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プロの矜持が救うもの。愛情や友情の絆からこぼれ落ちても。②~少年ハリウッド編~

『少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-』vol.1(Blu-ray)

前回の記事で「愛情や友情の絆」からこぼれ落ちてしまった人達はどうすればいいのだろうか?
という問いに、「職業意識の高潔さが彼ら彼女らを救うんだ。」と私は結論づけました。
ただしこれはちゃんとした強い目的意識をもった組織人の話なので、もうちょっと身近で親しみやすいものを紹介したいと思います。


このブログでも一度書いた「少年ハリウッド」という作品です。


アイドル青春群像劇の名作アニメなんですが今回はここに出てくる「マッキー」こと甘木生馬と「キラ」こと佐伯希星という二人の少年に光をあてたいと思います。

 

マッキーは、高校中退したヤンキーで家庭にもなんらかの事情があって疎遠になっており、アイドルという仕事にも向いてないのでは?と悩んでいます。

つまり社会、家族、友人との「居場所」がまったくないというわけではないけど、かなり希薄で危うい状態にたたされている男の子。
このどこにも、誰ともつながってないという恐怖感は、ありふれたものであるがゆえに袋小路になってしまう問題です。
だってこんなこと話たって「誰もがそうだよ。あなただけが抱える悩みじゃないんだ。」って一蹴されてしまうから。

 

 

そしてもうひとりの少年であるキラは、帰れる家があり、そこそこお金持ちで世間で忘れられたとはいえ朝ドラの子役で一度は人気を博した少年です。
なのでマッキーよりもキャリアがあり舞台慣れはしてるし、家族という居場所があってお金があるという世間からみると恵まれた少年です。

 

TVアニメ 少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-キャラクターソングCD(佐伯希星)

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この二人って学校で出会うと絶対に友達にならないタイプ、っていうかそもそも入る学校から違うくらい差があると思うんですよ。性格も基本的には合わない。
身分制度がないといってもこの資本主義社会においてあきらかにかなりの生活レベルの差もあって、アイドルという職業の場がなければ絶対に出会わない二人といっても過言ではないんです。
そのうえ、能力差まである。共通点もまるでない。だからこの時点で友情なんてないんです。だってあまりにも違いすぎるから。

この相互理解が難しい彼らがある日、喧嘩といっても一方的ですが起こります。
マッキーがとうとう「芸能界なんてむいてない。キラみたいに生まれつきむいてるやつがやるべき。お前には居場所があっていいよな。」
みたいなことをいっちゃうんですよね。居場所がないと感じているがゆえに。
そこからのキラの言い返しがこうです。

 

「だいたいマッキーって努力してないでしょ?」(キラ)

 

「俺だって、俺なりに。」(マッキー)

 

「違う。マッキーのは努力のうちに入らない。努力の手前でばたばたしてるだけなんだよ。努力をしない人間に生まれつき向いているなんて簡単な事いわれたくないよ。」(キラ)

 

「こどものころから死ぬほど努力してきたんだ。ねぇ?乳歯が抜けただけで入れ歯したことある?小学校の修学旅行もクラスで僕だけいけなかった。運動会もほとんど出たことがない。」(キラ)

 

「自転車もサッカーも禁止。怪我したらだめだから。全部仕事のためだよ。お腹壊してさ、お腹壊してロケに出る時本当に不安でさお母さんに万が一のためにおむつ用意してって自分からいう小学生の気持ちがわかるかよ?」(キラ)

 

「都合のいい時だけ天才天才ってもちあげて、なのにさ、子役じゃなくなった途端に、相手にされなくなる気持ちがおまえらにわかるかよ!居場所居場所って簡単にいうなよ。」(キラ)

 

「僕は居場所もなにもなんだかわからないうちに全部がはじまってたんだよ。だからそこで努力するしかなかったんだ。自分できめたことなんて一つもない。」(キラ)

 

「マッキーは学校もやめて、家を出て、そのうえここもやめて?そうやって自分の居場所を決めれるじゃないか?」(キラ)

 

「僕の居場所はね、ここにしかないんだよ。」(キラ)

 

「だから磨くだよ。自分を。たった一つの居場所だから。」(キラ)

少年ハリウッド6話「雨の日の居場所」

 


もうね、これほとんど逆切れなんです。「プロの矜持」なんてかっこのいいものではないんですよ。もはや芸能界に必死にしがみついてきた少年の叫び声。
けど、マッキーは衝撃うけちゃうんです。というか彼の人生観の転機といってもいい。キラはまったくそんなつもりはないだろうけど。

マッキーからすると宇宙人レベルで理解できないと思っていたキラが、自分と同じように「居場所」について悩んでおり、むしろそこを死守するために戦ってきた人だった
事実に心が動かされてしまうんですよね。

「キラはなにもかもを持っている。俺には何もないけど。」という「下から目線」をここでぶち壊されるわけです。
これって「誰もがそうだよ。あなただけが抱える悩みじゃないんだ。」って意味を一般論から諭すようにいってはマッキーに届かなかったでしょう。
キラ自身の人生をまるごとさらした言葉だからこそマッキーの内面深くまでささりました。
友情でも優しさでも愛情でもないけど、それでもプロとしてなんとかやってきた彼の矜持が、居場所のない少年の居場所づくりをした瞬間でした。

 

①の時にも「GUNSLINGER GIRL」の中で書きましたが、マッキーはここで他者と「同じ目線に立つ。」という体験をしました。
能力や家庭環境、性格の差、そんなものどうだっていいじゃないですか。そんな「差」なんてけし飛んでいくんです。
むしろ「差」を飛び越えていく力が「同じ目線で立つ」共感能力にはあるんです。

まさに

In solitude,where we are least alone.(孤独の中で、我、ひとりにあらず。)

 

ってやつなんですよね。

 

これ、書いてて気づいたんですが、「愛情と友情の絆」も「同じ目的意識を持つ組織の中の絆」も違いはあれど「一人にしない」という事で共通してるように感じました。

まぁ、この二つは重なりあっている時があって明確に分けることができませんが。