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加害者と加害者もしくは被害者と被害者の狭間で~おんな城主直虎48話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

武田滅亡は叶ったものの、信長の影響により瀬名・信康を失い、人材を丸抱えするという策を潰された家康。
そんななか、少しでも明るくと徳川は宴会は開きます。
が、なんとその信長から甲斐からの帰り道のもてなしを要求されました。
今回はこの信長浜松観光ツアーから始まる戦国ミステリーという趣があります。
タイトルの「信長、浜松来たいってよ」は「桐島、部活やめるってよ。」のパロディ。
この作品の中では桐島自体は登場せず、だけどその存在にふりまわされてる人々が描かれてしました。
それと同様に、信長という人間が結局のところ何を考えているかわからない状態です。
一人の人間として物語のなかに存在しているというより、彼はもはや現象としての「織田信長
それは厄災なのか?それとも?という不安の中、誰を信じて何が正しい道なのかわからないまま進まなくてはならない。
一回でも選択をミスれば死への直結ルート。
だからこそ、信長の一挙手一投足に敏感になっている周りの人々。
深読みなのか?、実はそこまで悪人ではないのでは?と思わせるのはこれまでのこの作品、が敵であろうと一理あるし、向こうから見れば自分達こそ悪である、
というものを見せてきたから。 
そう思うと今の疑心暗鬼な状態こそ、製作陣の手のひらの上といったところでしょうか。

 

桐島、部活やめるってよ
 

 

<彼らの帰結>
今回、我らのぼっちゃま!氏真が活躍しまくっていました。
父親の仇である信長を前にしても笑顔を崩さず、座興を用意してきます。
そして彼は光秀から持ち掛けられた信長暗殺計画に一枚からんでいます。
そんな氏真と直虎のここにきての対談は、これまでの彼らの軌跡を見てきた者としては感慨深いものがありました。
今はもう正式な当主といっていいかわからない二人。戦国大名から降りた氏真とほぼ農婦の状態の直虎。
でも当主ではない今だからこそ、自由に動くことができ、お互いに本音で語ることができました。
当主同士ではないのに今の方が当主らしい会話になっています。


氏真の
「瀬名や、桶狭間の戦いで死んでいった者(直盛、玄番達)の仇をとりたくないか?
のセリフに答えない氏真に答えない直虎にこう続けます。
「そうか。そなたからすればわしも仇か。」
そこで直虎が
「ゆえに、仇は誰かと考えぬようにしております。」
と答えます。
(略)
そして最後に氏真は
「逆風になれば、仲間は裏切り、下につく国衆は裏切る。そなたもよう知っておると思うがの。」
と言います。

 

ここのシーンはささやかで短いものですが、この大河の名シーンの一つといってもいいのではないでしょうか。
直虎がどのような思いで近藤と手を取り合っているのか言葉にせずとも伝わってきます。
氏真が平気なふりして生きていても心の奥底にある青い炎のような恨みがあるように。

 

確かに今川配下である時代には井伊は逆らえず辛酸をなめさせられました。直虎から見れば今川は加害者に見えるけど、今川から見れば裏切りが日常茶飯事の世界で、その目を潰す事は当然であったことも事実。
実際に井伊は沈みかけた今川から脱却しようとしていました。
裏切ったという意味では、今川にとって井伊が加害者たりえる。
だけどどちらも、ただひたすら戦国時代を生き抜こうとしてただけ。
今川を悪とするなら、生きる事そのものさえ悪であり許されない事になってしまう。
そういう意味で二人とも、よくいわれる言葉を使えば「戦の被害者」であります。
そしてなんの因果か、加害者であり被害者である彼らが同じ「信長暗殺計画」の元に動こうとしている。
ただ、直虎と氏真の違いがあるならば、直虎は仇をうつために行動をおこしてはいない点です。

