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笑うコダヌキ、泣くコトラ~おんな城主直虎39話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

直親の13回忌がとりおこなわれるという事で、虎松が6年ぶりに井伊谷に帰ってきました。
この虎松が物語の新たな風となり吹き込んできました。。
風というには荒々しく、嵐のような男の子でしたが。
基本的にはここからは彼の出世の物語が話の中でたちあがってくのでわくわく感がすごいです。
かといって虎松から直虎へ主人公が変わったわけではなく、おそらく直虎にとって次世代への「継承」の物語の始まり。
今までは直虎と政次の共犯関係のW主人公でしたが、(←私の中では)虎松の場合、ある種の師弟関係のようなそれになるような気がします。
大人である直虎が「井伊」を今はまだ子供である彼に渡し、そして受け取っていく。

その序章が始まりました。

 

<レベル0からのスタート> 

虎松ですが、彼の中には直虎が言うように確かに色んな人がいる。

絵のうまさは奥山家の祖父から、あきらめぬ猪精神は直虎。策を立て動くところは政次。
情の激しさはしの。人を惹きつける笑顔は直親から。
そして彼はなにより頭がいい。だからこそ、南渓に頼み、根回しをすることで家康の口から井伊家の再興を口に出させる事に成功しました。
自分から言い出さぬことで松下の父への言い訳もいちよはたちます。
美目麗しい若い彼は、亡国の王子として憐れまれる立場がうまく大人の中で作用する事も計算のうちにもしかした入ってるかもしれません。(直親の息子的に)

 

だけど、そんなに甘くない。徳川は百戦錬磨のツワモノどもぞろい。
豆狸たる家康にしてやられます。
今まで彼を囲む大人と言えば母親のしのをはじめ、隠し事のできない六左衛門、人のよさそうな養父である源太郎など。
彼ら相手だとどうにかできたでしょう。
相手をを軽んじてるというわけでなく、世界に対して自分ならうまく渡っていけるという若さゆえの自信があるので。
しかしその自信と戦国の政治力や自分の立ち位置の知らなさから、痛い目にあいました。
小姓ができると思っていたら草履番ではだいぶ格が落ちてしまいます。

 

だけど、なんというか彼のこの失敗は愛おしく思えてきます。
松下の虎松ではレベルがカンストしてたけど、井伊の虎松だとレベルがゼロから始めなきゃいけない。
人生のステージが変わった瞬間、己自身をその世界へのルールにあわせて再構成していく。
これは、直虎がただの「次郎」から城主「直虎」へと変わった時にも起こった事です。
あぁ、そう考えるとあの時「徳政令」を安請け合いした直虎には政次が諫言してましたが、
今回はその直虎が政次の立場となり、虎松に何かものを申すのかもしれません。


<竜宮小僧、スキル「政次」をゲット>
その直虎は、近藤殿が井伊谷を治めていますが裏のボスとして君臨しているようです。
といっても内政面のアシスト役といいますか。うまく近藤と役割を分担しているようですよね。
まるで近藤が太陽で、直虎が月のよう。そういう意味でも、政次は直虎の中で生きているといえるのではないでしょうか?
その役割自体は、政次的でありますが直虎が調整役を買って出てるのは実は昔からなんですよね。
奥山朝利刺殺事件の時も、政次のために駆けずり回り、

気賀で築城するときに反対派・賛成派と別れた時は調停役を買って出ていました。
みんなのために直虎はいまだ竜宮小僧のような心根で、立場は政次的というのは面白いです。
というか、きっと竜宮小僧の魂を二つに分けたのが直虎と政次だったのではと今となってはそう思います。


<「家」とは?>
虎松は井伊の「家」の復興を望んでましたが、この「家」とは一体なんなのだろうか?と思います。
確かに人は特定の「家」がなくても生きていける。その方が直虎にとっては現状動きやすい。これがもっと大きな意味になると、「国」になったりするのでしょう。
それは命を懸けてでも守る価値があるものなのか?そしてその意味があるならば、その「家」を守り伝えていく事は人にとってどういう意味があるのか?
もしかしたらこれから書かれていくのかもしれません。

 

これ、ほんと大河では珍しいのでは?と思います。「お家のために」がスタンダードでそこに、疑問が差し込まれないものなので。
そういう時代なんだよで消化するのではなく、虎松や直虎達と共に考えていけるのかと思うと嬉しいです。
しかも、これがその「家」のために死んでいった男達を見送り、一人生き残った直虎の経験からくるものだというのがいいところです。

 

さて、その「家」がいったいなんなのかは今のところ答えは出てませんが、今回のお話ではそれは「貯金」のように感じました。
貯金といってもマイナス・プラスの貯金があります。
例をとれば徳川にとっては、数々の貢献をした松下はプラス査定。井伊は政次の遺恨と、侵攻の時兵を出さなかったのでむしろマイナス査定。
だから松下の虎松には価値がありましたが、井伊の虎松にはない。そして虎松自身も徳川になにもなしていない。

 

そりゃぁ、草履番も納得です。虎松は豊かな井伊谷の土地を見てプラスを引き継げると思ったかもしれませんが、むしろ借金を背負ってるぐらいです。
これは、直虎が井伊家の家督を引き継いだ時に借金に頭を悩ませたことのリフレインですね。
前の世代が残した宿題を解いていくこそが次世代の役目なのかもしれません。

<虎松の動機>
最後に、彼がなぜその「家」の復興をそんなにも望むのかについてです。おそらく次回あたりに語られるとは思いますが。
虎松がほんとうに井伊の「城主」になる事の意味をわかっているのか?いろいろと気になる所です。

<余談 直政/ZERO>

それにしても、もしこの話から見ればそれまでの38回は、虎松にとってはエピソードゼロ。まさに英傑・直政にいたるまでのストーリー。

彼の登場によって作画というかキャラクターデザインが変わったような気さえします。

そこで、じゃぁ今までどんな話だったのだと私が感じてたかというと

下記の通り。

 

「土着の狭い共同体と『家』。濃い血縁関係が生み出す閉塞感。それらのしがらみがあるゆえに、乱世というパラダイムシフトについていけない者たち。そして・・・」 といったところでしょうか。

負の連鎖の断ち切りと継承の難しさ~おんな城主直虎 - シェヘラザードの本棚

 初期の頃にこんなこと書いてましたが、まさにその閉塞感を打ち破ったのが直虎と政次だったのだと改めて思います。村社会の「生贄」的存在だった彼は、その因果を反転して「英雄」となった。それが、虎松や亥之助達の心に生き続けている。

政次は死のうとしてあの結果になったのではなく、生きようとしたらああなったのが、よりヒロイズムを感じて・・・って話がずれた。(これが政次ロスか・・・。)

ともあれ血族・地縁の横溝正史的因果の巡りが、三世代目の虎松世代ですごく薄まって新たな世界へと飛び出すのがすごく良いです。だけどそれは時間の解決だけでなくどうにかせんとする先人たちの絶えまぬ努力があった。暗闇の出口までひっぱってきた一世代目や二代目に改めて思いを馳せます。