。
短いようで長い期間。
運営やアイドル業界にしんどさを感じていても、サニサイ達を好きになりすぎるには十分な期間。
一寸先は闇な状況で、アイドル達は花火みたいにいつ消えていくか分からない。
彼女達のアイドル人生を延命させるためならと、身の丈以上に無理をする人々がいて…。
それが今回、愛という主人公に集約されていました。

<しんどさを見てしまい>
その愛さんなんですけど副業でアダルトサイトでチャットレディ?をやってお金を稼ぎだしたり、お金をハナちゃんに手渡ししていました。

「運営に渡さず直接「推し」にお金が渡るATMになりたい。」

な声をたまに聞くんですけどまじでリアルにそれを愛はやってしまいました。

 

なんでそんなことをやるかといえばハナちゃんが倒れた事がきっかけです。
瓜田という太客も消えてハナのキックバックも減ったので、無理にバイトを詰め込まなきゃやっていけない。
アイドルどころか彼女の生活の基盤すら危うい。

 

あくまで予想なんですけどもしかしたら愛は瓜田を追い出した事で生活が危ういハナちゃんに罪悪感を覚えてる部分もありえます。
自分が提案したことがきっかけで、彼女が追い詰めれているかもしれいと。

なにより愛はハナちゃんが「大切にされている環境」を望んでいました。
それが脅かされることを愛はけして許す事ができません。

なぜこのように身を削るような方法を彼女がとったかといえば、ハナちゃん自身の身を削るさまを見てしまったからだと思います。
愛さんはハナちゃんをもう一人の自分とみなしており、彼女達の心理的境界線はあいまい。
ハナちゃんがそうまでしてやるならば、自分だってやる。
その離れがたい呪いのような祝福のようなそれを愛と呼ぶのか共依存と呼ぶのか、私にはわかりませんが。

<ハナちゃんから愛へ>
最後にハナちゃんがプレゼントしたオタTに書いてあった言葉を書き出しときます。
自分的メモとして。
読めないとこもあったので、間違ってるとこやあいまいなとこがあります

 

愛さんへ
突然こんなTシャツを渡してしまい
ごめんなさい。愛さんと一緒にいる
時間は私には幸せすぎて・・。
ちなみに愛さん私のそんな気持ちに気づいてくれてましたか?
気づくわけないですよね(汗の絵文字)
でもでも愛さんが「ハナー!!」と
コールをくれるのをステージから
見ててちょっとはしゃいでしまったり
ほんとバカみたいですよね!!
でも、それくらい今は愛さんが心の支えになっています。
この文章を読んでくれたら分かると思うんですけど、
愛さんの事が大好きです。こんな私でよければ
今後とも宜しくお願いします

ハナ

 

ハナちゃんは枕元に愛と撮ったチェキと、おそらく彼女からの手紙を飾ってます。
ハナちゃんからみた愛とはどういう存在なのか、今後えがかれていくのでしょうか?

~だから私は推しました第3回~依存と共存の狭間を漂いながら

<あらすじ>
オタクライフが充実してきた愛は仕事にもメリハリがつき、パフォーマンスも向上。
その上、アレンジした口上で接待役としても評価されます。
しかし一方では自分がオタクであることを認められず他の人に言うことができません。
小豆沢からも「自身がないんだろ?みんなが「いいね」と思ったものしか推せない。」
と図星をさされてしまいます。
さて、そんな寛恕は果たして自分の「好き」とどう向き合っていくのでしょうか?


<共に作り上げていく>
ハナちゃんがショーケースという配信サイトで活動を始めました。
ここで上手く人が集まらず、その事を愛と話し合います。
さらっと描かれていますがこのアイドル自ら自分の魅力を発信していく事は
昔では考えられません。ネットの発達と共にできた新たなプラットフォームです。
こういう場で抜きんでるには徹底した自分と世界への分析力、そしてセルフプロデュースが必要となります。
もちろんナチュラルにそれをやってしまえる人ももちろんいますが、基本的には創意工夫が必要な厳しい場所です。
自由にしていいからこその難しさもあり、ハナちゃんもそこに悩んでいました。
真衣が今のアイドルは誰でもなれると言いました。確かにそういう面もあるでしょう。
ですがアイドルになり続けること、そこで上り詰めていく事は簡単ではありません。

 


アイドルがこのように自発的に自身の魅力を発信する事に私は賛成していますが、運営側の怠慢につながる事にもなります。
なぜなら運営がアイドルの魅力だよりをすることで、マネージメントをおざなりにしてしまう傾向があるからです。
運営がある程度は管理しつつもアイドル達の自主性を尊重しながらやっていければいいとは思いますが。

 

 

で、本来ならアイドルと運営がどういう方向で売り出していくか?

