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物語同士のつながりが好き

『おんな城主直虎』好きにおすすめする『カルバニア物語』~世界の残酷さや断絶をとらえる柔らかい眼差し~

カルバニア物語(1) (Charaコミックス)


大好きな作品を誰かと語り合った時、好きなポイントが全然違った!!って経験はありませんか?
例えば、「おんな城主直虎」のどこがいい?って意見をきいたら、「役者さんの演技がいい」「音楽がいい」「脚本がいい」などのふんわりした理由から「直虎・直親・政次の三角関係が素敵!」「国衆達が戦国の世に振り回されていくマクロのダイナミズムが面白い」などの具体的なものまで様々です。

 

 

これってようするに「作品をどうとらえるか?何を求めているか?」という「視座」が人によって全く違うから起こっていてどの意見や感想も正しさがあります。
だけど、いやだからこそ「この作品が好きならこれがおすすめだよ。」って言う時には、自分の作品への姿勢や眼差しを添えて紹介していきたいと思います。
きっとおなじような「視座」をもつ人ならきっと琴線に触れると思うから。

 

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

 

 

さて、いつものごとく前振りが長くなりましたが本題に入ります。
なぜ「おんな城主直虎」好きに「カルバニア物語」を進めるかというと二つの作品のなかに「ひとの欠点や瑕疵やなかなか抜け出せない『業』」「だけど別の角度から見た時に同時にそれが光でもある」という両方を内包しているからです。
まぁ、そんなかたいことをいわなくてもこの二作品の設定は似たところがあります。

 

「カルバニア物語」は中世ファンタジーな世界で17才で即位した女の子「タニア・カルバニア」と女公爵を目指す「エキュー・タンタロットを中心とした群像劇。
彼女達は男性・保守的社会のなかで他貴族と時にぶつかり、理解しながら奮闘していきます。
こう書くと堅苦しくて構える人がいると思う人もいると思いますがけど肩の力を抜いて読んでほしい。

 

例えばここで出てくる、保守的な「タキオ・バスク」という領主。彼は「女の下につくのは嫌だ」といって最初の方はエキューを嫌っていますが

ビジネスを一緒にやっていくうちにだんだんと変化していきます。
が、それでもエキューが女侯爵になることに懐疑的です。
そんなタキオにエキューが「やれることや、やるべき事をしているのに何がきにくわない?」
と聞いた時、こうタキオは答えます。

「エキュー。気にくわないことなどひとつもない。」
「本当のことを言おう。いつも君には感服している。」
「君は公正で勇気があって努力家で、そりゃあ大した女だ。」
「君こそはきっとタンタロット侯爵がおつくりになった最高傑作だろう。」
「だからこそいい人生を歩んで欲しいんだ。」
「確実な良い人生を。」
「君には愛する男に手をひかれて安全な美しい道を歩いてほしい。」
「意外に思うだろうけど私もハゲたちだって君の幸せを心から願っている。」
「だからカルバニア初の女侯爵なんて誰も経験したことない冷たい風の吹く荒地みたいな場所に、君をたたせたくないんだ。」
「君の美しい顔が苦痛にゆがむのを見たくない。」(タキオ)
「君を気にいっている。」(タキオ)
「だから私はこうしてここにいるんだ。」
カルバニア物語10巻より

 

カルバニア物語(10) (Charaコミックス)

カルバニア物語(10) (Charaコミックス)

 

 

このタキオの言い分は確かに保守的な面もあるでしょう。その面には「女は男の領分に入ってはいけない」という負の部分もはらんでいるかもしれない。
だけどそれでもその中にタキオのエキューに対する深い敬意や愛情が同時に矛盾せず存在しています。
彼女を気に入っているから守ってあげたい。それが彼女の自己実現をさまたげようとも。
この保守的な考えの中にある両義性がタキオという人間の深さをあらわしています。

(というか、二つの矛盾した思いの中で悩みぬくこそが愛なんですよね。政次。聞いてるか?お前の事だよ。≪小声で≫)

 

これって「おんな城主直虎」のなかにもあって単純に「男」と「女」。「支配者」と「被支配者」。「外敵」と「身内」と、いっけん対立をはらみ敵視してしまいがちな相手の中に、スポットライトを別の場所からあてるとまったく違うものが浮かび上がってくる構造をもっています。
「女のくせに」という直之の中にある「女性は守らねば」という思いや、立場上弱くて守らなければならない百姓達にあるずるさと強さ、井伊家における小野家の存在。
その矛盾を抱えたものをみんな持ち合わせていて、それをつきつめて考えていくといくと誰も悪人なんていない。
そして相手の事が理解できたとしても完全にはその立場に立つことができない自分と相手の断絶さがそこにあり、自分の正義や生き方が誰かを傷つけていく残酷な事実が浮かび上がってきます。
だけどその過程には同時に優しさや愛おしさも確かにあるという人生のやるせない美しさが浮かび上がってくる。

 

 

なぁんか、小難しい事言い出していますが、とにかく二作品とも厳しさの中に優しい眼差しを感じるんですよね。
そういう作品が好きだ!って人にはおすすめします。

 

いや、「おんな城主直虎」にこの文脈の一つを私が勝手に感じ取っているだけで、ほかにもいっぱい面白いって感じるところがあって少女漫画的でありながら少年ジャンプの趣があったり小野政次さん、最高すぎない?」というキャラクターへの偏愛があり、弱小国衆やその下の名もなき人々の戦争だけじゃないサバイバルがあったりして、いいだせばきりがないんですよ。

 

そういういろんな観点からみえる面白さで他の作品を軽率にお勧めすればいいんじゃないな。みんな。
音楽がいいなら菅野よう子さんが携わっている他作品をおすすめしたり、小野政次が好きならきっとこのキャラも好きになる、とかね(←まじで求む)。
それがきっと作品を楽しむうえでの豊穣さにつながっていくと思います。

 

まぁ、そんなこといいつつ

「おまえの文脈の読み方なんて知るか!!これは面白いから見ろ!!」ってオラオラな壁ドンスタイルでおすすめされるのもぶっちゃけ大好きです(矛盾)