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父親たちの亡霊とどう向き合う?~おんな城主直虎27話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

方久から気賀の城主になってはどうかと提案された直虎。
ちょうどいいタイミングで、中村屋が町衆を連れ、大沢ではなく直虎にその気賀を治めてほしいとの申し出がありました。
できるものならやってみたい直虎のようですが、さすがに現実問題、超えていけないハードルが多くて一晩考えました。
というか、政次に相談した直虎さん。徳政令の時のように安請け合いしていた頃を考えると、彼女自身の成長と政次との信頼関係もここまできたんだなと感慨深くなりました。

しかしなんといっても方久さん!
直虎を気賀の城主にすべく、銭の犬こと方久が己の才覚を最大限に利用して奔走していました。
今回はもはや直虎スピンオフ「銭の犬・瀬戸方久」といっても過言ではない!というのは私が方久びいきだからでしょうか。
しかしながら、やはり戦国の世、井伊が内部で気賀の管理者を狙っている間にも、武田などの外交関係が厳しくなってきているようです。
そんなマクロの事情に振り回されつつも、自らの「生き方」にあがく三人の男達にスポットをあてていきたいと思います。

 

 

<賢いがゆえの愚かさを抱える氏真>
武田義信の自害により今川との同盟が危うくなり、家臣たちも氏真に機嫌を窺うようにしか意見を言わない状況。
今川の急伸力が落ちることで、家臣達は自分に従順だったわけではなく父親の権威に従っていただけだ、と気付いてるんだと思います。
「どうせ、余は能無しじゃ。」と言うセリフから、彼の自信のなさがみてとれます。
25話でそんな氏真には直虎のように信頼できる仲間がいるんだろうか?と書きましたが今回のでますますそれに確信を深めたといいますか。
この二人はほんと対照的なんですよね。優しい配偶者もいて、氏真には偉大な父親と超えるべき祖母がいる。彼には「父殺し(精神的な意味で)」という人生のテーマがあるけどなかなかそれが解決できない。
かたや直虎の父親の直盛は優しい人ではあったけど、超えていくという対象ではないので、それがプレッシャーとなることはありませんでした。
どちらが為政者の育つ環境として恵まれていたかというと、寿桂尼という教育者もいる氏真です。
ですが何もない状況だからこそ、自らの手で切り開かなければならなかった直虎には頼るべき仲間が多くいるというのは、まさに「人間万事塞翁が馬だと言えます。

 

ただ、今川義元は本来なら松平元康を氏真の片腕にと考えていたようなので、そこが機能していればまた違った未来があったとは思います。
正直なとこ、彼は憎み切れないとこがあるというか自信がないだけで、けして頭は悪くないと思います。外交情勢や自分の器に気づけるだけの賢さがあるからこそ、悩み苦しむ。
今、その器がなくとも、悩む時点でそれを越えられるポテンシャルがあるのですが、彼がそれにそれを理解する前に残酷なマクロの波が襲ってきそうです。
経験値が足りてなかろうが、準備ができてなかろうが、人生にそれは突然にやってくる。

 

 

<あの日の自分達を救う。龍雲丸>
そんな悩みの渦中にいる氏真に対して、自分なりの「生き方」を見出した男が一人。龍雲丸は前回、直虎に「できもしないくせにいうな!」と啖呵をきっていました。
が、それはつまり、直虎がそれを実行に移そうという心意気をみせればその言葉は彼自身にかえってくるものです。「あの尼小僧さまは、やろうとしている。じゃあ、俺は?」
と自分自身に問いかけなければならないからです。
彼ら龍雲党がこじんまりじているうちは、気賀から抜け出すという手もありました。
だけどいまや大所帯。守るべきものが増えた彼には、そのための「何か」が必要です。
前回、「城」は彼にとって「死」や「大事なものを奪われた。」という象徴だと書きました。
今回、そのトラウマの象徴である「城」を自らの発想の転換で、「大事なものを生かす」ため、捕らわれぬための「城」へと昇華しました。

 

ここはすごく心にくるシーンで、彼は人を生かす城を目指すことで、あの幼い日々に逃げ落ちた自分と城を守るために死んでいった父を救っていったのではないのかと。
父親の生き方をどこかで認められなかった。あのときの自分は無力で何もできずに逃げるだけだった。そんな心にいる自分達を。
彼の父親は「城」のために死んだのではなく、「城」が人を守るから、結果、命を投げ出すだけ事になった。
それはけして無駄死にじゃない。もちろん、生き延びる上で身についた龍雲丸の盗賊スキルも。
なにかを「守る」という点で龍雲丸と彼の父親は今、同じステージにたっている。
盗賊業に嫌気がさす心は侍で、やり方や手段は自由な盗賊。その二つは矛盾しているようで、実に彼らしい。
そんな彼にしか建てられない「城」を龍雲丸の父親もきっと誇りに思ってくれてるのではと想像してしまいます。

 

 

<銭の忠犬!方久が走る!>
上記、二人とは、もはやまったく違う次元で軽く人生を飛んで行かんとするのは方久さん。
彼は関口氏には袖の下を渡して、井伊が気賀を治める時の分け前を通すと匂わす事を言いました。
そして他にも城の普請を受け持つ大沢氏には、商人という忠義不確かな町を抱えるより手放した方が得策ではないかと遠回しに提言していました。
もうここは、方久オンステージ。商売人の彼は人の「利」や「欲望」をそれこそ犬のように嗅ぎ付けます。相手の欲するものが何かわかって取り入ろうとする。
直虎と出会った日に、彼女に硯を送った彼の本質はちっとも変っていない。己が銭を稼ぐためなら、フットワークは井伊で一番軽いさを見せる。
だけど「解死人」という社会に、はじかれた存在が「商売」という媒体を通していまや人や物を繋いでいく。その繋いだ中でこそ、銭は動くと彼は知っているから。
動かぬ銭なぞ商売人にとって、意味はないでしょうから。
誰かのためでなく、己のために動いてるのに結果、誰かのためになっている。
そんな彼は、自分の卑しさを正しい形で社会に還元しているという点において、直虎の目指す「世」のローモデルの人間といえるのではないかと思います。

 

 


<政次について>
方久の裏で政次も直虎の策に積極的に協力してくれてました。
しかしながら、井伊家でいろんな危機を乗り越えるたびに、その輪の中に政次がいないのは方針とはいえ歯がゆい。直虎と分かち合えてるとしても。
人の中にいるというのに、いつでもそこから抜け出せてしまう危うさをはらんでいて。ほんとなら、そこに、直之や六左衛門、方久達とも絆が出来てたかもしれない。
なんか今回、感傷的になりました。エモーショナルによっちゃうのは、いつもの事なんですが。
来週もかの歩く災害・信玄公が出てくるようで楽しみです。