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物語同士のつながりが好き

伽藍堂の王子様。愛すべき井伊直親~おんな城主直虎~

 

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

注意 直親への妄想が爆発してます!

いまやスケコマシと名高い直親ですが、この物語の中で、自分から遠い場所で幸せになって欲しい男ナンバーワンが彼でした。
己の顔面偏差値の高さを無意識レベルで活用してるとこ、嫌いじゃない、むしろ好き。
だけどそれはやっぱり物語の中の自分とは関係のない世界でいてくれるからであって、近くにいたら厄介に感じるんだろうなぁと。
しかも厄介だなぁと感じつつも次第に情が出てきて、ずぶずぶと関係が続いていきそうなこがまた厄介そうで。

 

 

でも、直親がなぜ「スケコマシ」になったとかといえばtwitterでも書きましたが、彼自身が「愛され直親」を演じようとしてたからだと思うんですよね。
井伊の良きプリンスを周囲が望むから、そういう自分を作り出す。人当たりの良さや誰にも愛され、波風を立てないようにふるまう事が彼の生存戦略
逃亡生活がさらにそれに拍車をかけており、その場で誰の敵にもならないようにプリンス・スマイルを振りまきながら過ごしてきたのではないでしょうか?
いい子でいるから、いい人でいる事が、ここにいてもいいんだ、許されるんだと思ってた子供がそのまま大人になった。
誰にでも誠実であろうとするから結果、不誠実に見える。むしろ誠実とはなんなんだ!?(哲学)
と考えさせるのが直親でした。

 

<直親の原風景>

そんな彼の萌芽は幼少期にあって、武家社会において体が弱くて得意な事は笛しかないと感じている顔の綺麗な直親は、きっとコンプレックスを抱えていた。
しかもそばには、男勝りで元気に動き回るおとわと聡明な鶴丸
おとわはもし自分が男ならばと思ったこともありましょうが、直親は俺はただ性別が男ってだけじゃないか?性別が逆ならおとわの方が当主としてはふさわしいはずだ。
と悩み、
鶴丸には、俺はたままたま井伊家に生まれたってだけじゃないか?鶴のほうが頭がいいじゃないか?
との想いを抱えていた。

 

 

そんなことを第1回、父の直盛が亡くなり、山中でのおとわとのシーンで精神的に追い詰められた直親が吐露していました。
自分は出来損ないであると。
だけどそこはさすがおとわちゃん!主人公!
誰よりも笛が上手くて、笑顔が良くて、負けん気が強くて、人につらさを見せない!いい男じゃん!ダメな時は、私が亀の手足になるし!
と涙を流しながら断言します。
この力強さ、こんな子が近くにいてくれたら一瞬で恋におちますよ。
私がおとわなら「え?出来損ない?顔がいいから気にすんなって!?」とてんぱって言ってしまい、フラグも心もバッキバキにおってるとこです。

 

で、それだけ強い全肯定の言葉をもらった直親が、身を隠している生活の中でユキ(高瀬の母)とちゃっかりいい仲になってる。
これはでも、仕方ないなと私は思うとこがあって。
というのも鶴丸の存在が大きい。もし鶴がおとわの側にいない状況なら、誰とも関係を持たずに待っていた可能性が高かったのでは?と思うんですよね。
だけど、聡明な鶴と行動力のあるおとわ、誰よりも認めている二人がくっつくって、状況的にもめちゃくちゃありじゃないですか?
幼いころも、鶴丸は堂々とおとわを諫める事ができて、おとわも負けじと言い返す。
はたから見ればすごく、対等にみえて、そして自分はその中に入ってないのではという疎外感を感じてたと思うんですよ。
実際に後におとわと鶴丸は最強じゃなくとも至高のコンビとなっていくので彼には先見性があった。
そう考えると誰よりもこの二人の特性をいちはやく見抜き、認めていたのは実は直親なんですよね。
自身のなにもなさに悩むがゆえに、幼馴染たちのそれに敏感になれた。

そしておそらく鶴丸から見れば下記にあるように、小野家の自分と井伊家の二人という括りで見てたかもしれませんが

鶴丸→(おとわ

直親から見れば

→(おとわ鶴丸
という構図が頭にあったのではと思われます。

 

 

だからこそ「おとわは待っていてくれるかもしれないけど、俺がおとわなら鶴丸と結婚するよ。だって鶴丸かっこいいし…」と思いながら
誰よりも鶴丸肯定論者の直親は思春期を、戻れぬかもしれぬ逃亡の日々を過ごさなければなかった。
もうここは、思春期の妄想爆発で、美少女から美女として成長したおとわとインテリイケメンに成長した鶴がくっつくかも!と悶々としたこと間違いなしですよ。
そんな彼が初恋のおとわに似てるかもしれない(南渓和尚・談)ユキを好きになっても仕方ないではないですか?