と決める所をここでは、アイドルであるハナとファンである愛がチェキ会を通してやっています。
愛がある意味ではプロデューサーのような役割を果たしているんですよね。
こういう面も良し悪しがあって、彼女達の場合はいい方向にたまたま進んでいるように見えますが
瓜田のような厄介を引き寄せる遠因ともなりえます。
まぁ、ここでその話はいったんさておき
ハナちゃんと愛は二人で話し合いによりショウケースでファンを増やす事に成功しました。
このように「共に作り上げる・やり遂げる」という特徴は、アイドルのコール&レスポンスにも表れており、
愛は仕事先でもそれが生かされることになったんですよね。
「場」を盛り上げていく、作り上げていくという事に本当にアイドルオタクは長けていると思います。

<栗本ハナというアイドル>
1話、2話でもまだ掴めなかったハナちゃんですが、なんとなくですが輪郭が掴めてきました。
(あくまで現時点での個人的な予測です)

ハナちゃんは基本的には自信のない子。

「貴重な時間を割いて私なんかのクソつまらない部屋にいらしてくれるんだから(略)」

「私 また間違って…」

 

上記のセリフからもそのような傾向が見られます。
本人の資質もあるでしょうが瓜田の影響もあるかもしれません。
ですが同時に素直さがあります。人の言ったことを受け止め改善しようとします。
愛の助言を聞いてすぐに実行できるとこなんかが。

彼女の素直さを考えるとちゃんとしたボイトレやダンスレッスン、ケアマネジメントを受けたら、相当伸びしろがあるんじゃないかなーと私は感じてしまします。

<真衣の叫び>
今回、悪役としての役割を果たした真衣さん。
彼女の「共依存」という言葉が強烈でしたね。
彼女が菜摘と食事をしている時にサニーサイドアップの象徴である目玉焼きにばっさり箸を入れる真衣。
そして店の壁には花(ハナ)を噛み切る少女の歪んだ横顔とあふれ出した水瓶をもつ女性の二つの絵。
どちらも彼女の心理状態あらわしたものでしょうか。
言ったことはいったん置くとしても、言い方はかなり攻撃的でまさにどろっとした感情があふれだしたかのようでした。
真衣のような頭がいい女性なら、言い方に心配してる風を装って毒を含ませる事もできたはずでしょう。
それをしなかった、もしくはできなかったのは愛の今の在り方が彼女の心の深い所をどこか傷つけたからかもしれません。
怒りはその人の本質に近いところにあるので。
そもそも愛がハナに放った暴言がそのまま真衣を通して彼女に帰ってきた形になっているんですよね。
全部私の予想の範囲なんですけど。


<「好き」は最強>
とうとう愛は友達に自分が好きなものを公言しました。
いい形ではなかったとはいえ、はっきりと。
なにかを「好き」という事は時として勇気がいります。
もしその「好き」が否定されたら?嫌われたら?
その「好き」が自分を成している核の部分に近ければ近いほど、
心が裸となってさらけ出されてしまう。
だけどそれが出来る人はさらけ出したが故に強い。
他の誰でもない自分の評価軸で発したものならば、心の居場所はちゃんと自分にある。
自分の「好き」が自分の居場所になる。

その「好き」が共依存なのかどうか?それはこれから見守って行きたいと思います。

 

 

~だから私は推しました第2回~この人には自分がいなきゃだめだという甘美な毒となりえて

<あらすじ>
前回の握手会より愛は少しずつ応援の仕方(コール&レスポンス)を覚え始め、
サニサイのオタク仲間達とも交流を深めていきます。
そんな日々の中、愛は偶然にもハナには瓜田というストーカー気質のオタクがついてる事を知る事に。
果たして愛はそれにどう立ち向かっていくのでしょうか?

