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井伊谷のいちばん長い日~おんな城主直虎36話~

 

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

twitterで足を負傷して、もう歩けなかったもしれなかった近藤さんが歩み始めた時、「クララみたいだね!」という感想を見かけましたが、
この回はまさしくアルプスの少女のごとく第一回の「井伊谷の少女」の直虎の原点が、問われるようなお話でした。
そして今回は人によって見方が全然変わる二つの問題があったと思います。
まずは、和尚のいうように、直虎は城主であることを仕向けられたのか、己で望んだのか?
二点目は井伊家再興をあきらめたのか?それとも為政者の最後の政策としてしての選択なのか?
これらを絡めながら書いていきたいと思います。

 

<なぜ人を助けたいの?>
前回から直虎は、ネガティブモード。ちょっとまとめるだけでも以下の通り。

 

「役立たずの我が生き残ってしまった。」(35回、気賀で龍雲丸に。)
「戦というものは思うよりはるかに様々な思惑が絡み合う物、我が未熟であったというだけじゃ。」(常慶に対して)
「まこと役立たずで、ご期待に添えず、申し訳ございませんでした。」(井戸の前で南渓に。)
「われは縁起の悪い女子。」(井戸の前で龍雲丸に。)

セリフだけでもこれだけあります。それ以外にも直虎が井戸の前で、碁石を手のひらで打ちながら今までの自身の歩みを回想しているシーンの中にもそれがあって、
直盛が「いっそ、わしの後を継ぐか?」とおとわに聞いた場面のあとに直虎が「我が井伊直虎である!」と宣言するシーンに移ります。ここまではいいのですが、
次に差し込まれる絵には政次の磔と直親の死が描かれてます。
ここで、え!?ちょっとまって!いろいろ省略されすぎでしょ?みんなでどうにか綿花栽培が成功にこぎつけた日や寿桂尼様からどうにか後見を認められた時とかいい事もいっぱいあったよ!!
とつっこみました。一瞬、直虎の記憶が戻ってないのでは?と思ってしまいました。
それほどに政次の死と気賀での大虐殺が彼女の中で非常に大きい。

 

twitterでも書きましたが、直虎はもともと「誰かのために。人のために。」と竜宮小僧の役割を背負ってきました。
だけど、その目的が結果として「誰かを傷つけ、人のためになってない。」という逆の結果が生まれました。
善意から生まれた動機が最悪な結果を導き出したその落差に自分自身がパンクしてしまったんだと思います。

 

そして、直虎自身が近藤や鈴木を一方的な悪役とは見なさなかったことが大きい。
つまり悪役不在の世界でただみな生きるのに必死だけと思うのは同時に、自分自身の正義を疑うことでもあります。
思考回路としては、悪がいない。→正義もない。→自分にも、正義はない、ゆえに行動に移せなくなる。
もちろん龍雲丸のいうように、いうほど負けてないし最悪ではないのですが、直虎自身がそう現実を認識している。
結果が最悪だと本人がそう思うからこそ、そもそもの「誰かのために」という動機で殿をやっていた直虎のゆらぎとなってしまいます。

 

こで、南渓和尚が「自分がそうなるように仕向けたのか?否か?」みたいなこといってますがこれは直虎の本質を問う上で重要だと思います。
直虎のヒーロー性の根拠を和尚がちゃんとわかっているなら、そもそもそんな疑問は出てきません。
この和尚の疑問は、なんで直虎が誰かのために、人のために働くのか?という動機の根源に触れるものです。
別に、大河の物語の主人公にそんなこといちいち問わなくてもそういうものだといってしまっても構わないものです。
ヒーローになぜ人を救いたいの?という疑問がなくても物語が成立するように。
人を助けるのに根拠なんてなくて体が勝手に動いてしまう、というのもあるとは思いますが、それをなすにはあまりに彼女は事情が複雑な政治的立場に置かれている。

 

 

そしてそんな彼女の動機が、がんがん揺らいでるのがわかるセリフが
「まことにみなのためなのか?我のように頼りない領主のもとに。」とあります。
自分自身の「誰かのため」という思いに能力が追い付いていない以上、それが身勝手なエゴであるのでは?との想いがそこにあると思います。
事実、近藤にいっぱい食わされて政次は死に追いやられました。その一点だけ見れば戦国武将としては彼の方が上。
それなら格下の自分よりも格上の近藤が井伊谷の人々を守っていけるのでは?と判断してもおかしくはないかなと思います。
もちろんそこにはくやしさがある。今まで井伊のために死んでいった者達の意味を考えると。
だけど、民にとっては首が誰であっても有能なほうがいいに決まってる。
国や家のアイデンティティと民の現実の生活、どちらを取ればいいのかというのはかなり難しい問題ですよね。

