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井伊谷カルテットwith N (六左衛門・直之・方久・プラス南渓和尚編)直虎を囲む魅力的な脇役達について

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

今週は直虎感想記事が、一日ずれ込んだので土曜日の方の更新はなしにしようかと思ったんですが、ちょうどいい機会なんでさらっと短く、直虎の脇役陣について超個人的な印象を書いていきたいと思います。
タイトルが、「井伊谷カルテット」っていうなら四人だと一人足らなくない?と考えると思いますが、ここに本来なら政次が入ります。
だけど、さんざん彼についてはあーだこーだいつもいってるので今回はいったんお休みということで。

 


奥山六左衛門・柔らかく、強く>
武芸が得意ではなく、政次から睨みを聞かせれれると、猛禽類に目をつけられた子ウサギのような反応をする気弱なとこがありますが、大好きです!!
そんな自分にコンプレックスを抱いているようですが、私は彼の本質は「柔らかさ」にあると思っています。
何が言いたいかというと、いったん相手の事を受け止めて考えられる人なんですよね。強くはねつける事は絶対にしないというか。
だからこそ直虎が後見であることに驚いてはみせても、彼女に「なにかある。」と感じ、受け止めようとする。
この相手を柔軟に受け止めようとするところは龍雲党の人達への接し方にも見受けられます。割と朗らかに話をしてましたよね。
なので政次にびびっているともいえる彼ですが、それ以上に政次の提案や意見を一番先に素直に聞いているのは六左衛門といえるのではないかと。

 

彼は「女子のくせに」といわれる直虎が、それでも戦っている姿を見てきっと「男子のくせに」といわれすくんでいた自分自身が揺さぶられ勇気を得た人だと私は思っています。だけどそこから劇的に変化したわけではなく、その勇気はいつも満タンってわけじゃない。
なにかあるたびに勇気を奮いださなきゃいけなくて、だからこそ見ているこっちに一番、勇気をくれる。
もともと勇気がある英雄は勇気をだすというより、それはほとんど決断。勇気はあまり必要がない。

だから気弱な彼がだすからこそ、こう、ぐっとくるんですよね。
英雄よりも勇気がいる量がいっぱいなきゃいけないので。
武芸が得意じゃないのに、直虎奪還の時は武器をもって突入しようとしたり、前回も直虎をかばおうとしたりで、もう彼から目が離せません!!

 

 


中野直之・硬いがしなやかで>
「柔」の六左衛門とは対照的にこちらは「硬」の直之。
典型的井伊谷育ちの体育会系で直情型。物事を深く考えたり俯瞰してみる事はしないタイプだけど、今、目の前にある現実を即受け入れて、決断できるかっこいい男性。
直虎に最初は一番反抗的だったけど、いざ受け入れの覚悟が決まるとその気持には、まったく迷いがない。だから見ていて気持ちいいいんですよね。
きりかえがはやく、いったんそれと決めればまっすぐ進んでいける。忠犬っぽさもそういうとこにあります。

 

方久の茶屋でミュージカルしたときも、機転がきいていました。硬いのにしなやかさをもつ彼はいうことあまりなくて、毎回100000点!って気持ちで見てます。
父親の直由は、政次が写経をしているときいて「かわいいところあるじゃん。」と言うシーンがあって、今の事態になってさえいなければ政次・直之コンビにもなにかしら
可能性があったのでは?と思いを馳せます。


瀬戸方久・「銭」が世界を変えるから>
このブログで何回も言及していますが、彼は「地縁や血脈」にとらわれない政次のもう一つの可能性
二人とも「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」という闇を抱えてるけど、方久は軽やか。
というのも彼は「銭」の力で世界を「変えていける」と確信しているからだと思うんですよね。
逆に政次は世界の厳しさや残酷さを「受け入れる」人なのでその姿は重く映る。
どちらがいいという話ではなく、現実をどうとらえて、戦うのかという在り方でしかありません。
方久が活躍するのはまだまだこれからだと思いますので期待しています。

 

 

南渓和尚・関わらずして関わる>
井伊谷フィクサー。不義の子だからか、俗世から離れた僧なせいか必要以上には俗世とは、あまりかかわりません。
直虎へのアドバイスはしてもあくまで彼女が自分の肌で納得するように仕向けています。
見方によってはその「傍観者」なとこが「中途半端」ともいえて。
だけどそれ以上に井伊谷でのバランサー」としての矜持があるのではないかと。
小野家にも井伊家にもどちらにも与せずなところみると、中庸でいるのは簡単そうに見えて実は一番難しい。
しかも、かつ政治的に正しい方向に向かわせながら。自分が表に出ない形で。

誰かの味方ではなく、「井伊」全体の味方であらねばならない。それ以外はすべてを切り捨てていく。
この難しい役職をひょうひょうとこなすあたり、人生の酸いも甘いもかみ分けた老齢の人の魅力がたっぷりでています。

 

 

さて、ここまで脇役陣の魅力に触れました。脚本家の森下佳子さんの作品に出てくる人物はキャラクター(虚構)的でありながらどこか生生しさがあって「生」を感じます。
「物語」なんだけど、ものすごく彼らが「生きてる」と思えて。「話」自体は竜宮小僧が出てきたりして神話的なのに、彼らが確かに「いる。」
この人物達の「実存感」は演者の方々の力と合わさって爆発力を増し、ほんとこの先誰が欠けてもつらくしんどいです。
だけど、この先も見守っていこうと思います。