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女達は慟哭したのち、再生す~おんな城主直虎20話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

前回はシリアスなテーマ「法と秩序の為政者としての判断と、個人レベルの正しさを通す両立の難しさ」をうまくコーティングして、どたばたコメディの様を見せていました。
今回も、しのと直虎の関係性の変化に大笑いしたものの、なかなか心打たれる話だったと思います。


<しのさんの心の変遷を追う>
さて、そのしのさんですが直親の忘れ形見が発覚し、これ幸いと直虎に「私も可哀そうだけど、あんたはもっとかわいそうね。」と同情を装ったマウンティングを仕掛けていました。
もうこの時点で笑って見てたんですけど、周囲の反応が私が思うよりも「直虎様は、お可哀そう。直親とも結ばれず、彼のために出家し、しかも自分の子じゃない虎松様の後見まで務めてるのに、その直親様は、他の女とできていた。お辛いでしょう。」
という雰囲気がありました。僧侶たちは憐憫の目を向け、直之や六左衛門さえも恐る恐る気遣う始末。
この事は、周囲が直虎に同情的であればあるほど、しのが置かれていた状況の残酷さを浮かび上がらせます。
彼女は奥方という場所に立ったはいても、その立場に能力的にも器としても追いついていませんでした。
そうなるとますます夫も周囲も「あぁ、これが直虎様だったらなぁ。」という悪意なき視線があってますます彼女を追い詰めてます。(それが事実かどうかではなく、彼女の中で)
自分が至らないせいだとわかってはいても、自分の劣等感と付き合っていくのは難しい。
虎松が生まれてからは、少しずつそれが良い方向にいくと思われました。
が、その矢先に直親の急死。彼の心を直虎に置き去りにしたまま。
だからこそ、そのもやもやした負の感情を直虎を憎むことで、どうにかちっぽけな自分を支えてきました。

 

 

<初恋の死と新たな絆の誕生>

そんな彼女が負の自分から解放される日が今回の話です。
舞台は井伊家のご初代様ゆかりの井戸。
しのは、直虎に初めていたわりの言葉をかけました。
それを契機に、直虎からの直親への不満が大爆発。それに、しのも同調して二人で直親への悪口大合唱会となりました。
このシーンってすごく笑えるのですが、同時にすごくいいなと思って、なぜかっていうと、ここで初めて、しのさんが「人間・直虎」を見たからなんですよ。
今までは、「直親の元許嫁で想い人」というフィルター越しでしか、彼女を見ようとはしませんでした。
直虎本人もどこか巫女的というか世俗から離れていたせいか、嫉妬という負の感情にも遠い存在に見え、それが拍車をかけたことでしょう。。
そのせいで、しのが自分自身との違いを思い知り、かつ必要以上に直虎を悪い存在へとイメージさせていたのかもしれません。
このバイアスがかかった状態から、等身大のその人自身に触れる瞬間ってのは結構大きい出来事です。
こういうことって、よくある話ではないでしょうか?

 

 

私事の話で申し訳ありませんが、英語が母国語の人2割、非母国語の人8割の合宿みたいなのに参加したことがありました。もちろん共通言語が英語となりますが、
私は「ネイティブ・スピーカーは楽でいいよなぁ。こっちはついてくだけで必死なのに。あぁ、発音馬鹿にされてたらどうしよう。」とひがみ根性丸出しで過ごしていました。ですがある時、同じメンバーのある ベネディクト・カンバーバッチ似の普段はあまり愛想がないオーストラリア人がふと

「いつもちゃんと自分の英語が伝わっているか不安なんだ。わかりやすく伝えてるつもりだけど、僕は比較的早口だし、伝わってなかったらごめん。もっと頑張る。」
とぼそっと言って、鈍器で殴られたような衝撃と恥ずかしさ感じました。
あぁ、私は彼の事を「英語が母国語のオーストラリア人」としか受け取ってなくて、言葉の苦労なんてないだろうと思い込み、彼がどんな人間で何を考えているか知ろうともせず、そして自分の事を可哀そうだとおもってたから、彼が傷ついてることに鈍感になってたなと思いました。

