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竜虎相見える。ミクロなやり取りから戦国というマクロへの問いかけ~おんな城主直虎21話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

前回の隠し子事件からの女達の友情の芽生えから、今回はうってかわって気賀に営業を領主自らかける直虎さん。
そこで名前も知らずアドバイスを受けてた「盗賊の頭」と思わぬ形で再会することになりました。
ていうか銭を子供に掏られて追いかけたら、逆に捕まり身代金要求され、それに振り回される井伊谷の人々という話なのですが、
武田・今川・織田勢などののマクロが大きく変化していく中で、それでもミクロにフォーカスをあていく実にこの大河らしいお話でありました。
といっても、直虎と盗賊の頭である龍雲丸との問答はかなり興味深く、そこから戦国の世がどうものか見えてきました。


<そもそもなぜ国が侵略するのか?>
が、その前に「領主なんて他人の土地を奪って暮らす大泥棒だ」との龍雲丸の言葉を受け、高瀬にそこんとこどうなの?と聞く直虎さん達の会話から焦点をしぼっていきたいと思います。

高瀬は
「おらたちの手で食べ物を作っているのに、おらたちの口には入らねぇ。奪われておると思うたことねえもんはおらぬと思います。」
と彼女は答えました。
それに対し祐椿尼は、武家も一緒で、自分たちが戦って奪っていかなければ、功を立てた者に土地を与えられなくなるのでどんどん戦をしなければ生きていけない、と擁護しました。

この彼女らの会話の中で気になる点は二つ。

①国が奪い合う(侵略)仕組みとは何か?
②農民は税を納めるかわりに、武家が司法や国防などの見返りを受けているはずなのに高瀬の発言はどういうことなのか?

 

まずは、①から。これに関しては塩野七生さんが本の中で興味深いことを書かれたのでを抜粋したいと思います。

国家は、陸地型の国家と海洋型の国家に大別されると、誰もが言う。私には、この二つのタイプのちがいは、自給自足の概念のあるなしによって決めてもかまわないと思われる。
自給自足の概念のあるところには、交換の必要に迫られないところから生れてこないし、定着もしない。このタイプの国家が侵略型になるのは、当然の帰結である。
他国を侵略するということは、ただ単に、自給自足圏の幅を広げるにすぎないからである。
海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年より

 

海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)

海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)

 

 

将国のアルタイル(8) (シリウスKC)

将国のアルタイル(8) (シリウスKC)

 

 自給自足(食料)を生み出す土地が最優先の資産だとすると、確かにそれをめぐって戦いはおきてしまいますね。しかもそれを家臣への褒賞とするならなおのこと。
戦国時代は戦う事が当然で、その物語に疑問の余地をはさむことはあまりされませんでしたがこれは面白いポイントです。
そして大河ドラマで戦国女性が「戦はいやだ。」というだけのキャラクター化していると批判をよく受けていましたが、その女性から戦いのシステムについて言及されているのも興味深い。

 

 

②についてですが、①とも少し関連しています。最初、私は高瀬は現代人の私たちと同じように、わかっていても「税をとられるのは嫌だなぁ。」というのりでいっているのかな?
と思ったのですが、脚本家の森下さんが戦国時代はプチ氷河期であったという学説をどうも取り入れているっぽいでそこから邪推します。

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この氷河期というのはつまり、気温がものすごく低くて農作物が育たず、それにゆえに飢饉がおこりやすくなる状況で、回避する手段は一つ。つまり侵略。

ここから考えられるのは高瀬は税をもってかれる事だけではなく、生きていくのに十分な食料さえも武家にもっていかれるほど暮らしがきつかった、ということかなと。
ただ、井伊は今年も年貢の取れ高が良かったとのセリフから、温暖な井伊はそれにあてはまってないようなんですよね。
けど他国は事情が違っていて、その差がいずれ大きなマクロの波がやってくる前兆になるのではないかと。武田とか武田とか武田とか。
うーん。でもわれながら、苦しい推論です。それなら高瀬がそれについて何も言わないのおかしいですね。間者説が残っているとはいえ。政次もそこに触れないし。
まぁ、あれこれと自由に考えるのは楽しいです。

 