ファム・ファタール直虎>
氏真との対談のあと、直虎は家康と話し合いの場を持つことになります。
twitterで下記のようなことを書きましたがほんとこの場面は「おんな城主直虎」ではなく「おんな検事直虎」といったものでした。

 

共に戦を避けようとしているという点において直虎と家康には共通性がありましたが、直虎の家康への理解力が高くないとこうもうまく誘導できません。
家康の心の中にある、これを実行すれば!いやしかし!でも!というぐるぐる巡る思考を直虎が口に出させます。

 

織田に報告すれば徳川は安泰→だけど織田は徳川を潰そうとしてるのでは?→じゃぁ、信長を殺す?→でもその後は?結局、乱世が続くわけでは?→だったら織田の天下を邪魔せず、やはり報告?→最初に戻る。

 

この無限ループの中にいるから家康は頭を抱えて踏み出す事ができません。
ここで直虎が家康に「織田にとってかわり、日ノ本をまとめる扇の要になって欲しい。」と発破をかけます。
ここですね、いいシーンなんですけど一歩見方を変えると、直虎が家康にとってのファム・ファタールのような悪魔のささやきともとれるな、と感じます。
あとで家康も直虎に語りますが、だからといってこの戦国の世を変えるための代替え案が直虎にも家康にもまだないのです。
だかこそ、家康はより深く悩むわけで。
代替え案なき状態で天下をとったところでなにも変わらないんですよね。むしろそれこそ正義に見せかけた「悪」といってもいい。
なのに直虎はやってみてなくてはわからない、だけど決めるのはあなただ!というような事をいって去っていきます。

 

もしかしたら信長の天下布武のほうが正しい選択なのかもしれない、それなのになぜ直虎が家康にこそ天下をとって欲しいと思うのか?
推量ですが、信長の政策が直虎にわからない状態です。そして彼女は瀬名・信康事件から信長は恐怖によって人を支配してるような人間に見えているのではないでしょうか。
このやり方で誰を思い出すかといえば今川家が井伊にしてきた事です。
そこで降り積もる恨みはやがて国衆達の今川家への裏切りへと繋がったといえなくもありません。
だかこそ直虎は恐怖政治の限界というものを感じているのではないでしょうか。

 

では直虎の代替え案なき提案は無責任であるか?というともそうともいいきれません。
というのも何故戦がおこるのか?という問いに、食料不足によっておこるものがありました。(武田信玄の侵攻理由がまさにそれ。)
そこを彼女はこれまで内政の充実により回避しようとしてきました。
これをつまり全国レベルで実施することを彼女は夢を見ているのかもしれません。
かといって具体的にはまだよくわかってない状態であると思いますが。

<これからのこと>
家康と直虎に代替え案がないことへの告発と絵にかいたような大魔王である悪の信長の解体が、今作の大河で見れるかとすると、みれないような気がします。
というのも実質、信長のあとを継ぐ秀吉が真のラスボスであるので物語上、家康達はここで「あがり」をまだむかえてはいけないので。
あとは尺の問題により(笑)
すごいメタにかたよった見方ですが。でも信長は最後に彼らの正義になにかものを申すシーンがあるかもしれない。どっちだろ?
いや、けど信長が悪のまま死んで、後になって家康達が彼のやりたかった事に気づく、というのもおいしい。けど、それはまた別の話になるけど。(思考がぐるぐる)

 

話がずれましたが、それでも家康が信長を接待するために道を作ったというところをみると、にやりとさせられてしましいます。
道、つまり高速道路のようなものをつくることにより人、物、金がの流れがそこにはできる。
道は相手が攻めやすくなるというリスクがもちろんありますが、そこで生まれる経済のうま味が戦よりも上回ることができるなら戦を回避できます。

家康は今はまだ代替え案ない状態ですが、これから少しずつ少しずつ学びつつそれと同時に戦に勝つという技術を向上させていくのではないでしょうか。
いつか「戦なき世」をつくるために、今は戦という手段で。