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物語同士のつながりが好き

物語が確かにそこに在る強さ~実在性少年ハリウッド~

『少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-』vol.1(Blu-ray)

 

いまやアイドルアニメ戦国時代。数々の作品が世に生み出される中で、「少年ハリウッド」の一話目の見た時の衝撃はすさまじかったです。
というのも、アイドルアニメを見ようと意気込んでいたら、村上春樹の主人公ばりの内面ポエムから始まったんですよ。しかも、アイドルをプロデュースする社長もこれまた春樹の作品から出てきたのか?と思うくらいに抽象的で意味の分からない事をいいつつリリカルに主人公をスカウト。しかもアイドルものとは思えないほど画面に華やかさがない。しかもタイトルが「僕たちの自意識」。
ほんと、狂気のアニメが始まったと正直いって動揺しました。
村上春樹さんは、好きな作家です)

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)
 

 動揺したといっても悪い意味ではなく、例えるなら萌えをベースにした日常系作品をみようとしたら、小津監督や是枝監督の作品に出会ってしまった。そんな感覚。

なんでその二人の名前がでるかいうと、私達が住んでいる世界の手触りを思い起こさせるからです。普段見ている電柱や台所歩いている道。自分のなかに気にも留めない日常風景の記憶を揺さぶってくる。しかもそれを心地よい形で。

それ自体は最近のアニメーションはハイレベルな絵作りができるので京都アニメーションさんやピーエーワークスさんといった傑作を生みだしている製作会社が得意とされている事です。
ただ、少年ハリウッドはそこからもう少し生活臭やえぐみをだしてきているように思えます。アイドルというキラキラしたものを描きながら。
二次元なんだけど圧倒的に生活臭を三次元で思い起こさせるので主人公や彼らの世界のそこに「いる」感や「ある」感が半端なかったです。ほんとにいるんだ!!という物語体験は、なかなか貴重で、これは脚本家の橋口さんのキャラクター達の積み上げを、黒柳監督が映像によって高めるだけ高めていった結果できた事だと思います。

 

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だからこそ、主人公達が恥をかいたり落ち込んでいたり怒ったりするのを見るとリアルタイムでそれを体験しているようで、時としていたたまれなくなります。
というか、この作品は舞台に立つ少年たちのシーンが多いのですが、実際に客席に座って彼らを見ている感覚になります。
なので第一話のアイドルの恥ずかしい自己紹介をこちらに向けてやっていいる時の臨場感と恥ずかしさといったらなかったです。
いや、だってあれですよ?アイドルの一人の舞山春の自己紹介が「笑顔でキュン!怒りんぼにシュン。この八重歯にかけて、君の最後の彼氏になることを誓います。十五歳の高校一年生、シュンシュンこと、舞山春です!」ですよ。
しかも振り付きで恥ずかしそうにやるものだから恥ずかしさ2倍。だけどこの恥ずかしさを受け止め、舞台上でかっこよさへと昇華していかなければアイドルになどなれない。そんなことはできて当たり前なんだ!!ということが伝わってきて、
アイドル未満の顔がちょっといいだけの少年たちの「僕たちの自意識」をがんがんに壊していく様はなかなかつらくて恥ずかしくて面白かったです。
この何者でもない少年達がほんとうに一歩ずつアイドルになっていく様は、ノンフィクションのドキュメンタリーを見てる気分になります。

 

 

さて、「少年ハリウッド」の圧倒的実存感について触れましたが、肝心の内容がこれだけだと伝わりにくいですね。ほんとうにこの作品は情報密度が高いので一話ごとや一場面、登場人物の関係性やセリフひとつで語っていけるです。
だから折に触れて、何回かこのブログでも取り上げていこうと思っているのですが(といっても間をあけて)今回は一つだけ。

 

 

私が少年ハリウッドを愛するところのひとつに、アイドルとななんぞや?というニッチなテーマを深くほりさげながらも、アイドルではないいわゆる普通の人にも光を照らしているところがあります。
例えば、メンバーのひとりである佐伯希星が等身大の自分ではなく、舞台上の自分として天然でブリッコ?なキャラを演出しています。多かれ、少なかれアイドルならば、ほとんどの人がやっていることだと思います。
アイドルは舞台に立てば、本音はいえないとマネージャーからも語られていました。
ここでおもしろいのは、事務所の社長が「社長」というものを演じている事です。アイドルではない社長が。(まぁ、元々が・・というのはおいといて)これがよくわかるのが、かつての仲間である広澤大地に対しての声質と話し方の違い。
アイドル達に対しては、意味のわからないポエマーおじさんみたいなキャラで接していますが、社長という立場を離れれば違う顔をのぞかせる。つまり彼は意図的に「社長」というキャラを作り出しています。そしてそのことにアイドル達は気づかない。
そしてその大地に対してさえ覗かせない顔が彼にはある。このいろいろな顔が人にはある事は、多くの場面でみることができます。家族にたいして、友達にたいして、仲間にたいして、みな自分を演出しています。
それ自体がアイドルになる前から誰もがやってきたこととして。そのどれが本当の自分なんだ?ということでなく、親や子供や、友人や仕事仲間や恋人に見せる自分すべてが自分で作り出した作品なんです。
これは、ほぼ人類みなやっていることで、アイドルの場合はそれをひとつの芸として高めてしまった。この「芸」かどうかだけがアイドルと「一般人」を隔てているにほかなりません。
そう考えると、アイドルという自分からかけ離れた存在がぐっと近く思えて、かれらのその時々の喜びや悲しみに一喜一憂し、スポットライトを浴びるわけでもない、舞台に立つわけではない自分も、この地球という舞台に立ち続けるアイドルみたいなものだな、
と思えてきてならないのです。

 

 

なんか壮大な話になってきた感がありますが、アイドル≒一般人とはいいましたが、アイドルと一般人の間にある境界線について触れていたりと少年ハリウッドという作品自体いろんな面を見せてくれています。
この彼らの物語は、なにかを応援したことがある人ならひっかかるものがあると思いますし、そうでなくとも人間賛歌として成り立っている素敵な作品です。
まだ届いてない人に、届くべき人たちに届きますように。