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物語同士のコネクションを探して

黄昏せまる宗主国。その主として。~おんな城主直虎28話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

前回までは基本的に井伊家の内政にじっくり取り組んできたお話に、フォーカスが置かれていました。
これまでも極めてミクロなテーマの中から戦国というマクロがちらちら見えてましたが、今川家の目線を通すことで魑魅魍魎がうごめくマクロの厳しさを突きつけてくるものであったと思います。
そしてミクロな努力やそこに生きる人々の積み重ねがこれまであったからこそ、マクロの為政者が判断を下す事の重みがあらわれていたのが今回であったと思います。
まぁ、なんといっても寿佳尼と直虎のやりとりに心奪われたのですが、まずは氏真の成長について触れていきたいと思います。

<共にあればこそ>
自信や能力がないまま、当主といっても自分をお飾りのように感じている氏真。彼と寿桂尼の能力差がこれでもかと描写されていました。

 

武田義信の自害が伝えられたとき、氏真は感情のままに怒りを爆発させましたが、寿佳尼はノータイムで解事実的な対応として、氏真の妹の鈴の返還を求めました。
しかも交渉人として自分が赴きます。さすがの武田信玄も相手が寿桂尼だと追い返せるわけもなく受け入れざるをえません。
信玄は理屈を並べて鈴を返さないようにし、寿佳尼もいったんは引くという姿勢を見せます。
が、ここまでが彼女の「下ごしらえ」。北条を交渉のテーブルに引きずり出すことが彼女の目的です。
といってもあの武田がただでそんな事に応じるわけがなく「誓詞」という契約書を要求してきました。
しかしこれで鈴は無事に返還される運びとなりました。

 

そんな武田に怒り爆発の氏真ですが今の、今川家にそれに対抗できる力はありません。
その現実がいまいち直視できない彼は、仲立ちをした北条の使者である幻庵と寿桂尼という二人の老獪の会話に参加することができません。
ここでのポイントは彼がその事実を理解してないという事ではなく、「直視」できてない事です。
むしろ理解はしてる。だけど「直視する」ということは、その事実に対して何もできない自分を見なければならず、認めなければばならないという事を意味しています。
肩書は「当主」であっても心はいまだ彼は幼名である「龍王」。そんな自分を認める事を拒絶するほどに、彼の中に「幼さ」が残っている。
だから寿桂尼が彼を諫めるためにその名を呼ぶと過剰に反応してしまう。

 

が、そんな彼をずっと見てくれてる存在である正室の春が彼にはいました。
苦しい中をできないならできないなりに、彼のやってきたことを彼女は見てきたことでしょう。
ちゃんとみてくれる人がいた彼は「今の自分ができる事」として、病に臥せっている寿桂尼に、今川のかつての調べを届けようとしました。
それで目覚めた寿桂尼に、氏真は「龍王」として教えを乞います
ここのシーンはめちゃくちゃ良くて泣いてしまいます。彼はここで戦国大名として、だめな自分を認める事になります。出来ない自分を受け入れる事はすごく難しい。
前回、彼について「父親殺し(精神的な意味で)」が必要で、そのテーマを解決しないといけないと書きましたが、多分それを「解決」することは重要じゃないと気付きました。
そうではなく、寿桂尼のいうように「共にあること」。共に戦っていく同志の存在に自分が自覚すれば、どんなに能力差がそこにあろうが人は立ち上がっていけるんだと、氏真の存在は教えてくれています。
氏真は今確かに、「龍王」から当主「氏真」になろうとしてます。自分の経験値や器がどれほど足りないか自覚しながら。それでもなお。


<寿佳尼・最後の努力>
寿桂尼は、直虎の事を自分と似た女子であると評しましたが、では彼女は直虎が一体どんな女性だと思っていたのか?を推測していきたいと思います。
綿布を貢ぎ物として持ち込んだ直虎に寿桂尼

「年端もいかぬ小さな女子が、お家のためにひたすら鞠をけっておった姿は、いまだ忘れられぬ。瀬名の命乞いに乗り込んできたとき、徳政を覆しにきたとき、そなたがわが娘であればと、ずっとおもっておりました。」

