シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

弱点を鎧に、欠点を剣に、くじけぬ心を胸にせよ。~おんな城主直虎42話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

材木を届ける事で手柄を立て、初陣を飾ろうとした万千代。
だけど直虎の策により留守居となってしまいまいた。
この万千代が可愛くて可愛くてですね。
ふてくされつつも頑張り、横取りされてしまい落ち込むも、それを家康が確かに見てくれていた事の喜びが思わずこぼれだすシーンにもう10000点!
って感じでした。

あれだけ気の強い万千代が声を詰まらせ感極まって涙ぐむとか、ギャップ萌えでどうにかなりそうです。
しかも覚悟していてもいざとなるとたじろいでしまうとことかも、理屈に感情が追い付いてなくて最高でした。
今回はこういうキャラクターへの偏愛を感じながらも、鉄砲を導入する新たな戦争のスタイルの変化や材木を通して戦国という世界がどういうものか?
という事を提示していたと思います。
万千代が可愛くて今日も飯がうまい!だけでもいいのですが、個人的にそういった気になる所、疑問点を書いていきたいと思います。

長篠の戦いから漂う堺(経済)の気配>
織田が援軍とはいえ戦場の設楽原にて主導権を握ってます。
そのことに徳川家臣団も不満げです。
ここで織田との仲介役となる信康・数正の気苦労を想像すると大変そうですが、信康自身は今のところはなんとかやっていっているようです。

 

信長の策を聞いてみると、なんと鉄砲を主力に使うという事。作戦の具体的な中身が語られる事はありませんでしたが、忠勝も、よく練られた策と納得がいった様子。
さらっとしか触れられてませんが織田信長の凄みがここにあるように思います。それは二つあって

①戦場で使えるほどの大量の鉄砲をそろえられている技術力と経済力がある事。
②それを実践レベルまで高められるほど戦術としね練り上げられている事。

にあると思います。あくまでこの大河ドラマ内から推測できうる事として書いていきたいと思います。

 

についてですが、言うまでもなく戦争において経済がきってもきれない関係性にありそこを信長が上手く利用しました。
直虎の若いころ種子島の導入についての話が出ていましたが、今川にもってかれうやむやになっていました。
あの頃の井伊は、今川家傘下で軍事力を下手に増強できないという属国ならではの難しさがありました。
状況が違うとはいえ信長は「鉄砲」という新技術を大量生産するほどの実行力があります。

 

この辺はこの大河では書かれていませんが、推測するとこうです。
山に囲まれた土地の武田は自給自足型の侵略国家となり、それを広げるために個人レベルの武力(騎馬武者)が特化し、
逆に信長は海洋型国家の織田は貿易で栄えることで、戦略レベルの武力(鉄砲導入)が伸びた。
それが彼らの勝敗の分かれ目だったのではと。

陸地型国家と海洋型国家については前に塩野さんの本について以下のように触れたのでそちらを参照。

 

国家は、陸地型の国家と海洋型の国家に大別されると、誰もが言う。私には、この二つのタイプのちがいは、自給自足の概念のあるなしによって決めてもかまわないと思われる。 自給自足の概念のあるところには、交換の必要に迫られないところから生れてこないし、定着もしない。このタイプの国家が侵略型になるのは、当然の帰結である。 他国を侵略するということは、ただ単に、自給自足圏の幅を広げるにすぎないからである。 海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年より

竜虎相見える。ミクロなやり取りから戦国というマクロへの問いかけ~おんな城主直虎21話~ - シェヘラザードの本棚

 

 

海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)

海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)

 

 について、ですがこの頃の鉄砲自体は連射する事が出来ず、風雨などの天候によって左右されてしまうのでなかなか使いづらいものがあったのではないでしょうか。
それをあの忠勝が認めるほどの策を信長が提示しています。
ここで詳しく描いてないのでなんともいえませんが馬防柵と鉄砲の合わせ技を使い、ぬかるんだ設楽原へと武田をうまく誘い込んでいます。
(そのための奇襲をおこなったのが、あの酒井だというがなんとも「らしい」という感じですね!)