 

 


<まだ沼ってない(沼に沈みながら)>
ハナ推しになった愛ですがドルオタピカピカ一年生。
なにをどうすればいいのかよくわからない様子。
それを見かねた年長の椎葉と小豆沢がアドバイスをくれます。
新しい世界に踏み込んだ時ほんと椎葉さんみたいな人がいてくれると助かりますね。
そして前回、愛はスマホを落としてしまっていましたが小豆沢が拾い主だと判明します。
ここでの二人のやりとりが面白い。

小豆沢「オタクのですよね。」

愛  「オタクの方って本当に「オタク」っていうんだなぁって。」

 

 

この言い方だと、さも自分はオタクじゃないし自分はあなたたちとは違う人間なんだなと線を引いたように感じます。
なので小豆沢も
「おばはんって本当おばはんなんだなって」と言い返しました。

 

これは愛と同じ手法、つまり相手をカテゴライズ(偏見)してバカにして
かつ、それが事実だから言って何が悪いの?という反撃です。
愛の言い方は確か悪手です。

ここでわかるのは、まだまだ彼女の推しへの気持ちは不確かで曖昧であり、
まだ自分の「好き」に手ごたえを彼女が感じてないという事です。
でなきゃこういう「自分はそっち側の人間じゃないからね。」というような言い方はしません。
彼女が胸をはって確かな実感をもって「あなたが推しです!」と言うにはもう少し時間をかかりそうです。
これはアイドルとファンだけでなく、なにかしら他の関係性においても
お互いの間で絆という種を蒔き水をやり育んでいくのと同じ事なんでしょう。

 

 

<君の「いいね」を独り占め>
さて今回、強烈な印象を残したのは瓜田でした。
彼はライブ中に「ハナちゃん」と叫んだ愛を見つけて睨みつけていました。
その後のチェキ会でもハナに対して愛の事を

「一枚だけしかチェキ券買わずにべらべら喋る女。そういうのって所詮うすぺらってわからないわけ!」
と罵ります。

 

このセリフから

 

「お金をかけてハナの収入を支えている自分の方がハナにとって重要だろ?
 お金をかけてお前を支えている自分の愛は重いだろ?
 それがわからないハナは馬鹿なのかな?」

 

と言ってるように感じました。

その後、ハナを出待ちして

「瓜田さん。今日もごはんをありがとうございます。
明日も私のためにお仕事頑張って下さい。」

 

と言わせています。
他にも彼はチェキ券が共通になった事で他のファンが彼女に耐えきれないのか
自分が洗濯機をあげたんだだと大声で叫びました。

 

 

うーん。まだ瓜田の事はちゃんと理解したとは言い切れないんですけど
彼はどうも誰も推していないハナちゃんを推している自分に沼っているような気がします。
「この人には自分しかいないんだ。自分こそがこの人を支える唯一の人間なんだ」
というのはある種のしびれるような承認欲求を満たしてくれます。
しかも「自分だけが」というのがここではポイントで、そこには自分が選ばれたような、特別のような、そんな気持ちにさせられます。

相手を支えているつもりでも実は自分が本当はそれに支えられている。
これ自体はどこにでも誰にでもある感情で、第一話でも愛が取り調べ室で
「私自身が誰かに「推されたい」人間だったんです」
と言っています。
瓜田はハナから「いいね」が欲しいし「推されたい」。
その感情がコントロール不可になった時それは毒へと変化する。
そして例えそれが毒だとしても彼にとってその「いいね」はどうしても手放せない。


それが壊されたのが今回、愛の提案した共通のチェキ券でした。

瓜田の自分だけのアイドル・ハナからみんなのアイドル・ハナへと認識を変える事で。
果たしてそんな彼が今後どうなっていくのでしょうか?

