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不器用な悪女の最期の一手~おんな城主直虎46回~

 

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

武田との内通の疑惑により、信長から信康の命を差し出すよう言われた家康。
表立っては言う通りに動きますが、裏では城を転々と移動させることで時間稼ぎをます。
そのあいだに北条と結ぶことで、それを手土産に助命を嘆願しよう画策する徳川勢。
しかし瀬名が武田と密通していた手紙を残し、どこかに消えてしまいます。
果たして「信康救出作戦」はどうなるのか?

 

つらい、(政次処刑の回から二度目)だが美しい。
もうこの一言に尽きるしかなくて感想もなにも考えられない状態でした。
それは政次をはじめ、先が見えぬ戦いに散っていった者達の姿がありありと思い出されたからもあると思います。
一度も回想シーンを使わなかったとしても、生きる者は死者に二度と会えなくても、
生きている頃よりも彼らの存在を強く感じられる。
私の中では言葉はいらねぇ!考えるな!感じろ!回でしたが琴線に触れたところをぼちぼち、だらだら書いて行きたいと思います。


<逆転する立場・瀬名と直虎>
twitterで家康は直親・政次を見殺しにしてきた因果が巡った、みたいなことを書きましたがこれは瀬名も同じ。
10回「走れ竜宮小僧」の回で直虎は瀬名の命乞いに駆け回ってましたが、いざ直親を助けるとなると瀬名は拒絶しました。
今回は逆に瀬名が直虎に頼ろうとしても、直虎は下手に巻き込まれるのを恐れ帰ってしまいます。

立場は逆転していますが、共通するのは二人とも守るべき物のがあるのでやむえなくという点です。
瀬名にとっても直虎にとっても彼女達は数少ない同性の友人。
それを切り捨てる事も切り捨てられる事、どちらも身を切るような思いがしたことでしょう。
あの時の相手の立場に初めて立つこということはどんな思いがするのか?
その立場に立ってやっと相手が見ていた風景にたつ、というのはよくある普遍性をもった話だといえますが
それが命のやり取りというのが戦国の厳しさを浮かび上がらせます。

<母の背中>
徳川の妻として、母としての死に赴く理由を語る瀬名。
言っていることは武家の女性のまさにそれです。

けどなぜ瀬名がそんな事を言える「立派な」女性足りえるのか?

その理由を武家の女性だから、で通す事も作中可能です。それが戦国時代の女性にとっては「普通」の事だと。
しかしその「普通」に瀬名という女性の動機と人格を描写を少しずつ入れる事で、彼女は記号ではなく、血肉を宿した戦国女性なっていたと思います。

 

幼少時代、氏真の嫁になる!といきこんでいたのは母の佐名のためでした。
やり方がすごく不器用ですよね。
そのころから勝気で、けど優しい瀬名姫。
11回では佐名は娘と敵対してしまい、それが死を意味すると知っていても瀬名に激励の言葉を送っています。
それが自分の望みだとして。
直虎は瀬名に「助けられなかった者、生き残ってしまった者の無念やつらさがわかるか!?」
といってますが瀬名はもう十分にそれを知っています。母の佐名を助けられなかった。
だけど自分に志を託し、生かさんとするその母の背中があればこそ、自分もまた信康のためにとびこんでいける。
あの時死ぬんだと絶望したときに、家康が見捨てないでくれた。
それは人生を新たに貰ったに等しい、だからそんな夫を助けるために命を捨てる理由になる。

 

その過程がサブストーリーとして流れていたおかげで、美しく不器用で優しい瀬名姫の最後の一手が「悪女」になることになんの疑問もありませんでした。
まさに数正が「美しい。」といった時に「なにをいまさら。」という言葉の通り、
ほんとうに彼女は昔から変わらずそういう女性でした。
だけど、死んでからそれを強く思う事になるなんて思いもませんでしたし、ひたすらその事がつらいです。

<走れ!万千代>
表立って動けない家康の代わりにあちこちに駆け回る万千代。
前回、この信康事件は井伊家の今までの歴史を圧縮したものだと書きました。
井伊の時は万千代はまだ幼くそれゆえに何もできなかった事、それなのに周りから「潰れた家」の子だと馬鹿にされることの悔しさを味わいました。
無力な子どもで参加できないつらさがありましたが、今回は無力な大人がベストをつくしても届かない諦念のつらさをあじわう事になります。

 

繰り返される悲劇の中で、出口が見えず自分のその無力さに動けなくなる。
それでも、残された者の役目は意思を継ぐこと。
そんな風に直虎は万千代にアドバイスをしていきました。
それを聞き、万千代は一人で碁をうち悲しみの中に沈んでいた家康に、瀬名のごとく碁石を払いました。
まるで子どもように泣いて怒る家康。

 

このシーンは震えるほど良いところです。
なにがいいって、家康への救いとなっていますが、その救いとなる万千代の大切な者達をかつて見殺しにしたのは家康だというとこです。
その見殺しにした者達が繋げた命に今まさに救われる家康。

 

確かに負の因果は断ち切りがたく続いてしまいがち。
だけどたとえ悲劇に終わったとしても、負けたとしても、それでも
そこにあったのは、ほんとうに悲しくつらい事だけだったのか?
そこには笑顔もやさしさも、悲劇を断とうとする熱意や勇気が確かにあったはずです。
「負」も連鎖するなら「正」もきっと連鎖され、いつかはその「正」が負に打ち勝つ時がくるかもしれない。
その熱意や温かさに祝福されて生かされている万千代は、だから家康の先達となれる。
万千代の中には直親を切らざるをえなかった闇を背負った政次、その政次を切らざるをえなかった直虎に、
光を見出していた彼だからこそ差し伸べられる手だったと思います。


<そしてこれから>
瀬名の首をさしだしても結局は「好きにすれば。俺も好きにするし。」という信長に
忖度しなければならかった家康。
信康を失う事になりました。とにかく徳川の勢力を是が非でもそぎたかったのでしょう。
憎らしいくらい悪役を背負ってますが、そんな彼が描く夢が気になる所です。
その夢の中の一部である堺という都市に龍雲丸が生きているというのはじわじわとくるものがあります。
そして信長は経済によって長篠の戦を制したように、富国強兵をおこなったところはどこか直虎的でもあります。むしろ直虎よりそれを成功させてる。
なのであの信玄でさえ彼なりの義があったように、信長もある事でしょう。
彼にはなんらかのビジョンがあるのかもしれません。
ただ、残酷なやり方をするのであればそこにつく家臣に、そのビジョンを徹底的に共有させないと脱落する者が出てくるが出やすいのはないでしょうか?
それがこの作品で描かれるかはわかりませんが。

 

 

家康も戦なき世を目指したいとしても、それを通すには何かしらの「力」が必要となり
天下取りの椅子取りゲームに参加せざるをえません。
その「戦なき世」をなすには、未来を勝ち取りたいならば、今目の前にある命を捨てていかなければやはりいけない。
第二第三の直親、政次、瀬名、信康、名もなき子の犠牲が出てくるのは必須。
その意味では信長も家康も「悪」という点ではなんら変わらないかもしれません。

大きな正義のために小さな悪を成していく事を彼らはしているのですから