と言っています。

あくまで私の推論ですが寿佳尼は直虎をこう分析していると思います。


①「蹴鞠」→直虎が「家」という「公」のために自分を捧げれられる心意気が幼いながらにもすでに備わっている。
②「瀬名」→①があるにも関わらず「個」のために、走り出すことができる「情」がある。
③「徳政」→胆力と機転、合理的判断が下せる。
④「綿布」→徳政を覆すときに約束した「井伊を潤す事」の実行力とそれを成すだけの意思の強さを持つ。

 

まとめていってしまえば、「家」のために時として冷酷な合理的判断がくだせるが、個人としての「情」を持つことができる。といったところでしょうか。
なかでも③が寿桂尼が直虎を排除しなければならないと判断したポイントかと思われます。

15話の「徳政令」回で、直虎の「合理的判断能力」を直虎に備わっていると、寿桂尼が見抜いていると推測したとところがあるので振り返ってみます。

 

ここのポイントは「なぜ寿佳尼は直虎を後見として認めたか?」です。 直虎自身で今川にたどりつく胆力を見せ、対等に渡りあったというのももちろんありますが宗主国のトップである寿佳尼の判断は以下の二点。

①民意が直虎側にあること。

②「民を潤す」という目的のために合理的判断ができる能力が直虎にはあると確信したため。

 

まず、①について。 百姓達ってどうしてもいやだと思うと「逃散」してしまう力の持ち主達なんですよね。 だから、ここで無理に今川領にしてしまっても逃げ出してしまって意味がないんです。吸収合併したはいいものの、社員がストをおこしては元も子もありません。

 

②について。 井伊はこれまでは「今川憎し」といいう動機で動いているところがありました。聡明な寿佳尼がそれに気付いてないとは思えません。 この従属国の宗主国に対するルサンチマンは根深いものです。 決して馬鹿にされるべきものではないと私は考えています。

だけど現時点での今川家に逆らうのは上策ではありません。 ただ、民意を背負った直虎は「民を潤す」という目的のための動き、それがひいては井伊や今川の「利」となるといっています。 これは民意に支持基盤がある直虎がいうからこその説得力があり、 支持者の声を一政治家である直虎は無視する事はできません。 これがもし「家」のためという個人的感傷だけなら信頼ができないんですよ。 家族を失うという悲しみや相手への憎しみを知っているからこそ(寿佳尼は息子・義元を戦場で亡くしていますよね) 簡単には直虎のいう事は信用できません。だっていままでどれだけ井伊の人が今川家によって葬られてきましたか?そこに寿佳尼は悪意はなくても自覚的でしょう。

今回の政治ゲームでは直虎は「情」という駒を動かさず合理的な「利」で盤上を制しました。

だからこそ「民のため」という目的が直虎にあるがゆえに、井伊を治めるぶんだけなら問題はない。(つまりそれを最優先に掲げるかぎり今川を裏切らない) と政治的判断を寿佳尼は下した。 と私は考えています。(政治も歴史も明るくないのであくまで個人的推測ですが)

政次さんの対直虎成績0勝1敗 果たして勝利の女神は今回どちらに微笑むのか?外交編~おんな城主直虎15話~ - シェヘラザードの本棚

 

 