もう私は
直親がユキに
「ユキっていい名前だな。雪は溶けて水になり、山や田畑を潤す。そして春になる。暖かな名だ。」
とかナチュラルジゴロをかましてても許せますよ。
いや、これ全部私の妄想なんですけど。
(そういやユキ(雪)も高瀬もどこか水に関わる名前で、竜宮小僧を連想させますね。)

<負けず嫌いな直親>
自分には何もないといってましたが、実はおとわのいうように、負けず嫌いな直親。
幼いころはあまりピンときませんでしたが成長して、もどってきた時にそれを感じられるシーンがありました。
第6話「初恋の分かれ道」での「いくら待とうとおとわはそなたのものにならぬぞ。」発言。
これ、文脈的にはおとわは直親の隠れた妻になることよりもかびた饅頭なり、竜宮小僧として生きていく。
彼女は、井伊谷と結婚したような女だから、俺やお前、他の誰のもにもならないよ、
と言いたいのでしょうが、自分がおとわに断られた事をいわないものだから、ただ単に牽制や嫌味のようにしか聞こえないんですよね。
鶴丸からすれば、そんなこといわれんでもおとわが自分のものになんことくらいわかっとるわ!という感じだった事でしょう。
だけど、直親のほうはというと嫌味ではなく半分はこれで俺とお前は「わーい!俺ら、おとわが手に入らなかったフレンズだね!」みたいなノリがあったのではないでしょうか。
でも半分くらいはやっぱり悔しいし、鶴に「ふられちゃったよー。」なんて泣き言は、いいたくない。家臣ではあるし、親友だけど恋のライバルだし。
おとわのいうように、つらい時につらいといえない。
その辺はやっぱりプライドが高く孤高な王子様なんですよね。

<甘える直親>
そして問題の第七話「検地がやってきた」
この回に関してはホントは一つ記事side政次side直親で書かなきゃならないくらいなんですが
ここでは長くなるので省略します。

で、検分役の岩松から隠し里について追及された時に、直親が政次に丸投げした場面ですが
ここは酷いなこいつ…。という感情よりまず先に「政次に甘えてるな。」弟が兄に甘えてるように。
と思いました。

前述したように、直親にとって政次への評価がめちゃくちゃ高い。
だからこそ、政次がなんとかしてくれるもん!精神が出たんだろうなと思います。
この後に政次が「信じなくてもいいけど信じるフリなんかするな!」
っていってますが、ここはむしろガチで信じてたんだと思います。
だけどこの「信じる」って危うい一面があり、それに身を委ねるというのはある種の甘美さをもってるんですよね。
「信じる」って行為は美しく見えるじゃないですか?だけどそれは自分で考える事の放棄という一面もあり、無責任さも気を付けないと伴う。
多くの民の命を預かる当主ならそれは致命的。

 

この件を第33話「嫌われ政次の一生」の時に、政次はなつに語ってました。
ほんと直親はひどかったよね。だけどそれでなつが笑ってくれるならまぁ、いっか、と。
これはつらい経験も笑い話になって良かったというのもありますが、直親と直虎の対比でもあるようでした。
直虎は政次を信じて良いのか?という描写が差し込まれてます。
ここまで一緒にやってきた政次を信じられない彼女の是非もあるとは思いますが、
相手の起こしたアクションの結果、起こった出来事の責任を共に背負うというのが私の中では大きく、
それってやはり「伴侶」なんですよね。

 

なんか話が直親からずれていったので、戻しますと検地回で直親が
「共におとわのために頑張ろうよ。」みたいなこと言い出した時は
やはりフラれた仲間同士がんばっていこうよみたいなノリが彼の根底にあるんだろうなと思いました。

<それでも、好きだよ。>
ここまで好き勝手書いてきましたが、やっぱり彼が好きなんですよね。(厄介だけど)
第一話でおとわと鶴が言い合いを始めると笛をふいて止めようとした直親。
自信がなくて自分には何もないんだ、と思っている男の子が「それでも自分にできる事」をやろうとする。
それはやっぱり、ささやかながらも勇気であり、やさしさがあるからできる事。
不確定で不安な未来に身を投じられるとこは、失敗したとはいえ、今川の楔から脱しようとした直親らしい。
それはそのまま直政の中に流れていく。
能力も自信もなくとも、未来へ進んでいこうとする彼はまさにこの凡人大河の物語らしい、主人公の初恋の君でした。

<終わりに>
そんな直親の屈折した思いや劣等感を持っていたことに、政次が気づけなかったのは仕方ない。
いや、それに気づいたところで羨んでほしいなんて思ってないでしょうが。
この辺の二人の機微を語ると沼に沈んでいくのでこの辺で。

それにしても、そんな直親という見る者によって色を変える複雑な役を演じきってくれた三浦春馬さん、ほんとすごいです。

20話「第三の女」の元ネタ「第三の男」のハリーのような善悪・強弱のゆらぎを思い出しました。
直親を演じてくれてありがとうございました。