読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

プロの矜持が救うもの。愛情や友情の絆からこぼれ落ちても。①~カルテットとGUNSLINGER GIRL編~

GUNSLINGER GIRL(1)<GUNSLINGER GIRL> (電撃コミックス)

 

 

タイトルで「プロの矜持が救うもの」って書きましたが、それに踏み込む前に「愛情や友情の絆」が救うものについて説明していきたいと思います。
ここでいう「救う」って何から誰を救うのか?というと、残酷な世界や親の負の遺産から食いつぶされそうな子供達をです。
簡単にいうと親や世界がやらかしことに全く無関係なのに、人生を失いかけている子供達の救済はどうすればいいだろう?というお話です。
直近だとドラマ「カルテット」の真紀やすずめ、「輪るピングドラム」「1Q84」などの作品で扱われています。

 

カルテット Blu-ray BOX

カルテット Blu-ray BOX

 

 

 

 

 

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

 

 全部説明していくと長くなるので「すずめ」に絞りますが、彼女の親は娘を使って「超能力詐欺をTVで行い、それがばれて成人してからもいじめにあい会社で居場所がなくなってしまう人なんですよね。そんな彼女がひょんなことから弦楽四重奏のカルテットを他の三人と結成して、共同生活の中で練習しプロを目指します。

 

こう書くと、視聴してない人からは彼らは成功し、立派な演奏家になってトラウマ回復なドラマになりそうな気配を感じそうですね。
けどこの四人は「きっと何者にもなれない」芸術家達なんですよ。三流どころか四流で生活さえままならない。
かといって芸術の狂気の向こう側にはいけないし、いわゆる「普通」の生活にも折り合いをつけて生きてはいけない。

 

だけどね、この四人の生活がものすごーく楽しそうに見えるんですよ。意図的だと思いますが料理がめちゃくちゃおいしそうで、くだらない事で盛り上がっている。もはや疑似家族なんです。たとえ冷たい現実や言えない秘密と背中合わせだとしても。
このゆるい共同体でできた絆こそが彼女を救っていくんです。そこを「足場」にして人生を生き抜いてく。

 

ドラマの話の快楽線をたどるなら演奏家としてある程度成功させたほうが大衆にもっとウケはいいでしょう。
だけどこの「どこにもいけない」「何者にもなれない」人たちが一生報われなくて、成功しなくて、トラウマの痛みが完全に癒えてないとしても、
それでも楽しく生きて笑って暮らしていーじゃん。
共有できる誰かが一緒にいるのならそれができるはず。
という優しい眼差しが脚本家の坂元さんにあるのではないかと思います。前作の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうにもこれと同じ手触りがありました。

 

 

 

えっと、要するに親の呪縛や世界の冷たさの中で生き抜くには?ってなったときのアンサーが新たな仲間たちとの愛情や友情の絆なんだ!!って事なんです。

 

 

で、やっとここから本題に入れるんですが、じゃあその「愛情や友情の絆」からこぼれ落ちてしまった人達はどうすればいいのだろうか?

 

という問題が立ち上がってきます。誤解してほしくないんですが私は上記の「絆」のお話がすごく好きなんです。
ただ、それすらも手に入れなかった人たちはどうしたらいいんだろう?と思ってしまうんですよね。

 

 

そこで「GUNSLINGER GIRL」の話に繋がっていきます。

 

お話の舞台は架空イタリア。地域の経済格差が原因で独立運動が起き、テロや犯罪が起こります。
それに対抗するために政府が秘密裏に作った「体を改造し洗脳された少女の暗殺者」


しかもその義体化された少女達はもともと殺人犯に暴行を受けたり、スナッフムービーの犠牲者で寿命も長くはない。
戦ってただ死ぬだけの存在。

 

 

こう書くとほんと悲惨ですね。世の中の理不尽さを煮詰めて、ただひたすらに世界のための道具であれ!!という感覚は「わたしを離さないで」に通じるものがあると思います。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 彼女たちの間にはもちろん友情や愛情もあるんですよ。だけど、もしも私がその立場だったとシュミレーションしたときに絶望しか感じないんですよ。洗脳されているからわからないとはいえ、メタ目線でみている私には「なんてかわいそうなんだろう。」ってしかみれなかったんですよね。

いや、彼女たちは「担当官」というペアの男性がいて、彼らの関係性は「閉じ切った美しさ」のジョゼ・ヘンリエッタ組や「こんな落ちつた大人な恋愛、普通でもなかなかありえねー。すごい!!」のサンドロ・ペトラ組がいて面白いですよ。
ただ彼らの疑似的な父娘・師と生徒・兄妹・恋人のどれにも私はのれなかった。自分が彼女だとしたらと考えた時に。
これは作品自体の評価とはまったく関係ないです。(むしろ傑作)


だけど、11巻まできて一人の人物がいったセリフが価値観を逆転させます。
ある任務のために協力にきた軍警察・特殊介入部隊のサレス少佐がトリエラという義体の少女に

「ふん。やっと一人前になったな。俺の部下とお前たち。サイボーグと生身の人間…立場環境…。違いは数あるが共通点だってある。死地へ赴く使命だ。」

 

っていうんですよ。これ読んだ時泣きました。多分ちんぷんかんぷんだと思いますが、このサレス少佐のセリフではじめて私は対等に見てもらえた!!
って感覚になったんですよ。これまでひたすらかわいそうな「女の子」だった少女たちへの認識が一人の「戦士」へと変わったんです。だって、「可哀そう」って是非はともかく「上から目線」なんですよ。たとえそれが優しさからきているものだとしても。だから「担当官」達からそういう目線でみられてひどく「寂しい」という感情を持っていました。(基本的に私は上から目線も下から目線もその人との距離の幅が大きいから起こりうると思っています。)

確かにサンドロ・ペトラ組みたいな関係性の絆で救われるのも素敵ですが、ぶっちゃけ運もあると思うんですよ。相性とか。だけどこのセリフはそんな絆がなくてもただただ
サレス少佐の組織人としての職業意識からでた一人の戦士への敬意にすぎないんです。だけどすべての義体の少女達への激励でもあり、この残酷な世界で戦っていくときに「あぁ。隣に確かに同じ目線の人がいる。もう、私は孤独じゃない。」と思えたんですね。しかも彼の存在が自分を救うというのなら、また自分も誰かの救いであり希望なんだ。とストンと腑に落ちたんです。

 

そして誰からも愛されなくても自分の事を「可哀そう」だと思いながら生きるのはつらすぎる。人は思うよりも自分に同情したくない生き物で、そうならないための努力をかかさないのではないかと思います。

 

この家族でも友達でもない「プロの矜持」が救い上げていくという事は、決して「愛情や友情の絆」と対立していくものではなく、この世界で平行しておこり
補完しあうものだと思います。

なんだか、長い割りに説明下手で伝わってなさそうなんですが、もうひと作品を次の記事でかいていきたいと思います。

あ。でも多分直虎感想記事が先だ。