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シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

なかない鶴と鳴く犬は。人のステージが変わった瞬間をみてしまった。~おんな城主直虎18話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

 

今回の「あるいは裏切りという名の鶴」は神回じゃなかったですか?
もう第何次小野政次インパクトなの?ってくらいこちらを揺さぶってきてました。
好きすぎて言語化も分析もしたくねぇー!!って感じで、心が脳を拒絶している状態だから
いつも以上に乱文になるとは思いますがお付き合いください。
というか、かなりの妄想と推測が入り混じるのですが、今時点での私の理解メモとして書いていますのでご注意を。


しょっぱなから「政次」「政次」といってますが最初に「瀬戸方久」について触れたいと思います。
私は政次と方久にある同じテーマを感じ取っていてそれが

 

「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」

 

 

というものです。

これっていわゆる現代にもつながる「いじめ」の構造にも似ているものがあります。
人身売買があるような血と血で争う内戦が続く乱世という戦国サバイバルを生き抜こうとすると集団が一致団結しなければなりません。
その時に、内部に仮想敵がいるとめちゃくちゃ仲間意識が高まる効果があって、ほんとこういとこだめだし許しがたいのですが
これが外部の敵に向かう時は意外に内部は穏やかでうまくいったりするのでなんとも難しい所です・・・・。

政次の場合は、もともと小野家が嫌われることで、方久の場合は「解死人」としてその役割を担っていました。

 

 

 

<利をもとめ鳴く犬・方久>

今回はそんな方久が活躍した回でした。彼は「解死人」から商人に成りあがった切れ者です。

政次達より先回りして種子島を今川に売りつけて謀反の疑惑をもみ消しました。
しかも直虎の指示なんですと説明をそえて。

いやはや、この清く正しく明るい死の商人(武器商人)っぷりは惚れそうになります。
今川・井伊・方久、三者にとっての「利」を彼は提供しました。
今川は軍備増強を。井伊は、謀反疑惑からくる直虎の後見おろし回避を。方久は開発費を。
しかも井伊に恩を売りつけ自分の立場をさらに強化することができました。

 

 

彼のこの軽やかさは、特定の土地や人や絆に縛られてないがゆえの自由な商売人の発想からきているものではないのでしょうか。。
集団に属してはいても最下層にいたからこそ、冷静に何が「利」になるかを見極めれるようになったのではないかと推測します。
ぶっちゃけていえば、「解死人」だったからこそ見える世界があって、それをばねに彼はここまできました。
バックグラウンドを考えれば闇しかみえてこないにも関わらず、人生を切り開いている胆力にはただただ唸るしかありません。

 

ヨルムンガンド(1) (サンデーGXコミックス)

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 余談ですが、彼の「銭の犬」芸というか、カンカン芸は「宮廷道化師」の感じがするんですよね。「笑い」がもつ差別構造を逆手にとって「王」に意見するとこが。
ムロツヨシさんの演技がそれに拍車をかけている気がします。

 

ミムス―宮廷道化師 (Y.A.Books)

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 <守るために沈黙する鶴・政次>

さて、政次の場合方久と違って土地や人や絆に縛られて生きてきた人です。
井伊の内部で差別にさらされてきた彼は、くせのある頭の良さというか理詰めな人になりました。
井伊のお前なんか嫌いだよ!!っていう負の感情の嵐から自分を守るには、論理的に対処する必要があったのです。
だけどまぁ、いわゆる「正論」をロジカルにを言おうが「空気よめねぇな。あいつ。」で結局悪循環にはまってしまうのですが。

政次が孤高のままほんとうにひとりぼっちなら話が変わりますが、彼には直虎や直親との幼少期からの絆があって今ではなつや亥之助という家族もいる。
その土地に住む人を愛しているから方久のようにそこから逃げ出す事はできません。
それらを守ろうとしたとき、誰かに頼ることができなかった環境で育った彼の方法は「悪役」になるという自己犠牲でした。
それが政次のこれまで築いた関係性を壊してしまうものだとしても。

 

 

「自己犠牲」と書きましたが、かれがそう思っているかはちょっと今は保留しときたいと思います。
一人称の小説じゃないのでここらへんは視聴者の想像力にゆだねてるとこがありますね。
うーん。少なくとも直親を失って以降は彼は自らの決断によって選択してると思うのですが。
なんにせよ、この方法って絶対に誰にもばれてはいけないという前提条件がないと成り立ちません。

で、今回それがもっともばれてはいけない人に知られてしまいました。
直虎です。(長かった。やっと本題に触れられる。)
彼女が政次にいいました。

 

「政次。われは己で選んだのじゃ。この身を直親のうつし身とすることを、誰に望まれるでもなく強いられるでもなく、己で選んだ。己で井伊を守ると、われは己で決めたのじゃ。」

 

 

この乙女らしい袖クイからの上記の剛速球なセリフに腰がくだけそうになったことはおいといて

政次はどうも直虎がこれまで「我慢」して、今いる立場にたたされていると思っているふしがありました。
マクロの事情に流されて直親とも結ばれることもなく悲恋に見えたことでしょう。しかも遠因は自分の父から始まり、彼を間接的に死に追いやったのは自分だと責めています。だから残された彼女だけでも守ってやらないと。直親のためにも。との思いがあるのかもしれません。

