シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

君(物語)は私の友達だから~物語が擬人化し、人が物語化すること~

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〈物語の擬人化〉

キャプテン翼」の翼くんのように「物語」が幼いころからの友人でした。
幼稚園の頃なんかはホント友達がいなくて、だけど不思議とつらさがなかったのは、絵本やアニメがあったからだと思います。
母が毎晩、読み聞かせをしてくれるたびにここではないどこかへ連れていってくれるあの感覚は、今でも確かな温もりを呼び起こしてくれます。

 

キャプテン翼 (第1巻) (ジャンプ・コミックス)

キャプテン翼 (第1巻) (ジャンプ・コミックス)

 

 小学生からだんだんと友人ができ始めても物語が好きな事は変わらず、むしろ小説・ドラマ・漫画と媒体が広がる事でますますのめり込む結果に。
そうやって多くの物語に触れていると不思議なことがおきます。
自分の心の中に教室みたいなものができて、物語のひとつひとつが人格を持ち出します。
彼ら・彼女らは私たちと同じようにいろんな友人やグループをつくって、わいわい・がやがやしている感じです。

 

なにいってんだ?と思われるかもしれませがそうとしかいいようがなくて、
このブログでただ今絶賛「おんな城主直虎」キャンペーン実施中なので例えに出しますが、彼女の性格は現実にシビアなところがあるけど、すごく眼差しが暖かくてユーモアがあり生命力にあふれている。
その彼女の同じグループに「カルバニア物語」と「テンペスト」、「金の国・水の国」がいる。
彼女らは雰囲気が似てたり価値観が似てたり、ほとんどちがうけど一部は似てるところもあったりしています。

 

「カルバニア物語」は、女性の生き方や作品の持つやさしい眼差しが。

「金の国 水の国」は、技術や経済が世界を動かしていく事が。

テンペスト」は、宗主国と従属国の関係性の中で前に進もうとする人々の姿が。

 

カルバニア物語(1) (Charaコミックス)

カルバニア物語(1) (Charaコミックス)

 

 

 

 

 

テンペスト  上 若夏の巻

テンペスト 上 若夏の巻

 

 


一つの物語と新たに出会うたびに連鎖反応を起こし、シナプスみたいに別の物語と繋がっていく。
だから私のブログはある一つの作品を紹介する時に、他作品がよく出てくるんですよね。
「この子(物語)はあの子の友達でもあるんだよね。あの人にも似た雰囲気あるかも。」みたいに。


〈人の物語化〉

 

今度は、逆に人を物語のように感じる事について。

 

私は人の外見は「キャラクターデザイン」

雰囲気やしゃべり方、ファッションは「演出」

そして中身は「脚本」

 

と考えてるところがあります。

 

なので「キャラデザ」がよかろうと「演出」や「脚本」がだめだと、なにもかもだめだと感じちゃったり、逆に「脚本」が許せなくても「キャラデザ」と「演出」がずば抜けていると
まぁ、いっかと許せてしまう時があるんですよね。

 

この二つは矛盾してますが「程度」があって総合評価になっちゃいますね。
まぁ、だいたい「脚本」がいいとキャラデザも好きになっちゃうところがあります。
これは、つまりその人の人格を好きになっちゃうと外見もなぜか可愛くみえてくる恋は盲目というやつでしょう。

 

 

こんな風に人をまるで一つの物語のように感じるので、言葉が足りなくて誤解されやすかったりちょっと変わっていて理解されにくい友人がいたりすると、
「彼女という物語を途中から読んでいるから分かりにくいだけだよ。なれてくると行間に隠れた良さに気づくよ。」
といいたくなっちゃうんですよね。
だけど新たな人と出会うということは、連載途中の週刊誌を読み始める作業に似ているのでわかってもらえるのに時間がかかります。
まぁ、それでもわからないものはわからないし、きらいなものはきらいなのでこればっかりは相性としかいえないところですね。
だからこそ、自分は相手の言動や言葉の裏に隠れた文脈を読み取ろうとしますが、いかんせん修行中なのでいつもうまくわけではありません。

 

こんな風に「物語」と「人」がごっちゃになっているから、私の中でその境目が非常に曖昧でグラデーションのように繋がっています。
(現実と虚構を同じにするなと怒られそうだけど)
あくまで私の心の中の話として。


〈だからこそ〉


「物語」と「人」を同一視しているから、自分にとって大切な物語(人)が、例え世界にとって無価値だといわれて取るに足らないと評価されても、私は君(物語)に会うために生まれてきたし、君(物語)もまた私のために存在しているんだと思っています。(←少年ハリウッドの社長だ!!
抽象的な言い方をしていますが要は、世間からみたらイケメンじゃない彼氏でも自分にとっては世界一かっこいいし特別じゃないですか?
物語を自分の一部のように感じるから、そりゃぁ他人に否定されれば悲しいし褒めてもらえたら我がことのように誇らしい。
だけど世間の評価で揺らぐような「好き」じゃないんですよ。自分自身の評価が絶対基準にあるので。


だから、私のブログは基本的に「のろけ」なんです。

私の友達(物語)のここが好きで素敵で誇らしい。みんな見てくれ!最高だから!っていう名の。


〈最後におまけ〉


私にも当然きらいな物語や許せなかったり理解できない物語もあるのですが、
「なぜ嫌いなのか?」という分析作業にはいってしまい似た作品を読み漁り
「あぁ。だから嫌いなんだ。」と結局、自分自身の人間性や思考を浮かびあがらせて満足して終わってしまうという。
いや、嫌いな気持ちは消えたわけじゃないのですが、ほんのすこしだけ心に余裕ができる。
それに今、理解できなくてもこの先わかる日がくるかもしれない。一年後、五年後、十年後は自分もまた変質して、久しぶりに会ったら笑って話せる仲になるかもしれないし、ならないかもしれない。
その分かり合えるかもしれない余白は残しておこうと思います。