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遺志を継ぐ者の意思の感染~おんな城主直虎47回~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

信康、瀬名を失った家康を支えていく万千代。
この死を無駄にしないためには、彼らの遺志を宿し勝利をいつの日かおさめる事。
家康の止まりかけそうだった時が万千代によって新たに動き始めました。
一方、直虎の方も自分の命の使い道を「戦なき世」を目指すべく、万千代を使い徳川にそれを成し遂げてもらう、
という新たな目標が決まります。

大切な人の死は生きている者の時間を時として止めてしまいますが、前に進める動力にもなる
そしてその小さな決意は今はまだ、若葉のように頼りなく、世間の荒波に押しつぶされてしまいそう。
だけどいつの日かその若葉が大樹となるように、小さな一歩を踏み出さんとする彼らがそこにいました。


<直虎と家康の共通するリーダー像>
信康を失った岡崎では離反する者、後を追うものが絶えないようです。
数正もその一人でした。
家康は彼らの元に出向き、妻と子を失ってしまったのは自身の過失である事、ほんとうは無実である事を知っていたこと、
だからこそ瀬名の望みである駿河を手に入れたい事を語り掛けます。

 

このプレゼンが万千代のアドバイスであったからもわかるように、これは直虎が百姓達が逃散したときに使った手法でした。
「腹を割って話をする。」というとだいぶオブラートに聞こえますが、リーダーが従える者達の現実を正確に認識、共感し、その上で目標を提案するやり方です。

岡崎衆は家康への不信感や怒り・恨みがあります。
だけどそれだけではなく、彼らの心の底にあったのは「信康・瀬名を守り切れなかった自分への呵責」があったんだと思います。
なのに自分達だけ生き残ってしまった。その「生き恥」をどうぶつければいいのかわからない状態だったのではないでしょうか。
だからこそ、二人を守れなかった事の悔恨を家康は自ら口にだしました。
そこで共感を覚えた彼らに、駿河を取るという具体的な夢を与える。
「共感」と「夢」どちらも人を動かすのに必要でした。
この大河の中では上記のような事が出来てこそリーダーの資質足りえる、というような書き方がされているように思います。

 

あともう一つこの結束によってもたらしたものは、信長の徳川の力を削ぐという目的を潰しているという事です。
まったく効果がなかったのかというと、跡取りと正室が失われたのでそうとはいいきれませんが大惨事になるところがソフトライディングしたように思われます。

<新たな人材登用がもたらす事>
籠城する武田に、家康は万千代はある策を語ります。
敵を囲い込むように砦を築き、徐々に追い詰めて我慢できずに降伏させる、というものです。
そしてその武田の者達を丸抱えしようという意図があると語ります。
これに唖然とする万千代。彼が言うようにその甘さでは飼い犬に手をかまれかねません。

 

このやり方も誰かを思い出すといえばやはり直虎。
そしてその原点に誰がいるかと思えば直盛なんですよね。
井伊にとって小野家自体が獅子身中の虫でありました。
直盛自身はどうする事もできませんでしたがいつの日かきっと、という彼の消極的願いは井伊家の忠心の中の忠心である政次を生み出すことになりました。
異質な者を取り込むという直虎もまた、武士らしくない六左衛門、間者の可能性を残す高瀬を受け入れて、それが今回の武田の間者を突き止める事に繋がっています。
六左衛門はそれが顕著に出ています。
武士らしい威圧感はない代わりに、誰とでも隔てなくコミュニケーションをとれるという利点が相手を油断させました。

 

要は人の受け入れるという事は組織にとって新たな情報が入りやすくなり風通しが良くなる事でもあります。
そしてこの多様な人材の登用は既存の価値観では見つからない新たな視点を投げかけてくれます。
ちょうど万千代が家康に榊原達では思いつかぬようなアドバイスを投げかける事ができるように。

長所をいいましたが、このやり方はもちろんやはりリスクがあります。

やはり裏切られる可能性は捨てきれない。この欠点をカバーするにはどれだけ受け入れた人材と運命共同体となれるかが肝になっていくような気がします。
この直虎の過去とと家康の今のやり方が重なっていく様はぞくぞくします。

<覇道の信長・王道の家康>
家康の丸抱え作戦ですが、信長によってとん挫してしまいます。
敵をせん滅させるというやり方に反感を覚える徳川サイド。
といってもこのやり方が何を思い出すかといえば堀川城への仕置きの仕方です。
徹底的に敵を滅ぼすことで、他の地域の戦意を喪失させ、早期の戦争終結へと向かわせる事が出来ました。
前回は忠次がそれを主導していましたが、今回ははっきりと家康自身がそれを行う決断をしています。
瀬名と信康を失い、人の言うことに流されたままでなく、自分で決める!
そう泣き叫んだ彼は信長に押し付けられた形とは言え、それさえも自身の決断として受け止めていく姿がそこにありました。
手段としてはそれは「悪」であるかもしれないけど、それを自覚し自分の責任としつつ、
だが現状を良しとはしない彼は、不器用な悪女の隣に立つまさに優しい悪人となりました。

 

 

さて、信長のやり方を結局は受け入れた家康ですが演出がまるで違う。
家康の周りには家臣がいて一緒に悩んでいるという描写がされていますが、信長は室内といい服装といい「孤高」が見えます。
まさに絵にかいたような記号的な「悪」。
メタなことをいえばわかりやすい悪役を配置しているのでしょう。
家康が敵を味方にするというやり方で、飼い犬にかまれない方法は結局のところ、自分達の外側に敵を設けることになります。
要は身内ではなく外に仮想敵を置くことで結束を固める。
これ自体は登場人物達が意図的にしているというより物語、脚本の流れがそうなっているように私は感じます。
だけど信長が記号的でありながらも完全に悪役とならないのは、やはり堀川城での一件を挟んだからにほかならないからだと考えます。

そして堀川城で徳川は同じようなやり方をしているので、この脚本が告発したいのは彼の冷酷なやり方ではなく
家臣に心を開かない信長であるのではないのでしょうか?
彼は岡崎で腹を割って話した家康とは対象的でもありました。


<この道は政次の来た道>

「戦なき世」を目指すために万千代を支える決断をした直虎。
これまで彼女は誰かに仕える喜びを体験した事がありませんでした。
姫という立場、城主という立場により基本的には誰かを従わせるサイドの人間です。
確かに今川家の臣下でしたが、自分から心の底から喜んで仕えていたというわけではありません。
それを家康に仕える万千代を支えていく事で知っていくのではないでしょうか?
どんな気持ちで政次が直虎に仕えていたのかという事を。
戦わずともよい道を探りあった日々を胸に、戦いのない世を目指しながら。
以前になつは政次は不幸ではなかったといような事をいってましたが、それを自身で体験してやっとそこに思い至るのでは?
と思います。
政次がけして直虎の犠牲になったのではく、彼女の見る甘い夢の中に自身も立ちたいという願いがそこにあったから。
井伊のはじかれ者であったゆえにリアリストで世界の冷たさを人一倍感じていた政次。
だからこそロマンチストな直虎の作る国に懸けてみたくなってしまった。

今は苦い体験もしてきた直虎が現実を見る事でさらに大きな夢をみる、その戦いのの至る先を残り少ない話数で見守りたいと思います。