鉄砲には上記のような欠点がありましたが、前に直之が「種子島」についてこれなら覚えたら誰にでも使えることができる!というような事をいってました。
「誰にでも使える」鉄砲を利用し、普通の人でも「使える」兵隊にまでしてしまった信長が、鍛えられた英傑をそろえる必要があった勝頼に勝ったというのは、
時代の流れを感じずにはいられません。
それが「経済」という人々の営みから生れてきたこともなんともいえないところがあります。

そして軍事と経済を担っていたであろう堺では「茶の湯」が発達していました。
その「茶の湯」で使われる「茶碗」を褒美として授ける信長から、そこでの「商売人」たちとの繋がりが見えてきますね。

その堺にあの龍雲丸もいるかと思うと、彼らのような武家ではない一般人の生命力が確実に戦を動かしているともいえて感慨深いです。
(彼は戦は武家同士でやってろ!と言ってましたが、生きている以上それに無関係ではいられないというこの鬼脚本!)

<かっこいい男達>
家康は信長と違って、武の才能はないというような事をいってましたが「人」を使う才能はずば抜けています。
なぜそのような人になったかというのは、結構今まで伏線がちりばめられていました。(といってもここでも私の妄想ですが)
彼は今川家で「三河のぼんやり」と言われたころから、スズメを手懐けていました。
その頃から「待つ」という根気強さや育成力がうかがい知れます。
ぼんやりしてみえるのは、彼が深く思考の海にもぐってしまうからではないでしょうか。
人質時代、弱気で人の顔色窺いつつ過ごさなければならなかった彼は、人を観察する能力が育っていったことでしょう。
だからこそ万千代の仕事ぶりに気づくことができました。

 

弱かったゆえに伸びた能力というのは、ノブが万千代に語った「潰れた家の子だからこその働きを!」という精神に通じるものがあります。

だけど一見するとマイナスに見えるものでも、うまく利用すれば長所にもなりうる、というのは
言われたらそうだけど実行するのはなかなか難しさがそこにはあります。
だからノブは万千代に「おまえはどうなんだ!」と言われた時に
少し間をおいて「そのつもりだ!今はまだそのつもりだけどな!」
といって返すシーンが好きで好きで。
子どもに説教したけど、逆に自分の覚悟を問われてしまったあの感覚。
ノブは万千代を励ましたが、逆に叱咤激励をうけてしまう形となって、そこがいいんですよね。
立場が違ってもすごくあの時の二人のやりとりは対等にみえて、ここから二人は徳川での同志となっていくんだなぁと思うと嬉しさがこみ上げます。

 

<戦と日常と地続きである事>
この「おんな城主直虎」では戦そのものだけではなく領国経営にスポットライトをあててきました。
それが今回「材木」という戦争の道具にもなる題材を通して、その二つが繋がりをみせたように思います。
武田を例にとっても食料がないから、家臣の恩賞のためにも侵略する、という事が戦争理由として提示されてきました。
ですがそのために大量の木材を消費すると山自身の保水力を低下させ、山崩れや川の氾濫を引き起こします。
そうなると自然と村の人々の生活力や食料自給率がた落ちします。食っていけないからそこからまた争いが生まれ、やはり他の土地を巡って戦いを!となる負の連鎖。

この「治水」も領主の仕事ですよね。前に井伊谷の百姓達も「水堀」について近藤にかけあおうとしていました。
この辺は次回でやるのでどうなるのか楽しみに待ちたいと思います。

 

それにしても国の基盤は「安全保障と食」でありますが、ここにきてその戦のための木材提供「安全保障」が山崩れにより「食」を脅かすかもしれない、
というのはおもしろく直虎達がどう立ち向かっていくか楽しみでもあります。
そして、どちらの「安全保障」と「食」もドラマの中で扱いが公平であるのが好きな所です。