 

だけど、実際には彼女は自分の決断でそれを選んできました。
そんな彼女だからこそ自分自身の意思で「城主」になるという選択をしたんだ!!って宣言を政次にしています。
この自分の意思を尊重しろって相手に要求するときには同時にその相手の自由意志を認めなくてはなりません。
自分はよくても相手はだめなんて道理は通りません。
だからこそ、政次の不憫に見える自己犠牲的な策も彼女はまっこうから否定する事はできないのです。彼のシナリオに乗る、乗らない以前に。

「仮に、もし、われが女子であるから守ってやらねばならぬとか、つらい思いをせずとも済むようになどと思っておるのなら、お門違い。無用の情けじゃ!」

 

 

そしてその自分の決断を否定する理由に「かわいそうだから。女だから守ってやらないと。」というのは受け付けませんよといっています。
だって可哀そうではない彼女が選んだことだから。
それでも政次が否定したいのなら例えば「城主」としての器がたらないからという理由じゃなきゃ口出す権利がありません。


この後に、直虎は

「われをうまく使え。われもそなたをうまく使う。」

といっています。
これは政次の「悪役」という方法を否定せずに、かといって自分の「城主」である権利を通したうえで
お互いそれを利用しあいませんか?という交渉を「城主」として持ちかけています。
いや、このへんほんと彼女はすごいなと思います。
このあと政次は彼女への返答として「臣下」として「城主」に提言しています。

 

選ぶまでもないという選択肢がない不自由さの中で強いられた事と自らの意思でそれしないないと選択する自由の中にいることは同じ行動でもまったく意味合いが違います。
直虎も政次も後者であるとしたら、彼らはもはや可哀そうな井伊の犠牲者ではなく共に戦う自由意志をもった戦士なのです。

 

それにしても直虎は直親には「亀は、かわいそう。」とかいっといて政次には容赦ない感じはちょっと一周廻って笑ってしまいます。
政次は騎士道的愛で直虎を見上げてる感じが一部するのですが、直虎のほうが襟をつかんで対等な目線までひっぱりあげてるような。
ちょっと乱暴にあつかっても政次なら大丈夫☆という信頼というか甘えというか。
そもそも直虎は自分が男なら「直親は死ななかった」と思い、政次は自分が結果的には「直親を死においやった。」
というサバイバーズギルトみたいなものを抱えていて、そんな二人がようやくここまできたのは感慨深いです(史実から目をそらしつつ)

 

 

けど、個人的にはまだまだ恋心みたいなものは捨てきっているかというのはかなり懐疑的で、それを捨てずにあらたな感情がプラスされていった感じがあります。

男女のブロマンス的関係からはじまる恋愛があってもいいじゃないですか!?(本音)

政次の恋愛偏差値はこの際おいといて。

というか、直虎本人も大人だったり、少女だったり、城主だったり、そのへんの女性だったりころころ変わる一面をもっていて、「井伊のため」というマクロの選択をできる彼女が「嫁になんてもらってやんねーよ。」って軽口に「なにをー!」というような小学生レベルのやり取りしちゃうギャップに私ならやられちゃうんですよね。これは確かに政次じゃなくともからかいたい。けど、自分の本心に踏み込ませないために冗談で先回りするやり方には、真顔で彼を問い詰めたい感がある。だって傷ついた顔をするもんだから。

ここに龍の例のあの人が入り込んでくるのはなんとも修羅場的ですが。てか、直虎の水筒を飲み干すとこは、なんかエロかったですよ。

 

 

今回の本心をあかさず本心にふれるやり取りは、彼らの本当の意味での子供時代の終わりのシーンでした。
おがちちかさんのLandreaallという作品なかにもこういうセリフがあります。

「あいつとは多分一生建前のやりとりを続ける仲だが俺たちはそれでも友人でいられる」

「大人になるとな DX 」

「明かさない本心を無視する礼儀正しさを身につけて信用し合えるようになる」

 Landreaall 17巻  (オズモのセリフ)

 

こういう心の機微を戦国大河で見られるとは思っていなかったのでほんと僥倖です。

 

 

最後に少しだけ。
直虎の

「私には、恨みを後生大事にかかえるような贅沢など許されますまい。」

 

のセリフ。いや、これほんとそうで義憤にかられて戦争ふっかけられるほど井伊に国力ないんですよ。現実的な話。
個人的恨みを乗り越えて国の明日のためにベストな選択をとることができるのがリーダーの責務なんですよね。
だけど、簡単なことではないゆえにそれができる人がリーダーなんだという逆説的なものもあります。

 

この言葉からわたしはフィリピンのキリノ大統領を思い出しました。
彼は、日本兵に家族を殺されても将来の日比関係を見据えて私怨を断ち切る決断をしました。
この負の連鎖が続く世界で「赦そう」「乗り越えて見せる」とする意思が確かにあることは人々の道を少しでも明るく照らしてくれます。

 

フィリピンBC級戦犯裁判 (講談社選書メチエ)

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