だから私個人としては、井伊の再興をあきらめたというより、夢でなく今ある現実をとった政治家としての判断の根拠は上記のようにある。
だけどそのために、直虎のみんなのためにという「為政者」の動機の根拠は、彼女自身もわからなくなった。というのがあると思います。
そこが複雑に絡み合ってるから見る人によってそこんとこ評価が分かれてきそうなんですよね。

政次を刺し殺したように、井伊家も自身の手でとどめを刺した直虎。彼女は冠を返す事で、ただの「おとわ」となりました。
農婦となり一人の民草となった彼女はもう、政治に関わることはできません。
もし戻りたくなった時には、なぜそこに戻りたいのか?彼女の本当の動機の根源が問われてくるかもしれませんが果たしてどうなるのでしょか?
まぁ、次回、武田さんがうっきうきで「なんでそんなこと悩んでんの?」とばかりに踊りながら攻めてきそうなんですけどね。

 

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

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昭和史 〈戦後篇〉 1945-1989

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 井伊谷フィクサー
直虎にゆらぎが生まれた事で、井伊家の復興をあきらめる事を助言した南渓和尚
以前、彼について

誰かの味方ではなく、「井伊」全体の味方であらねばならない。それ以外はすべてを切り捨てていく。

井伊谷カルテットwith N (六左衛門・直之・方久・プラス南渓和尚編)直虎を囲む魅力的な脇役達について - シェヘラザードの本棚

 

 と書いてます。
頑張ってきた直虎に対しての優しさでもありますが、井伊のリーダーに、今のおまえはふさわしくないと、遠回しにいってるようでもあります。
多分、どちらもほんとうで矛盾なくそれが彼の中で存在してるのでしょう。
そして、虎松に対しても何かを言い含めて松下家への養子行きを了承させてました。
「今川館はいずれ焼け落ちるかも。」のセリフのように、何が起こりうるかわからないから、今のうちに種をまく南渓。
そんな彼は誰よりも井伊谷のために残酷になれるのかもしれません。

<虎松、小悪魔のほほ笑み>
お家復興の断念を虎松に伝える直虎ですが、あれほどあきらめるな!と言われて育った虎松からすると、「父親の失墜」でもあります。
あれだけ、民からの支持率も高く家臣からも慕われていた直虎は目指すべき指針だったかもしれません。
だけど親への失望はある意味、成長の契機でもあります。
底なしの愛情をしのから受け、なにがなんでも生き抜く事を直親から教わり、あきらめぬ姿を直虎の姿に見出し、そして目的のためなら本心を隠して行動する政次の
姿がそこにあるようです。ほんと、松下家の養父に対してのあざとさは、ほんと直親の愛嬌に政次の手段が合わさっていて最強で最高だと思いました。
この井伊谷の四人の生き様を受け継ぎ、徳川四天王へとなっていく虎松の一歩が踏み出された瞬間だったと思います。

<そのキスは苦く>
親をなくした子らが寄り添うように、喪失を抱えた直虎とくっついた?龍雲丸。
龍雲党という疑似家族を失った彼ですが、以前の気賀での暴動のようにテロリズムにはしる事は出来ない。
武家だからというだけで復讐を果たすことができないのは彼らも自分達と同じように必死に生きているだけだと知ってしまったから。
直虎や、政次のなかに。直之や六左衛門との交流の過程で。
悪がいないからこそ、己の義を信じて進めなくなった直虎と同じである意味、時が止まった龍雲丸。
行き場のない感情を抱えてるけど、生きているなら前に進まなくてはならない。
そのため手を取り合った二人に、時がそれを癒してくれるかもしれないけど、戦国という大きなマクロの変化がそれを許さないかもしれない。
恋は世界をきらきらさせてくれるものなのに、戦争によって導かれたこの二人は、それが引き起こした現実をただ受け止めるだけしかできない。しかしそれは確かに暖かく苦い。
愛する人々を失った世界で、果たしてどういう生き方を今後彼らがとっていくのかを見守って行きたいです。

<おまけ>
長くなったんですけど、戦国乱世のマクロの環境がばりばり動いてますね。見どころのあるシーンがいっぱいありました。
北条・上杉・徳川の武田包囲網ができてますが、そこで終わらない信玄公。
信長にお伺いをたてないといけないいまだ弱気立場の家康と、堀江城でも虐殺を命じた酒井も、内部ではほんとうに普通の一家臣。。
北条氏が死ぬことで、頼る寄る辺がなくさまよう氏真夫妻だけど、彼らには、直虎・龍雲丸カップルのような苦みはなくどこかコミカル。
於大の方と瀬名姫との今後を示してるような緊張したシーン。
高瀬の間者疑惑など盛りだくさん。
次回の感想では、こういったマクロの動きも触れられたらと思います。(あくまで願望)