シェヘラザードの本棚

物語同士のつながりが好き

森下佳子は直さない。瑕疵を光へ変えていくこと。

「おんな城主直虎」始まってますねぇ。
賛否両論あるなかで、私としては「政次さん、かわいそすぎて、いますぐ俺つええ系のチーとハーレム主人公にしてあげてくれ。かわいい敬語妹とちょろいツンデレヒロイン、ずっと想ってくれる幼馴染だけでいいからぁ!!」
とか、「おとわちゃん、ほんと白泉社系列のの光のヒロイン。まっすぐで太陽みたいに照らしてくれる。けど、普通の女の子のラインをきっちり守ってるやん!!」
と、精髄反射な反応を日曜日にしております。

 

 

さてさて、その森下さんの作品はこれまで「ごちそうさん」「わたしを離さないで」「天皇の料理番」を見てきました。
連続で彼女の物語を体験していくとぼんやりとあぁ、この人は登場人物の欠点を包み隠さずだしちゃうんだなぁと思ってきました。
め以子なんてまさにそれで、食い意地がはっていると、文字で書けばそこまで強くはないけれど、見る人がみれば目をひそめるほどの表現がされていました。
そのめ以子の特性を柔らかく伝えることもできたと思いますがあきらかに過剰に演出されてる。本当はもっと控え目にそこを出していったほうが物語の快楽線をたどりやすいとは思います。
人の瑕疵を見ることは厳しさやつらさをともなうから。けど、そこが私が森下作品を愛しちゃってる所以なんです。
好きすぎてうまくいえないのですがというか若干そこがあかんやろという言い方してますが、ほんと好きなんです。彼女の物語の瑕疵に見えうるとこが。

 

 

なんでそこが好きなのかって考えた時の一つに人間の多面的な見方を提示してくれているところがあります。「瑕疵」だといった人の闇も、出会いや場所や環境が変われば、光にかわり闇も光にみえてしまう時がある。それはまるでビー玉についた傷を覗き込むような。光にかざせば輝きだし、暗いところでみればがらくたになってしまうなにか。
このビー玉論?を表しているのが、め以子と和枝でした。和枝は几帳面で細やかな性格が前の嫁ぎ先では、かわいげがないと嫌われ、反対におおざっぱで感情で動くけど人に愛されるめ以子。
和枝は、まさに物語上のめ以子のシャドウの役割で、いじわるな小姑で悪役したが後に嫁いだ先では重宝されているエピソードがありました。そしてめ以子の光もまた和枝を傷つけていました。和枝からすると自分より能力で劣るのになんで?愛される?
という思いがあったのかもしれません。ここですごいのは主人公たるめ以子は、和枝を改心させたわけでも、やりこめたわけでもない。
かといって、自分達の縁を切ること選ばなかった事です。友情が芽生えたわけでも、ひたすら憎いわけでもない、だけどすごく対等な関係性を築いており私はすごく羨ましい。というか、悪役としての和枝がよく格が落ちしなかったなぁと驚きます。


だから、そういうのをふまえて直虎を見ていると森下さんは、井伊家に起こった悲劇を都合よく「直し」はしないだろうなぁ、と思います。英雄でもない平凡な人達だからこそマクロの動きが読めず翻弄され、愛する人々を奪われていき、その荒野を走り続けていかない主人公を見守っていく話になるのではないかと思います。分かりやすいビルドゥングスロマンじゃないかもしれない。取返しのつかない事をかかえ、瑕疵を抱えながらそれでも明日を目指して生き続ける直虎を楽しみに見ていこうと思います。


それは、それとて余談ですが政次は、ものすごく哀れに見えるなぁ。うーん。井伊家におけるいわゆる日本的な村社会のスケープゴートをやらされてるから哀れにみえるのかなぁ。
自分の意思でそれをやると決めたら少なくとも哀れではないから。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」の八幡君はまさにそれで可哀そうには見えない。その有り様を、私は彼が好きだから傷つくとしても。
まぁ、それを考えると直親はスクールカースト上位にいてコミュニケーション強者にみえるど、本音は誰にも言えない葉山君だなぁ。