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物語同士のつながりが好き

医療ドラマから見えてくるもの~シカゴ・メッドとコード・ブラック~

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医療ドラマの傑作といえばER緊急救命室が有名で、個人的にも大好きな作品でした。
それと同じレベルで「好き」いえる作品にはもう出会えないかな?と思ってましたが
ここで紹介する「シカゴ・メッド」と「コード・ブラック」が面白い。
この二作品を見る事で、気づいたことがあるので感想というより自分用のメモとして残していきたいと思います。


<「死」を通して>
病院が舞台である以上、そこにいる医療関係者はみな「死」というものに対峙します。
それはつまり、「死」を前にして、その人がどういう風に生きたいのか?生きるとは何か?という「生」を同時に問われやすい。
彼らの使命は「命」を救う事。だけど、時として患者は自分の「命」より大切なものがあり、それを優先しようとする。

 

例えば長い闘病生活に疲れ果て、蘇生措置を拒む患者。
新薬による治験の可能性がそこにあったとしても、僅かの希望から絶望に叩き落されるより「死」を選ぶ。
なんとかあきらめないで欲しい医者のウィルと自分の意思で命に見切りをつけたい患者のジェニファー。
ウィルは病気で母親を亡くしており、可能性が少しでもあるなら「命」を投げ出すことをどうしても認める事ができない。
しかしそれは他人の自由な生き方を否定している事になる。例え、それが「死」という選択だとしても。
家族でもない人間がそれを強要するのはある種の傲慢さがあるかもしれない。

 

だけど私はウィルのこと、全否定しづらいです。ジェニファーから見れば自分の意思を邪魔する悪であり、無駄に苦しみを与える存在でした。
ウィルも最後の方は自分の選択が間違っていたと思い始めます。
だけど彼が最後まで命を助けようとした事実は、彼女の死後、葬儀で彼女の夫から

「ジェニファーをあきらめないでくれてありがとう」

のセリフで少しだけ肯定されているような気がします。
看病生活に疲れきってしまっいる夫。どこかで生きていて欲しいという思いがありながら、けど妻はそれを求めていないし、求める事は彼女を苦しめるかもしれない。
そんな自分達でさえあきらめようした命を、救おうとしたウィルは悪魔であり、また同時に天使のような存在でした。

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<カオスの中の決断とヒーロー性>
「シカゴ・メッド」と「コード・ブラック」、どちらも救急医療の名の通り緊急性があり、スピードが求められています。
そのスピードによる緊張感を見せてくれるのが「コード・ブラック」です。
そもそも患者の救急処置室の許容量を超える緊急事態(コード・ブラック)が年間300回も発生するという設定なので
現場はいつもてんやわんやで張り詰めた空気が漂っている場面が多い。
一見すると何が起こっているのかわからなくて見ている方も混乱してきます。
研修医たちはその中でおろおろしながらも、その中で指導医が彼らに教えながら命を救っていく。

 

ただ、そこには明確な命の優先順位がある。余裕がないので全ての人にいつもベストな医療が施せるとは限らない。
だからこそ、ベストでなくともセカンドベストを、そうじゃなくともベターを。
その重い決断がほぼノータイムで求めらる。時間も人材も足りない中で。
しかも、その時の決断がいつも正しいわけじゃない。「命」を取り扱っている以上、間違う事が許されないというのに。

 

それでも彼らも人間なんで間違う時だってあるんです。
だから後悔を抱える時がある。だけど今日の患者を救えなかったとしても、明日の患者を救うべく立ち上がっていく。
その姿は私にとってはヒーローのように見える。
救うからヒーローでいられるわけじゃなくて、失敗しようが救い続けるその在り方自体にヒーロー性が宿ってるような気がする。
自分が救われる立場だとして、それに失敗したとしても、

救おうとしてくれる人がいてくれた事、そのヒーローが少し落ち込んでも、明日の自分と同じような苦境に陥ってる誰かを救うような人がいる事、
その事実そのものに救われていくような気がします。

 

この二作品は間違いなく面白いといえるのでお勧めです。