 

<余談>

言われているとは思うんですけどサニサイのオタクたちの名前には全部植物の名前が入っているのはなんでなんですかね。

サニサイという太陽の名前の元で育つ植物という所でしょか???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~だから私は推しました第1回~君(私)に出会う物語

ついに始まりました!!
森下佳子さん脚本の「だから私は推しました」
期待していましたが期待以上のものをが第一話で見る事ができました。

さて、気になった点や面白かった点などをつらつら書いていこうと思います。

毎週…なるべく…。

<あらすじ>
リア充であるように見せかける事で自身の承認欲求を満たそうとするOLの愛。
週末は彼氏とデート、ジム通いをし、平日の夜には優雅な女子会に行ったりと、

一見順風満帆な彼女。
けどある日、結婚をしようかなと思っていた彼氏にフラれてしまいます。
失恋の悲しみもあるというのに、なんとそのうえスマホを落としてしまう愛。
運よく落とし主から連絡があり、呼ばれた場所がなんと地下アイドルの現場。
そこである運命的な出会いが彼女を待っていました。


<自分の「好き」より他人の「いいね」>
愛のインスタの中身は彼氏の恭介との写真ばかり。
友達や趣味の写真は私が確認した限りでは見当たりませんでした。
彼女は大手に勤めている彼と付き合う事を周りにアピールすることで、

「いいね」を貰おうとしていました。
自分の「好き」ではなく誰かに「いいね」と思われる事を第一としている愛。

価値観の基準軸にあるのが自分でなく他人。

 

「美人で仕事できても彼氏がいなければ、一番大きな「いいね」をもらえていない」

 と友人に対して心の中で思っていたところからすると、

彼氏がいる事が最も他人から認められる事だと思っている様子。

彼女はとにかく他人から承認される欲求に飢えていました。

 

しかしそんな愛に最大のしっぺ返しがやって来てしまいました。

恭介に

「俺 お前の「いいね」の道具じゃないから」

 

と言われフラれてしまいます。
恭介はもっともらしい事をを言っていますが個人的には後に続けて言った

「愛の事を奥さんだって人に紹介したくないんだよ。」

が本音だと思われます。
愛の友人によれば彼は会社のメインストリームから外されています。
おそらくただでさえ仕事で不安な状況なのに「自慢できない」女性と結婚したら
周りの同僚立から馬鹿にされると思ったのかもしれません。
彼はお前の「いいね」の道具じゃない!といいながらも
ちゃっかり自分も相手を自分を引き立ててくれる道具と見なしていたのです。
そう考えると随分酷いのですが、愛も彼を確かに「いいね」を道具にしていたのも事実。
同族嫌悪に近いものがありますね。
この「同族嫌悪」ですが後に愛が出会うアイドルのハナに向かって向けられていきます。

「一人だけダンスはできない。
 歌は下手だし実力ないのにしゃしゃり出て
 身の丈分かっていなくてマジ痛い!
 大体 何 その前髪 コミュ障か!」
 

と地下アイドルの現場でハナに向かって暴言を吐きます。

 

この暴言はハナに言っていますが本当は自分自身に向けられているものです。
友達のように仕事にまい進するわけでもなく、幸せアピールすることで
何かを満たそうとし、自分自身を大きく見せようとする必死な自分。
果たしてそんな本来の自分を隠して友人や恋人付き合っていた自分は
コミュニケーション強者だといえるのか?言えないでしょ!という。

この暴言を吐いた瞬間に彼女は等身大の自分を見つめざるをえなくなったのです。


<そして君(私)に出会った>
その後逃げるように地下現場から去って日常に戻ろうとした愛ですが
会社からの理不尽なクレームに対応することでハナに言ったことを
省みて謝りに行こうとします。
彼氏だった恭介は愛は性格に難があるといいますが
自分の非をちゃんと認めて謝罪しようとする彼女のねっこの部分には、善良さがあるのではないでしょうか。

 

 

地下現場にいくと前髪を切ったハナが遅れて入ってきてステージに立ちました。
ハナが言うには前髪をあると逃げてしまうてしまうので切ったとのこと。
歌やダンスはすぐに上達できなくとも前髪ならすぐ変えられるからと。

 

 

これは本当にに些細な変化で成長なんていえるものではないかもしれません。
だけど一歩でも前に進もうとした。
そんな僅かな一歩を愛は自分と似た少女の中に見つけてしまった。
憧れでも手に届かないものを見上げるでもなく、ハナのその変化に
心が震えて自分も前に進もうと愛は決意します。
ハナの所属するグループのキャッチフレーズに

 

「あなたの小さな太陽になりたい💛」

 

