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瓦礫の下の消えない灯火~おんな城主直虎35話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]


二回連続でハードな展開だったので、今回は寂しさと穏やかさと笑いと明日への希望がつまってました。
ただし、このあとお怒りモードの武田が来るんですが。いやぁ、ほんとあのお方はいつ来るのでしょうか?
さすがに次回はないとは思いますけど次々回あたり怪しいですね。
そんな現実からは今は、今だけは目をそらしてつらつら書いていこうと思います。

<厭離穢土はまだ遠い>
堀江城を無事に攻め落とした徳川サイド。逃げ出す民まで殺す苛烈なやり方をとった酒井に家康は、諸手を挙げて喜ぶ事ができません。
ですが酒井の言う通り、これにて後方を気にすることなく早々と掛川を攻め入る事が出来ます。
それがわかっている家康だから酒井の事を責める事が出来ないんですよね。
犠牲になる者達に対して心を痛める彼は、どこか「情」に走りやすい可能性をもっていながら実際にはそうならない。
家康は家臣に担ぎ上げられている状況とは言え、戦をそこそここなしていきます。
しかし戦の才をもちながらも戦を忌避する心根があります。
この彼の能力及び性格形成には今川での日々があったのかな?と想像します。
寿桂尼が死にかけてる時に夢で見た見たあの日の美しく穏やかな日常、その中で学び育てば自然とそのような日々を希求してもおかしくはない。
そして彼は一人で碁を打ちながら、論理的思考を鍛えていく。
だからこそ今の彼は夢見がちでありながらも現実的判断が下せる。
32話の感想で寿桂尼の才能を継いだのは家康だといいましたが、氏真と邂逅した時、この二人は本当に今川という一緒の学校で育ったんだなぁと思いました。
氏真は家康のように戦の才や技術が足りないかもしれませんが豊かな文化あふれるあの日々を家康と確かに共有しています。
立場が違っても才能に差が開いても、通じてしまう何かがある。たとえ口に出さなくとも。

家康はこれからその「才」と「心根」がこれからどう一致させ、この戦に溢れた世界と向かい合っていくのか気になっていくところです。
だけど氏真の言うように、戦が蹴鞠で決する世界はありません。蹴鞠が上手い者を巡ってまた争いが生じるから。
生きる事が戦いなら、誰もその「業」から逃げ出す事は出来ない。
だけどそれでも、それでもとその現実を直視しながら見る家康の夢は一体どんな形になっていくのでしょうか。


<白黒つかないこの世界>
乱世というものを書く以上、そこには勝者と敗者、善と悪がありますがそれは非常にあいまいでまさに白黒つかないグレーゾーン。
生きる事は、ことさら戦の中では加害者であり続ける事や被害者であり続ける事を許してはくれないしそれほど甘くない。

例えば、堀江城での戦いで負傷した近藤家の者達。彼らの手当てを最初は嫌がりながらも現場へ駆けつけた直虎。
政次を死に追いやった張本人である近藤本人が重症の怪我を負っていました。
そして政次の事で何もできずただ傍観していたと悔やんでいた鈴木が死に、その残された幼さが残る息子が戦場に駆り出される。

直虎の中ではかれらは悪役で加害者そのものでしたが、血を流しながら自分に怯える姿や戦場で散ってしまうかもしれない若い命は、戦場の被害者でもある。
そして同じ戦のもとで必死で生き抜かんとする仲間でもあると感じたのではないでしょうか。
仲間というのはいいすぎかもしれませんが、共感めいたようなもの。
直虎は生来の善性から相手も同じ人なんだと思ってたら手をさしのべてしまう。
かといって共感したり、相手の事情がわかったからといって政次の事を「仕方ない」とは割り切れない。
この「相手を殺してやる」と「いや、そうじゃない。殺したくない。」が心の中で揺らぎになっていく。
例え勝者になったとしても虚しさは残る。悪役がこの世界にいないなら、己に絶対的な正義はない。その時正しいと思った選択も間違えかもしれない。
それでも大切な者達のためには答えのない未来のため終わりなき戦いに身をおいていく。

今後直虎にこの事がどう影響あたえていくかを見守りたいです。

<命や想いのバトン>
井伊谷の住人たちは政次の物まね大会や、子供らの囲碁の中に政次の存在を感じています。
なんだかこのシーンを見ていると思わず自分もその場にいるような錯覚を覚えました。
「わかる。政次ってそういう表情あるよね。」と隣の誰かに思わず言ってしまうような。
メタ的にみて政次の事を知っていた視聴側の自分が、やっと彼らと心を共有できた気がします。
政次の命は燃え尽きてしまいました。だけど彼らの中に、それはともし火となって永遠にこの世界を照らし続ける。
政次だけではなくきっと誰もが命だけでなく記憶や想いのバトンを受け取り、そして次へと伝えていくランナー。ずっと昔から続いてきたことで、これからも続いてく。
その想いを確かに受け止めた者は、自分が誰かの永遠に残ることを確信できるがゆえに、時として命を投げ出してしまえるのかもしれません。


<寄り添う雛鳥のように>
南渓和尚とのギャグシーンが差し込まれ、飄々としてみえる龍雲丸。だけど彼の立場は非常につらい。
直虎は、なぜ役立たずの自分が生き残ってしまったのか?と彼にいってましたが、龍雲丸もそれは同じ。
そこには自分だけが生き残ったという思いと同時に、みなを守るべき立場のリーダーである自分が生き残ってしまったという思いもあるでしょう。
自分の命を差し出すことで、井伊を守った政次とは対照的に。
城を守って、自分を生かした父のようにもなれてない。
みなが生きてさえいれば負けじゃないと語った彼の横に龍雲党達はいない。
笑う事で偲びあえる井伊谷のような仲間が。
だけど、それでも同じく上に立つ立場の直虎が生きててくれて嬉しいと涙ながらに言ってくれることはどれだけ彼の救いなった事か。
この先、彼はどうなっていくのか、龍雲党達の生死によっても変わってきそうです。彼の本当の復興はそこから始まるのかもしれません。

<おまけ>
あんな大惨事が起こりながらも、銭の犬とし商売の気配を感じる方久は相変わらずで凄く好き。
けど薬は時として毒にもなりうるからなぁ。気を付けてほしい。だけどやっぱりその清濁併せ吞んだとこが彼らしくもあります。