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虚構の存在が現実に伝えてくれること~きみはほんとうにステキだね~

きみはほんとうにステキだね (絵本の時間)

最近というかほぼ週刊・直虎感想!になりつつあるこのブログです。
その脚本家の森下佳子さんについて、最近私は以下のように書きました。

脚本家の森下佳子さんの作品に出てくる人物はキャラクター(虚構)的でありながらどこか生生しさがあって「生」を感じます。
「物語」なんだけど、ものすごく彼らが「生きてる」と思えて。「話」自体は竜宮小僧が出てきたりして神話的なのに、彼らが確かに「いる。」
この人物達の「実存感」は演者の方々の力と合わさって爆発力を増し、ほんとこの先誰が欠けてもつらくしんどいです。
だけど、この先も見守っていこうと思います。


それは確かに彼女の凄さなんですが、キャラクター(虚構)的というのがダメとかでは、ぜんぜんそうじゃないんです。
例えば、絵本や童話なんかは、とりわけ複雑な「人間」の心を受け止めやすくするクッションのような役割を果たしていると思うんですよね。

私の大好きな絵本で宮西達也さんの「ティラノサウルスシリーズ」というのがあります。もう、読み返すたんびに泣いてます。

 

主役のティラノサウルスは、力がつよくてあばれんぼうで自分勝手なもんだから他の恐竜たちに嫌われてます。

ある日、死にかけたところをたすけたエラスモサウルスに助けられた事から、彼らの友情が始まるのですが…。

 

最初、ティラノサウルスは友達といえる人がいないんですよね。強いから一人でも生きていけるので。
だけど自分が弱った時に、手を差し伸べてくれる存在に、ここで出会うわけなんですよ。
自分の心を自分だけが占めていた彼に、初めて他者が存在がするようになるんです。
その分、彼は自分があの悪名高いティラノサウルスって伝えられなくなるんですよね。
もし、ほんとうの事を言えば相手は離れていってしまうかもしれないという恐れや、嫌われたくないという思いがあるから。
そして、友達ができることで、ほかの恐竜達にも優しく接することができるようになるんです。
孤高に生きてきた彼にとって「生きる」ことの基準は強いか、弱いかのどちらかだったんだと思うんですよ。その弱肉強食の世界観はすごくシビアなものです。
だけど誰かといることで、世界を柔らかく受け止められるようになったんだと思います。だから他人に優しくできるようになった。
そんな彼も今まで自分がやってきたことのむくいを、最悪な形でうけることになります。他者を傷つけることは、どういう事なのかを身をもって知る事になる。
なんというか、因果応報といえばそうなんですけど、大切な他者が出来た人生の代償があまりに大きくて。
もし、誰かを大切に思わなければ、今もなお一人で生きていれば、知ることのなかった痛み。他者を愛するということは生きていく事の喜びと、それを失う恐怖を同時に抱えているそれを知ってもなお、彼は出会えて良かったと思うのか、それとも出会わなければこんな思いをしなかった、どちらを彼は最後に思うんだろう?
いや、どちらも思うかもしれない。
読み返すたんびにそれについて考えるけど、多分それは現実の自分に問われている。
誰かと生きるという事はつまりその問いかけに、必要な覚悟をすること。普段はなかなか感じる事はできないけど。

 

 

 <虚構の世界から現実を見る>

自分達の生きている「世界」はわかりにくいんだけど、徹底的にシンプルな形に落とし込むことで、逆に「真実」に触れやすくなってるんだと思うんです。
そこに、いわゆる「リアリティ」はなくとも人の心を揺さぶってくる、それが物語の持つ力なのではないかと。
物語を通して「世界」をのぞき見る事で、虚構的な彼らが、生きる事はどういう事なのかを確かに伝えてくるんですよね。
まぁ、難しい事考えなくたって、この話は面白いから、読める明日が楽しみだ!と思わせるだけで、物語は超強いんだ!と思います