とありましたが

まさに愛は自分の太陽を見つけ、そしてその顔が明るく照らされているシーンが印象的でした。


<人格とその人が持つ物語の消費>
上記のシーンに思わず私も涙した一方で危うさもこのドラマの中で描かれていくかもしれません。
愛はハナの人格にシンパシーを覚えファンとなりました。
愛の場合はきっかけがあまりみない例だと思いますが、人格やその人の持つ物語に触れる機会は
写メ会、握手会、サイン会などを通して多くなりました。
その形がいつでも適切な距離と形でもってあらわれるかは分かりません。
もしかしたら

「推し」に自分達の理想の偶像を「押し付け」て、
いつのまにか望まない方に「推し」を「押している」かもしれない。
ここに、このドラマが突っ込んでいくかはまだ分かりませんが次回以降を待ってみようと思います。


<余談>
愛のおでこ出しているヘアスタイルと目が隠れるほどの前髪のハナと対比が象徴的ですが
取調室?にいる愛は重い前髪。
そこで愛はハナは自分の分身だというように本来の彼女が言葉だけではなく外面にもあらわれているようでした。

 


サニーサイドアップMV『おちゃのこサニサイ』~よるドラ「だから私は推しました」~

 

 

 

 

 

 

新年のごあいさつにはおくれたけど、いだてんの感想を少々と去年触れた物語の雑記

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少し遅くなりましたがあけましておめでとうございます!!
というかもう寒中見舞いの時期になってしまいました。
ほんとは紅白がどうのこーのといだてん楽しみだね!というような事を書こうと思っていたんですが
もう放映した後なので、軽くいだてんの感想を書こうかなと思います。

<それはまるで聖火の灯のように>
第一話はテンポがよくて、ワクワクしてすごく面白かったです。
なにより心を打たれるものがありました。
何に打たれたと言えば嘉納の見る夢にです。
スポーツの楽しさを通して生まれる国を超えていく楽しさ、相手へのリスペクト、

それが平和につながっていくという彼の夢。
その夢に美しさを感じ、限りなく共感します。
と同時にそれは国などの外部環境で大きく左右されて
しまうし、もろく持続するのが難しく現実が立ちはだかるもの。

この時代だから難しいというわけではなく、現在進行形でこの夢の難しさを抱えています。スポーツだけではなく。

そして嘉納の夢は永井の「国を背負ったり競う事で消費される競技者」といつも隣り合わせ。
でもだからこそ嘉納のスポーツ本来の持つ力に対する夢は守っていかねばならないし、
絶やしてはいけないものではないでしょうか。
それはまるで聖火の灯のようです。
嘉納の個人の見る小さく暖かな夢は、国や大きな物の前では吹き飛んでしまうかもしれない。
だけどその灯を消さぬようにきっと誰かが繋いでいく、バトンのように、聖火のように。
この大河はその「継承」を見せてくれるかもしれない、そう思いました。
次が楽しみです。

 

いだてん 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

いだてん 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

 

 <やっぱり「関係性」が好き!>
さて、次は去年の物語についてなど。
やはり「半分、青い。」が大きくしめてましたね。
楡野鈴愛の生き様に感情がジェットコースターだったのも、もちろんのこと
彼女のソウルメイトである萩尾律の存在が良かったです。
物語の感想についてはもう当ブログで書いたので省略しますが
彼女達の関係性は改めて面白かったと思います。
主役の相手役の人生の重みが対等に感じられるのが、改めて好きなんだとこの作品で感じる事ができました。
これは「おんな城主直虎」の直虎と政次からも思ったんですけど、
二人の関係性の終結がどこに向かうか(恋人or友情)よりも、彼らが彼らでありさえすれば私はなんでもいいんだなぁと
発見できました。
けどどっち?どっち、どっち?と関係性の行く末に振り回されれること自体は好きなんですよね~。

 

 他作品では書籍化した「チーズ・イン・ザ・トラップ」を読み直すと、
ヒロインである雪と相手役の青田先輩の関係も面白かったです。
男性が主役でミステリアスなヒロインに振り回されるも、惹かれていく。
だけど本心に近づけないというのは見るんですよね。
だけど男女が逆で、男性側の心が見えにくいというのが私の中では珍しく新鮮でした。
この作品では、青田先輩が何を考えているのかわからなかったですね。
というか今もつかみ切れてるとは言い難いです。
ヒロインも疑心暗鬼で積極的に関わらないようにしてて、
私自身もむしろこの人やばいんじゃ?人の心がないのでは?と思いつつ、
ミステリー小説のように楽しめました。
ほんとこれを読むと相手の本当の姿を見つけ、そして見つけ続けることの難しさを感じさせられました。

