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そして虎は、荒野を駆ける~おんな城主直虎34話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

政次の死でショックを受けたので、次回からはしばらく明るい話でよろしくな!
と、思ってたところで今回のお話。しかも武田はまだ来てないという。
ちょっとこっちは精神的にぼろぼろで頭が正常に働いてない中、感想をまとめていきたいと思います。

<政次が死なないIFの世界に迷い込む直虎>
政次の磔は見てるこちらもつらかったですが当の直虎は精神は想像以上に壊れており短期の記憶喪失になっていました。
その壊れ方が痛ましくて、南渓達もどう接していいか手探り状態。
政次を死んだ事と直虎自身で殺した事の重みに耐えきれず、心が防衛反応をとっている状態です。
それでも直虎は政次の存在自体を記憶から消したわけではない。
存在そのものをなかった事には出来ず、近藤達が乗り込む前の時間軸に戻ってしまいました。
直虎のこの心の在り方は、どうすれば政次が死ななかったのか?という後悔の裏返しであると思います。
政次死亡の回避ルートの条件が近藤の企みを事前に知る事であったとのだと、直虎は考えている。
だからそこで時間が止まる。
そして「但馬の苦労が無に帰する」というセリフからも裏を返せば、無に帰してしまった自分自身への許せなさがここにあるのではなでしょうか?
ここで何が一番心のくるかというと、その壊れ方のなかにも「どこで間違えたのかを確かめる。」という政次のやり方が息づいている事なんですよね。
もはやそれは無意識レベルで、彼の生きた証を直虎の中思わず見つけてしまったようで涙が出てくる。
そんな彼女を現実へ連れ戻すのは政次の辞世の歌。そして場所は直親と政次と直虎の思い出がある井伊家の井戸。
この井戸はやはり「死」と「再生」の舞台なんだなぁと改めて思いました。

<戦国椅子取りゲーム>
堀江城を攻め落とした酒井。トップである家康に純粋性を保たせたまま、汚れ仕事は自分がやるというのは、まさに徳川版の直虎と政次。
しかしながらとりわけ汚いやり方だとこの物語は示しません。
引間城を拠点として掛川にはやく攻め込まなけれなならない。そして同時に堀江城も攻撃を仕掛けています。しかし堀江城にもたついている。
ここでなにより必要なのはスピードだと、酒井は考えたことでしょう。そのためには堀川城を徹底的に潰していく必要があります。そうすればほかの地域は恐れをなして降伏していく。
その結果、堀川にいっていた人員を掛川のほうにもっていく事ができます。酒井は悪意はないけど、ただひたすらに戦場のリアリストなのでしょう。
まぁ、けど家康との信頼関係が前提にないとこじれるので、このさきの酒井と家康の関係性はどうなるのか見ものです。

 

 

そしてこれは堀川城が徳川の生贄として選ばれたいう事です。ここである因果が巡っています。
井伊は小野家や政次をスケープゴートとしてまとまり、戦ってきました。
だけど、より大きな外部のマクロの波に巻き込まれると、その井伊(直虎)が徳川に戦争の手段として利用されてしまうし、切り捨てられてしまう。
政次や井伊谷の民ではないとはいえ、ゆかりのある気賀の人々が犠牲となって。みな直虎にとって大切な者達です。
ただそほんとそれは「生贄」の順番が回ってきただけだといえて。その椅子取りゲームに負けたくなければ、必死に食らいつくしかない。
政次が奸臣であれば、気賀にいる人々(龍雲党、商人達、方久)との絆がなければ背負う事がなかった直虎のこの「業」。
ここまでの脚本の積み重ねは、ちょっと恐ろしいものがあります。

<善意がまたも災厄を呼ぶ>
30話の「潰されざる者」の回で、百姓達は善意から徳政令撤回を申し出ました。それが直虎達の計画を狂わすとも知らず。
そして今回も、方久含め中村屋達が気賀のためにと動いた結果、それが虐殺へと繋がりました。
政令の時は政次と直虎が動く事で、その場をおさめることができましたが、今回は直虎は放心状態。
その悲しみに暮れている最中にも、世の中は動き龍雲丸の命を危うくしてます。
本来なら方久が動ければいいのですが、彼は根っからの商売人であって政治家でも軍人でもないんですよね。
平和の時ならいざ知らず、有事の際にはこれが弱目にでました。

 

 

そして龍雲丸達の、気賀の民を助けようとしそれが台無しになっていく様がほんとうに悲しい。
アウトローだった彼らにとって、気賀はどうにか手探りながらも築いてきた居場所だったことでしょう。
自分達(龍雲党)だけが世界のすべてだったのに、その気賀までが「我がこと」のようになっていた。
彼らが民を救おうという思いは、別に国のため、城のため、主君のためとかいう大義のためじゃないんですよね。
別にそれが仕事でもないし、ヒーローであろうとしてやってるわけじゃない。
ご近所さんや、地元の人たちのためにやらなきゃ!そんな等身大の気持ちゆえの行動だからこそ身にしみるとこがあります。
そんな地元愛のようなものが潰されていくのを見るのはつらい。
もし今、自分の身の回りでそれがおこったらと思うとぞっとします。

なんだろ?地元の気のいいヤンキー気味の兄ちゃんたちが、戦争に巻き込まれて死んだらこんな感じなのかな?とリアルに想像してしまってる感じなんですよね。

<一言>
戦によって愛する個が奪われていく事を丁寧に書きながらも、そのつらさに溺れていく事を許さない厳しさがこの話を覆っているようでした。