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届かなかった夢を持った者達に祝福を~少年ハリウッド~

小説 少年ハリウッド 完全版 (小学館文庫)

このブログで少年ハリウッドについて触れるのも今回で三度目。
アニメの放送が2015年で終わっていますが、最終回の完全版を作るプロジェクトが進行中だったりと、ファンも彼らも出会ったあの日から生き続けてます。
そりゃあ、日々の生活で「少年ハリウッド」のことばかり考えているわけじゃない人が多いとは思う。
だけどふとしたときに、彼らの事を思い出したり、アニメを見直して明日の元気をもらったり、他のアイドルを見る時には、確実に少年ハリウッドの影響を受けずに見てないとはもう言えない自分がいる。
もはや、無意識レベルで彼らの事を考えずして人生や世界を眺めていることがあって、あとになって「あぁ。自分のこの考え方は、確実に少年ハリウッドの影響を受けてるんだな。」と思う事もしばしばあります。
「いつも」思ってなからこそ、「いつでも」彼らが自分の中にいる事がたまらなく嬉しい。
そんな「物語」に出会えた事に感謝しつつ、定期的に彼らからもらった「気持ち」をここに残していこうと思います。
といっても今回はアニメの方ではなく初代が書かれている「小説 少年ハリウッド」についてちょっとだけ思ったことを書いていきます。
なのでこの小説のネタバレをがんがんしていくのでご注意を。

 少年ハリウッド」はアイドルのお話なので「夢を叶える。」という事の煌めきがちりばめられているんですが、それにも関わらず根底に「夢が叶わなかった。」というものがある気がします。
そもそもアニメの「少年ハリウッド」が二代目のお話なんですよね。そこにはもちろん初代少年ハリウッドがいて、彼らのアイドルという夢は確かに叶ってはいるんです。
だけど「永遠にアイドルであり続ける。」という夢には破れたんです。
だからこその二代目。初代ができなかったことに挑戦するという意味で、この物語は「バトンを受け取り、バトンを渡す継承というものについて語られていると思います。
この「継承」という切り口を個別で見ていくときりがなくなるので、またの機会に書いていこうと思います。

 

<夢をもつ者の剛と持たざる者の柔>

さてタイトルにもある「届かなかった夢を持った者」とは誰なのか?というとずばり「正人」です。
彼は桜木広司(アイドル名・柊剛人)の友人かつシェアメイト。昔はカメラマンを目指していたようですが、三十前半の今では、会社員として勤めています。
広司が十代と間違えられてスカウトされアイドルという世界に足を踏み出す一方で、正人は「こちら側」に引き留めようとします。
正人は叶えられなかった夢をもつどこにでもいる普通の人です。仕事終わりのビールに幸せを感じるような。すごく「現実」を正しく生きている。彼の名前の通りに。
そんな自分と同じだと思っていた友人の広司はその「正しさ」をある日投げ出してしまう。
自分達は柔軟に現実に対応していたと思っていたのに、友人だけ夢の世界へとびこんでいけるだけのダイヤモンドのような堅く強い何かを手にいれてしまった。
ここの正人の気持ちを考えるとすごくつらい。彼は広司を見ると、まるで夢をあきらめた自分の人生を否定されているように感じたのではないでしょうか?
正人は嫉妬してた、といってますが、なんというかその一言のなかにはいろいろな感情があるような気がして。
けど、ここで自分の感情に素直に認める事ができる正人はかっこいい。そして夢に届かなかったからこそ、広司にあるプレゼントを送ることができる彼は超がつくほどかっこいい大人なんです。

そしてどちらの生き方も正しい。そこに人生への「剛」と「柔」があるだけで。

どちらもあるから世界は成り立っている。
書かれてなくともダイヤモンド(金剛石)の原石のような剛人は、ファンという名の太陽の光が届いてこそ輝きを放ったでしょう。

そして柊剛人のアイドルであり続けたいという夢は砕けてしまい、普通の広司に戻ったとしても、そのかけらは次世代へと受け継がれていきます。二代目の「少年ハリウッド」として。