 

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

 

 最後に去年のベストオブ好きな関係性と物語のご紹介。
「9-1-1:LA救命最前線」
消防士・救命オペレーター・警察官達の緊急通報から始まる、一話完結型のレスキュードラマなんですけど
これがほんとうに面白い。
物語自体が軽すぎず、重すぎずの最高のエンターテイメントでめちゃくちゃお薦めです。
全部いいんですけど、オペレーターのアビーと消防士のバックの関係性がほんと好きで、好きで。
ふらふらしていた男性ががほんとうに好きな女性と出会うとどうなるか?という王道展開なんですけど
これがまた、出会いから関係の変遷がほんとうにいいんですよー。
そもそもアビーが冷静で土壇場の度胸もある聡明な女性という私のドストライクな人間ってのもあるんですが。

相手の深い所に踏み込む時の怖さや、相手の生き方が自分の生き方を顧みる感じとかが、
本当に人生をシェアしている感じが出ててほんとによいなーと思いました。
まだシーズン1なので二人が果たしてどうなるのか?というのはわからないのですがシーズン2が楽しみです。

 

 

かつてアイドルだった君(運営)が創り出す夢~少年ハリウッド~

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*注意アニメ及び小説の少年ハリウッドのネタバレについて触れています。

少年ハリウッド完全版の上映記念!おめでとうございます!
ここに出てくるアイドル達の物語や魅力は様々な方が触れていると思われるので
今回は、元・アイドルで現・芸能事務所の社長である桜木広司さんについてあーだこーだいっていこうと思います。

 

 

<アイドルPに求められるものとは?>
アイドルをプロデュースするにあたって必要であって欲しい三つの人格があります。
一つ目はビジネスマン、二つ目は芸術家、そして教育者の人格。
もちろん大きな組織であれば一人の人間すべてが背負うものではなく分担されるものです。
ですが少ハリを擁するノエルジャパンエージェンシーはまだまだ小さな会社。

桜木広司社長の裁量権は大きく彼の考えが、ダイレクトにアイドル及び彼らの活動に影響を与えているでしょう。
そこで、桜木広司を上記に最初にあげたあげたプロデューサーに必要な人格をあくまで個人的にみてみると下記のようになります。

 

<ビジネスマン>
営業をかけたり企画(街中握手会)を立てたりと、
初期段階は少しずつはファンを増やしてたけど頭打ちになり停滞化。
実質的にかつての仲間であり現在は芸能プロダクションの経営者である早水海馬の支援がはいるので得意ではない。

<芸術家>
芸術の分野に答えなんてないけれど、自分の中では100点満点。

<教育者>
マネージャーであるテッシーと分担しているとこはありますが、アイドルを叱るべきところは叱り
そして一人一人をちゃんとみてるうえに、観察力が抜群。
彼らの本質を見抜き彼らにこれから何が必要であるのか?というのがわかっています。

 

 

<アイドルとプロデューサーの関係性>
で、この上記三つのバランスを保ちつつ大きくなるのが一番だけれどなかなかうまくはいかない。
彼の場合<ビジネスマン>の点が他二点より劣っています。
それはおそらく彼がロマンチストな人間である事も一つの起因してると思われます。

16話の握手回をお話にあらわれており、
「必然的にすることができる握手会での握手よりも、道端でばったりできる握手の方がよくないか?」
という考えで握手会をすることを渋っていました。

握手会の是非はここで置いとくとしても、やったほうが売り上げに結び付くのは事実。
だけどそのロマンチスト性は彼の芸術を結びついており、そこが愛すべき所でもあるんですよね。
そして彼の芸術家としての在り方の尊い所は、アイドル達が自分の芸術の駒になることをよしとしないところにあります。
(ここが言いたかった。前提が長い笑)

 

 