 <龍がああ言えば、虎がこう言う>
で、やっと龍雲丸と直虎について触れられます。
龍雲丸の「武家は大泥棒」発言は、既得権益者や支配者層へのルサンチマンだともいえますが、上記で述べたように乱世という国が安定しない状況だとそれに対して不信となる気持ちは十分にありえます。
そもそも為政者の役割は、民がマクロの環境に左右されずに、生活のため働ける事があると思います。そのグランドデザインの責務の大きさゆえに彼らは特権階級にいるんですよね。
けど、それがうまく機能していないと下の階層の人たちから反発がでると思います。農民が「逃散」するように、上に立つ資格なしと判断されれば彼らは反旗を翻す。
この社会の不安定さは被支配者層にかぎらず武家下剋上の名のもとに上へと昇っていけるという点においては、簡単に悪と断じる事はできません。

 

 

直虎は、龍雲丸のこの言い分に対して、こう返答します。
乱世という世は、人が追い詰められれば誰であろうと卑しくなってしまうものだ、一人の人として。
直虎がいうとかなりの説得力あるセリフですね。子供のころに蕪を盗み食いし、盗賊に捕まったときも、恥じらいもなく芋を食べようとしたので。
高瀬達との会話も彼女の言葉の意味に隠れています。
これね、直虎はまたも無自覚にやっているとは思いますが、ここで相手と対等な目線まで議論のテーブルをもっていってます。
「私たちは共に卑しい人間で、そこに武家だとか盗賊だかという階層は関係ないでしょ?この乱世を生きる者同士という点では。」
ということをいっています。
その次に、だからとってそんなすねた自分でいいのか?と彼女は彼を糾弾しますが、重要なのはこの言葉が対等にたったセリフゆえに、上から目線になってない事です。
私が彼女のすきなところは、ちゃんとそんな卑しい自分の存在を認めている点なんですよね。
だけど、そんな自分に満足するつもりはなく、かといって否定しません。
むしろそれ自体のもつ生命力の強さを認めたうえでうまく付き合っていきたいし、そんな世の中に変えていきたいと宣言しています。

 

この「世の中変えます」という壮大なスケールを持ち出したので、龍雲丸も思わずなにいってんの?という感じに引き戻されましたが、
直虎はここで具体的提案として木材伐採の仕事について持ち出しました。
うん。これ、「徳政令」の時の農民達にやったプレゼン方法とまったく同じですね。「情」と「理」の二段構成でたたみかける感じが。
そしてとどめに、誰のためでもなく自分のためにやっているというのがまたいいんですよね。
人のものを奪ってまで生きようとする人の卑怯さもエゴイスティックなものだというのなら、そこから抜け出そうとする人もまたエゴイスティックで、
だけどそれは世界を変えうるかもしれない。
自分(直虎)のために生きた結果、それが他人(龍雲丸)の利にもなっている、このビジネスのwin-win関係がたまらなく気持ちいい。
ちょっと抽象的に言いすぎて伝わるか自信がないのですが。自分でもかなりふわふわした気持ちで書いてます。

と、直虎は龍雲丸を説得しましたが、やはりうまくいくのには前途多難ですね。彼女の某携帯電話会社の社長なみに「やりましょう!」とフットワークが軽いのはいいのですが
下につく人達は、ものすごく大変ですね。リーダーの夢の器に形を与えるのが家臣の役目とはいえ、政次達の胃はストレスでやばそうです。
ということで、次回も楽しみです。

 

 

<政次の事>
で、終わる予定がちょっと政次に関して。政次ウォッチャーの一人としてね、ふれておきたいかと。
政次は一番心配しているにも関わらず表立って直虎を助ける行動ができません。
むしろアドバイスのあとに嫌味を一言、加えることでけして直虎を助けたいといわけではないという演出をしなければなりませんでした。
そのうえで、龍潭寺のほうに根回しををして、直虎の無事をきいてやっと安堵の息をつくことができました。
さすがの直虎も「やばい。政次。ぜったい怒ってる。」というような感じで彼をみていました。

 

それにしても南渓和尚が、「あいつも浮かばれぬの。」といっていてふとおもったのですが、
自分が浮かばれる事を無視して直虎の幸せに殉じるような生き方をする割に、やり方はやたら合理的に見えるんですよね。
そこが「情」でうごく井伊の武士から見ると「武士」らしくないと捉えられた一因かな。
この合理的なやり方と内面に秘めてるものが、まわりからみると一致しないから、政次の父親である政直も誤解される一面があったのでしょうか。
直之のようにそのままを感情にだせばいいのでしょうが、今の政次はわざと「ヒール」を演じることで逆にそんな自分を利用しています。
その浮かばれない生き方の中にいる彼に今後も注目です。龍雲丸という嵐もきたことですし。