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物語同士のつながりが好き

青い自分で人生を乗り回す、またはロードローラー鈴愛~半分、青い。~

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大河を見てた時にも思ったのですが、長期間にわたる物語が完結する時は言葉に出来ない気持ちがこみあげてきます。
平日、毎日15分ずつという視聴習慣は確実に自身の「生活のメロディ」になっていたと思います。

 

アイデア

アイデア

 

 <お隣さんちの鈴愛ちゃん>
この作品は私にとって不思議な物語体験でして、普段はどちらかというと物語へのスタンスは距離があるんですよね。
箱庭を覗くように物語を普段は見ていてワンクッションあるかんじ。

 

だけど「半分、青い。」はそんな私の視線をぐっと鈴愛が生きている世界に引きずり込んでました。
この世界の登場人物に対する好悪や揺さぶられる感情は、まさにリアルに自分が接している人達への感情と近い所があったんですよね。

 

だからでしょうか、いつも誰かの友人の話を聞いているような気持ちでいました。
まるで鈴愛や律達を見守るご近所さんのように。
それは鈴愛だけではなく時として、より子や清さんに至るまで。
彼らの友人だったら自分はどんな感情を抱くのだろう?と想像しながら見るのがとても楽しかったです。
(ちなみに清さんのつかず離れずのサークル仲間として律への惚気と愚痴を聞く、というわけわからない妄想をしていた)
そういうふうに「半分、青い。」の世界に住まわせてもらった事は、ほんとうにありがたい経験になりました。

<ぐるぐる定規のように広がる関係性>
上記で友達のように「半分、青い。」の世界に生きたといいましたが、
やはり主人公である鈴愛に寄り添う事が多かったので、律がなにも言わずに結婚した時はびっくりしました。
律がアメリカに旅立ったあとにより子さんと離婚した時も。
伏線がないとか多分言われる事もあるかと思われますが、私はすんなりすとんと腑に落ちたんですよね。
なんというか理屈ではなく皮膚感覚として納得したというか。
というのも実際に実生活では、距離が遠くなった相手と久しぶりに会うと、

親しい相手や近い親せきだとしても
「実はうちの親、ガンで入院してたんだよね?」「実は離婚してさ。」

と後から聞かられるケースが多くて。
(それはあなたの人望がないのでは?というツッコミはおいといて。)
自分自身の場合でも大人になり、相手と関わる時間が減ればどうしても「相手も忙しいし、自分の事を相談するのもあれだよな。」
と思って改めて言う機会も減ってしまう。

 

それの良し悪しは多分、それこそ半分・半分なのでしょう。
自分で乗り超える意思や力があるということでもあり、その頼らなさはもしかしたら誰かを寂しくさせてるかもしれない、そしていざというときに「助けて。」と言えない事に繋がる可能性もあります。

 

 

そんないくら親しい相手だとしても「知らない事もある。」という事はこの作品の中でもずっとあったように思われます。
鈴愛と律はソウルメイトでありベターハーフと呼ばれるものだとしても、相手の事をすべてを知っているわけでも立ち入れるわけでもなくて。
唯一性の宿る関係性というのは彼ら二人だけのものではなく、例えば鈴愛は裕子や涼ちゃんとも築いておりまるでぐるぐる定規の模様のように広がっていく。
他にもそれはあって鈴愛と三オバ達、かんちゃんと律などもいっぱいありました。
そういう関係性の広がりがとても心地よいものでした。

 

 <永遠などないし、何者でもないけど。>
鈴愛の人生はどこにでもあるような、それでいて波乱万丈なものです。
立身出世系、いまここにある日常を愛する系、夫を支える系のどれにもあてはまらず、そしてあてはまったヒロインでした。

 

今考えると、上記のどんな時にも彼女の中には「幸せになりたい。」というごくごく当たり前な欲望があったように思います。
それは細分化されれば「有名になりたい。」「おいしいものを食べたい。」「金が欲しい。」といったもので
「夢」と言うには俗っぽすぎるのでは?と思ってしまう感情。
鈴愛は自分にあるそんな感情を真正面に受け続け、そして彼女がそんな人生を手放して雑に扱ったことを一度もなかった。
その彼女の有り様は時にかっこ悪くて誰かを傷つけた。
だけどそんな自分の欲望を肯定し続けた彼女が最終的に

誰かにそよかぜを届ける扇風機を届ける、という終わりを迎えた事がすごく嬉しかったです。

 

これまで何者にもおさまらなかった鈴愛の人生ははきっとこれからも変わりつづけていくことでしょう。
もしかしたら立ち上げた会社も潰れてしまうしまうかもしれない、律とだってどうなるかはわからない。
永遠の夢も関係性も幻かもしれない。
だけどそれでいいと思います。
楡野鈴愛はどこにいても何をしていても楡野鈴愛でありつづけるのだから。

 

<追記>

上記で「伏線がないとか多分言われる事もあるかと思われますが」と書いてますが

この作品を通してのいろんな伏線自体はありまくりですね。