アイドルの「produce」は一歩間違えればというか自分の理想を創造するための道具になりかねない危うさと隣り合わせです。
これを回避するには、アイドルとプロデューサーが対等に夢を追いかけていける同志、または同じ夢の共犯者になる必要があります。
かといって最初から何もわからない、覚悟もない子供達にそれを求める事はできないので、彼は忍耐強くアイドル達を導いてきました。
それが結実するのが24話。
少年ハリウッドには「シャチョウのいう事がぜったい。」というものがありますが、
これはもう、いつかそれを超えて欲しいので彼は言っているんですよ。
劇場立てこもり事件は自分達がアイドルを「やらされている」ものではなく「なっていくもの」だと決断するお話になっており、彼らは自分達の意思でアイドルとしての行動がとれるようになっていました。

 

 

<本当に大切な者を守るために>
ではなぜ桜木広司がそのようなアイドル達に育て上げたいのかと言えば、彼がアイドルをやめる決断をした時の事が大きいと推測します。
当時社長であった人物が事故死する事で、少年ハリウッドは解散しなければならなかった。
それを決めたのは彼らの意思であるとはいえ、出来る事なら続けたかったと思います。。
なぜそれができなかったといえば「少年ハリウッド」が彼ら自身の夢ではなく「社長」の夢の延長にあるものだったから。
だからこそ今の新生少年ハリウッド達には自分達の力で輝ける強さを持って欲しかったのではないかと。
「社長」は永遠にいつでも「アイドル」を守ってやることはできない、それを身にしみている彼は、例え自分がいなくなったとしても少年ハリウッドが生き残れるようにしたかったのでしょう。
そのやり方はすごく不器用で、厳しい芸能界では技術はもちろんビジネス面では少し弱くなるし足りない所がある。

けれども心の在り様として私は彼のそういうところを愛してやまない。ものすごくロマンチストな考えではありますが。
だけど愛する者や物を自分がいなくても生きていける強さを、その人や物の中に宿す手伝いをするということが
ほんとの意味で守るという事の一つではないかと思います。

 

 

<エゴが世界を包み込む>
だけどその彼の在り様は別に「いい人」だからいうわけではありません。
むしろ少年ハリウッドに対するものは深く重く、危うげなものでもあります。
(別に描写があるわけではないですけど彼は少ハリのためなら死ねるな、と感じますね。)
ただ、桜木広司のエゴである「少年ハリウッド」を永遠のものにしたいという目的を達するためには、
結果的に彼らのアイドルとしての「自主性」を芽生えさせなければならなかったんですよね。
それがよくあらわれているのが
「誰かの 何かために存在するエゴイスティックな気持ちってね、極めると世界のすべてを愛すってとこにまでたどり着くんですよ。」
という彼のセリフだなと思います。

 

 

少年ハリウッドの未来>
完全に妄想なんですけどこれから少ハリが大きくなっていく段階で、組織が肥大すると
どうしても社長やアイドル達の意思ではどうにもできないことが起きうるし、
細部まで行き届かなくなっていったりするのかぁと考えたりもします。
今は小さな組織だから社長のディレクションが伝わりやすいですけれども。
もしかしたら彼らを守るため、大きくするために分裂することがおきるかもしれない。
例えば桜木社長と早水海馬の考え方がずれていくとか。
その辺も三期があるのであれば見たいところ。
だけど早水さんは桜木社長のこと、好きすぎるのでないかなぁ。
仲間同士だからこそ対立するときはドラマ性あるけどうーん、どうだろう?
この辺は好き勝手に妄想するだけ楽しいです。

 

 

<素の自分と期待される自分>
アイドルがアイドルになる自主的な意思について散々語ったんですけど
この物語では同時に誰かに期待される自分になり続けることを肯定しているんですよね。
個人的には私はその二つのバランスがとれており、時として溶け合っている状態がベストであるんだろうなと思います。

青い自分で人生を乗り回す、またはロードローラー鈴愛~半分、青い。~

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大河を見てた時にも思ったのですが、長期間にわたる物語が完結する時は言葉に出来ない気持ちがこみあげてきます。
平日、毎日15分ずつという視聴習慣は確実に自身の「生活のメロディ」になっていたと思います。

 

アイデア

アイデア

 

 <お隣さんちの鈴愛ちゃん>
この作品は私にとって不思議な物語体験でして、普段はどちらかというと物語へのスタンスは距離があるんですよね。
箱庭を覗くように物語を普段は見ていてワンクッションあるかんじ。

 