 

 自分の話はこの辺にして、とにかく、こういう体験はぐっと相手の距離が近づくんですよね。

そして直虎本人も自分のもやもやした直親への想いを吐き出した事がすごくいい。
個人的にはその感情を無視して、ものわかりのいいおんな領主として、直親の娘も受け止めると描かれなくて良かった。
ちゃんと、個人的感情を吐きだしてから、「公」では理性的にふるまった。
いや、多分前回の「私」を優先して痛い目にあったので、学習して「公」の立場をとろうとしたともいえるのですが。
(政次先生の授業の結果!!やったね!政次!けど、逆に若干、政次の方が甘かった気がするけど。「武田の工作員ということにして追い出してもいいよ。というあたり。)

この二人の女達の本当の意味での初恋への分かれと新たな絆の誕生シーンを見て思ったのですが、舞台である井伊の井戸は、あの世を繋ぐ「死」の象徴かつ、湧き出る水のイメージから「再生」の象徴であるように思われます。
その「死」と「再生」を繰り返すのは井伊家そのものと、直虎自身のもつ物語を示してるのではないでしょうか。


<立ち入れない美しさ>
さて、ぼろかすにいわれていた直親さんですが、彼の真意は故人となったいま、結局どこにあったのかわからず直虎達も、メタ視線で見ることができる私たちでさえもそれを知ることができません。
映画「第三の男」も結局、主人公も親友の本当の「思い」はぼんやりとわからないままでした。
けど私はこの、物語のすべてを知ることができないし、視聴者さえ立ち入ることが許されていないというのは案外好きなんです。
だからこそ、相手の事を知ろうとするじゃないですか?
その最たるは、我らが小野政次で、彼は一度も具体的な想いを口にだしていないにも関わらず、こちらは彼のコンマ一秒単位の表情や振る舞いから何かを読み取ろうと必死になります。
今回も情報過多で、傷ついているであろう直虎への心配や直親への複雑な想いにあふれていました。

 

 この立ち入れなさというか、限られた情報の中で思案し試行錯誤しなければならないというのは、井伊家の今の国際情勢の情報戦そのもので

いまだ姿をみせない武田信玄織田信長の不気味さともつながっています。
ここでも相手国が一体何を考えているかどういう目的をもっているか?ということを過少にも過大にも評価せず見極めていかないといけません。
しのちゃんが、直虎個人をちゃんと見たように。

 

<スパイの本質>

ここで高瀬がもしかしたら武田のスパイかもしれないし、そうであっても転向させるかもという伏線は、おもしろいんですよね。
というかスパイってどちらに属しているかぱっとみわからないというところがポイントで、常慶なんかは本拠地は武田に近く、松平に出入りし、実家は今川家に使える松下家という、もはや君はどこの誰なんだ!?というような経歴。
むしろこの経歴の複雑性があるから、どこからの目線からも深く捉える事できて、かつ俯瞰できます。
これは使い勝手がいいように思われますが、バランスを崩すと相手の立場に立ちすぎて向こうに寝返ってしまうんです。
「HOMELAND」にもそんな危うさが描かれていました。
だからこそ、武田領の出身で身元は井伊の姫君という彼女の二重性は確かに彼女のスパイとしての資質は感じます。
といってもこの時代は結婚でさえいろんな国と調略のために行っていたので、彼女に特異性があるといえば、そこまでないのですが。

こう考えると、この時代の姫君たちは優秀な外交官であらねばならなかったのでしょうね。

まぁ、これは制作側のミスリードの可能性大なので気楽にかまえておきたいと思います。

 

 

 

杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)

杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)

 

 それにして森下さんの脚本は一見すると軽いタッチだったり笑いの方向に舵をとることも多く、誰にでもわかりやすくシンプルな話に書くので、そこにある奥深さをスルーしてしまいそうになるんですよね。

ごちそうさん」の初期がそうで、私は、当時ぼんやりとしか見てなかったので見返すと伏線のオンパレードだし、人間に対する洞察力には舌を巻くものがありました。
これからも彼女の紡ぎだす世界を楽しみにしていきたいと思います。