シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

二つの顔を行き来して~おんな城主直虎37話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

家康が氏真と和睦を結ぶことで、一時の平和を手にいれた井伊谷。井伊家の再興をあきらめる事で、新たな生活が各々始まりました。
直虎は還俗し農婦となり、直之・高瀬は近藤に仕え、方久は薬の行商を始めて、祐椿尼は寺に身を寄せてます。
それぞれが近藤の元でのどかな生活を送っているようです。
今回は囲碁ではなく、オセロの表と裏のように色んな人達の二面性にスポットライトがあたったように感じました。
表と裏といってもはっきりと分離してるものではなく、黒と白をいったりきたりするようなとこもあれば、黒と白が溶け合いグレーゾーンがあるような感じを受けました。
それは人だけでなく、穏やかな日常生活の中に戦がいつも張り付いているこの時代のようでもあります。
不穏と日常のジェットコースターだったこの回の感想を書いていきたいと思います。

<穏やかな「日常」と刺激ある「冒険」>
農婦になった直虎は農作業も苦にせず百姓達ともうまくやれているようです。一方、龍雲丸は炭を作る仕事に就いています。
木材盗難事件を起こした彼がいまや、木を炭にする事を生業にするとは何の因果か。
その炭が今の彼を表しているがごとく、幸せで暖かいがどこかくすぶった想いがどこかにあるように見えました。

 

龍雲丸は本来自由な気質な人なので、変化のない土地よりも人の出入りが激しく変化ある土地の方がむいているのかもしれません。
むいているというか、魂が自然と引き寄せられる。それは中村屋から堺で商売の誘いを受けてからうきうきした様子からも見て取れます。
海のむこうに想いを馳せる彼の方が自然な感じがします。
そんな彼に直虎は、堺に行く事を勧めました。そこで龍雲丸は一緒に来ないかと誘いますが直虎は拒否します。

 

ここのシーンはほろ苦い。彼らは生き残ってしまった者としての罪悪感があります。
それが彼らを結びつけたきっかけになったとしても。
ここで炭を売って、百姓暮らしをしてたって愛してる誰かが生きるわけではない。
龍雲丸は上記のような事をいってましたが、ここで私はあぁ、彼はもしかして自分への罰を下してるのかな?と思いました。
本来の自分の性分とは、ずれたことを行う事によって。
風のように自由な龍雲丸は自分を土地に縛りました。

 

 

直虎も政次を殺し、井伊を取り潰した事から井伊を離れる事を自分に許せません。
自由な龍雲丸を見て自由に憧れた直虎が今、目の前に自由があるというのに、つかめずにいます。
だけど、直虎の場合それだけではなく、その自由が「誰かのために。」というのがあるのがややこしい所です。
自分のためではなく誰かのために動くことが直虎の自由なので。
事実、堺行きの件も祐椿尼が「孫をみせるため」という後押しがないと決断できないようでした。

 

この二人の素敵な所は相手のその性分を十分に理解している所です。
直虎が、自由に生きる龍雲丸が流動性のある堺のような場所で生きるべきだと思うように、龍雲丸もまた、武田の襲来に備え、民のために行動したい直虎の意思を尊重していました。

<「私」と「殿」の顔>
その直虎ですが今回は農婦になることで「私」としての普通の女性としての一面と「殿」としての民のために奔走する両方をみることできました。
「私」のときは龍雲丸に女性の影が?と疑い嫉妬する様子が描かれ、「殿」としては龍潭寺・直之達と民を生かすため策をねり、近藤氏の説得にあたっていました。
そのギャップにこちらがやられてしましそうでした。可愛らしさとりりしさが両方直虎の中で存在しているんですよね。
しかし、たとえ「殿」という地位についていなくとも「誰かのために」行動する彼女の姿はやはり「殿」で、どこにいても、その地位にいなくとも、彼女はやはり「殿」足りえているようで感動しました。
「徳政令の行方」の回で百姓達と一緒に田植えで汚れても、なお美しかった直虎のように。
それにしても、近藤に領主が変わっても上に政策されば下に対策ありな百姓の面々。(綿の据え置きの引き換えに水堀りを要求するあたり)
それは直虎にも言えて、上で戦が起ころうとも生き延びるために策を練る。かつて逃散をうけた直虎が逆に、領主側に要求する姿はなんとも面白いです。

<「残酷さ」と「優しさ」は両立する>
近藤は、政次へは戦国武将としての冷酷さや残酷さがでてましたが、今回は仕える者達への優しさが出ていました。
その二面性はけして矛盾せず、前に祐椿尼が「戦をするのは功をたてる者に土地を与えるため。」といってたようにそれはつまり、家臣達のためでもあります。
優しく部下想いゆえの行動をとれる近藤だからこそ、政次を罠に仕掛けた時に直之が近藤の兵を捕えようとしても、その兵は自害を選びました。
直虎達に部下達が近藤の手当てをして欲しいと頼み、近藤が歩けるように回復した時もほんとうに彼らは喜びました。近藤は本当に慕われているのでしょう。

 

その近藤と直虎は材木の件から負の因果が続いてましたが、今回は直虎が近藤の命救った事で聞く耳をもってくれたように思います。
負の因果が巡るなら正の因果もまた然り。別に近藤が情にほだされたというだけでなく、直虎が政次との遺恨を持ちながらもそれでもそれに囚われず、民のために動ける人間だと知ったのが大きいかと思います。

 

これは材木事件の時のリフレイン回であり、すべてを分かり合い、許しあってはいませんが相手がどんな人間か知ったうえでの信頼関係が出来ているような二人でした。
というか材木事件の時は近藤にとって直虎の未熟さゆえに対等ではなかったし、近藤自身も彼女をあなどっていましたが、政次処刑を機に城主である直虎を見始めたように感じました。
城主でなくなってから城主である直虎に「領主」の形を見、対等になるというのは、いやはやなんともいえない趣が。(語彙力行方不明)

<「虚」が「真」になった?>
さて間者疑惑があった高瀬。やはり疑惑ではなく本当に間者であったようです。といっても武田の間者が脅して言うことを聞かせているあたり、武田に忠誠心があるわけではないっぽいですね。
お前はどこの家の者だと聞かれたら井伊の者だと答えると言っていた高瀬の言葉に嘘はないように思います。始めは間者として武田よりだったかもしれないけど、そこがもう高瀬の生きる場所ではないでしょうか。
もちろんそれは私の願望がはいってますが。というか、「虚」で始まった生活が「真」になってしまい、どちらの自分が本当かわからなくなり悩むのは、諜報員の物語としてよく見られるように思います。
だからこそ父親がいなかった高瀬が、未遂に終わったとはいえ父親的優しさを持つ近藤を毒殺しなければならなかったのはつらい。
任務失敗したことで、炎に導かれるように歩いて行った彼女はどんな気持ちだったのでしょうか?

 

<余談>
人々の生活にフォーカスをあてた場面が多かったですがやはり戦国。武田の遠江侵攻は破竹の勢いです。信濃駿河の二方面から徳川領へ。織田へも同時に侵攻し、上杉は一向一揆
武田包囲網もなんのそのでやってくる信玄公。ここまでくると上杉の一向一揆も工作したのでは?との疑念が生まれてきます。高瀬を送り込むだけの余力がある国ならばそれぐらい不思議ではありません。
しかし「明日は今川館が焼け落ちてるかもしれない。」の名の通り何がおこるかわらないのがこの時代でもあります。そんな戦国を直虎が井伊谷の人々とどう生き抜いていくか楽しみです。