だけど「半分、青い。」はそんな私の視線をぐっと鈴愛が生きている世界に引きずり込んでました。
この世界の登場人物に対する好悪や揺さぶられる感情は、まさにリアルに自分が接している人達への感情と近い所があったんですよね。

 

だからでしょうか、いつも誰かの友人の話を聞いているような気持ちでいました。
まるで鈴愛や律達を見守るご近所さんのように。
それは鈴愛だけではなく時として、より子や清さんに至るまで。
彼らの友人だったら自分はどんな感情を抱くのだろう?と想像しながら見るのがとても楽しかったです。
(ちなみに清さんのつかず離れずのサークル仲間として律への惚気と愚痴を聞く、というわけわからない妄想をしていた)
そういうふうに「半分、青い。」の世界に住まわせてもらった事は、ほんとうにありがたい経験になりました。

<ぐるぐる定規のように広がる関係性>
上記で友達のように「半分、青い。」の世界に生きたといいましたが、
やはり主人公である鈴愛に寄り添う事が多かったので、律がなにも言わずに結婚した時はびっくりしました。
律がアメリカに旅立ったあとにより子さんと離婚した時も。
伏線がないとか多分言われる事もあるかと思われますが、私はすんなりすとんと腑に落ちたんですよね。
なんというか理屈ではなく皮膚感覚として納得したというか。
というのも実際に実生活では、距離が遠くなった相手と久しぶりに会うと、

親しい相手や近い親せきだとしても
「実はうちの親、ガンで入院してたんだよね?」「実は離婚してさ。」

と後から聞かられるケースが多くて。
(それはあなたの人望がないのでは?というツッコミはおいといて。)
自分自身の場合でも大人になり、相手と関わる時間が減ればどうしても「相手も忙しいし、自分の事を相談するのもあれだよな。」
と思って改めて言う機会も減ってしまう。

 

それの良し悪しは多分、それこそ半分・半分なのでしょう。
自分で乗り超える意思や力があるということでもあり、その頼らなさはもしかしたら誰かを寂しくさせてるかもしれない、そしていざというときに「助けて。」と言えない事に繋がる可能性もあります。

 

 

そんないくら親しい相手だとしても「知らない事もある。」という事はこの作品の中でもずっとあったように思われます。
鈴愛と律はソウルメイトでありベターハーフと呼ばれるものだとしても、相手の事をすべてを知っているわけでも立ち入れるわけでもなくて。
唯一性の宿る関係性というのは彼ら二人だけのものではなく、例えば鈴愛は裕子や涼ちゃんとも築いておりまるでぐるぐる定規の模様のように広がっていく。
他にもそれはあって鈴愛と三オバ達、かんちゃんと律などもいっぱいありました。
そういう関係性の広がりがとても心地よいものでした。

 

 <永遠などないし、何者でもないけど。>
鈴愛の人生はどこにでもあるような、それでいて波乱万丈なものです。
立身出世系、いまここにある日常を愛する系、夫を支える系のどれにもあてはまらず、そしてあてはまったヒロインでした。

 

今考えると、上記のどんな時にも彼女の中には「幸せになりたい。」というごくごく当たり前な欲望があったように思います。
それは細分化されれば「有名になりたい。」「おいしいものを食べたい。」「金が欲しい。」といったもので
「夢」と言うには俗っぽすぎるのでは?と思ってしまう感情。
鈴愛は自分にあるそんな感情を真正面に受け続け、そして彼女がそんな人生を手放して雑に扱ったことを一度もなかった。
その彼女の有り様は時にかっこ悪くて誰かを傷つけた。
だけどそんな自分の欲望を肯定し続けた彼女が最終的に

誰かにそよかぜを届ける扇風機を届ける、という終わりを迎えた事がすごく嬉しかったです。

 

これまで何者にもおさまらなかった鈴愛の人生ははきっとこれからも変わりつづけていくことでしょう。
もしかしたら立ち上げた会社も潰れてしまうしまうかもしれない、律とだってどうなるかはわからない。
永遠の夢も関係性も幻かもしれない。
だけどそれでいいと思います。
楡野鈴愛はどこにいても何をしていても楡野鈴愛でありつづけるのだから。

 

<追記>

上記で「伏線がないとか多分言われる事もあるかと思われますが」と書いてますが

この作品を通してのいろんな伏線自体はありまくりですね。