上記から、寿佳尼は直虎が合理的判断ができる事に気づいていると思われます。
だからこそ直虎を後見として認めました。だけどそれが寿桂尼にとって「利」となるのは、パックス・イマガーワ(今川家傘下の平和)が盤石な事が条件です。
それが揺らいでしまうと「民のため・井伊のため」という目的のためならば、その合理的判断で今川を裏切ってしまう。
今川に恨みがあるから独立したいという井伊の前世代の感情的な思いからではありません。
今川の屋台骨が危ないから、だからそこからぬけだしていこうとする現実的な判断を直虎が下すと寿佳尼は確信します。
直親の事をここで指摘しても、けしてゆるがない彼女だからこそ。
政令の時に後見としての才ありとして認めた直虎を、マクロの事情が変わるだけで消してしまわなければならなかった。
環境が変わることで、評価が同じでも対応は一遍してしまいます。
これはある意味、氏真も同じ事がいえます。彼の芸事に対する才能も徳川の治世がくるまで輝くことはない。
人は光の当て方でこうも人生が変わってしまう。
寿桂尼はこうして「死の帳面」に直虎をリストに加えましたが、こうしてみると直虎の「本質」を一番に理解して共感してたのは彼女だと思います。
直虎の両親や、政次、直親でもありません。誰よりも直虎のそれに気づき、もう一人の「自分」を見てるかのようだったと思います。
直虎もある意味、政治の先輩でもある寿佳尼に対して共感したり、そのすごさに敬意の念を感じずにはいられなかったでしょう。
たとえ敵として袂を分かつとしても。

<成長した直虎>
さて私は19話で

個人の尊さをしっている普通の人(直虎)が、リーダーとして大きな正しさを選ぶ瞬間が見てみたい。

 と書いてましたが、今回であぁ、彼女はもうそれができるようになってきてるんだなぁとしみじみ感じてしまいました。
そのリーダーとしての「決断」はこれからも直虎に何度もせまってくると思います。

<余談>

なんか、また長くなっちゃいましたね。ほんとは、寿桂尼さま、宗主国として粛清はいいですけど、敵国がせまる今、まとまらないといけないのに属国のモチベーションどうやって上げるんだ?
そんな余裕すら今川には与えられてないって事かな?けど、力が衰えてる時に恐怖政治は、まずくない?寝返りエスカレートしない?
とかあれこれ考えててだらだら書きたいけど、ちょっと力つきました。

 

不完全な世界の不完全な人々~愛すべき娘たち~

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よしながふみさんの織り成す女性たちの5つの短編集。
久々に読み直すと、やっぱり傑作。
きのう何食べた?」みたいな日常ものも、「大奥」のような歴史のifストーリーも、どちらも深い人間への理解と眼差しが感じられます。
上手くいえないけどバランスがすごくいい。ミクロの人間関係にフォーカスしたものを書くと、彼らだけのある種の「閉じた世界」が発生するけど、それをやさしく突き放すような俯瞰した目線が作品にある。
この「やさしく」ってとこがポイントで、この世界とそこに生きる人々の不完全さに、諦観があるにも関わらず、それを抱きしめて歩いていくような感じがして。

 

 

 

大奥 1 (ジェッツコミックス)

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<「傷」があるゆえに、あるからこそ>

さて、この本の第1話に出てくる主人公の雪子は母親の麻里と二人暮らし。30才を迎えるんだけど突然、麻里が再婚する。その相手は雪子の3つ年下での元ホストの健。

ここで出てくる麻里さんは一見すると、自由気ままで娘の事よりも自分を優先する母親として書かれるんだけど第5話で、それがひっくり返るというか、なぜ彼女が娘にそう接していたのか?
というのがわかる構成になっています。
そこで雪子の祖母、つまり麻里の母親の話までさかのぼることになる。この麻里の母親は「あなたのためを思って」の言葉のもと、娘の容姿をけなしてきた。
だから、麻里は自分が親になったときは、反面教師として自分の娘の容姿に無神経な事は言わないし、自分の人生を「あなたのために」という言葉で押し付けない生き方をしてきました。
それが、第1話のそんな麻里に振り回される雪子へと繋がっています。
だけど、じゃぁ、麻里の母親が悪いのか?というと彼女に彼女なりの理由があって、それをやってる。
その事を麻里は頭ではちゃんと理解しています。だけど感情面がどうしてもついていかない。
それについて夫の健はこう言ってます。

「分かってるのと 許せるのと 愛せるのとは みんな違うよ。」

 

こうことを言えて実行している健は人間がすごくできている。
親を許せなくて拳を振り上げた。だけど理解しているからこそ、どこにそれを振り下ろしていいかわからないまま、人生を歩いてきたからこそ出会えた人達がいる。
そのままならなさや、やるせなさ。その拳が開く日が死ぬまでないとしても、その手を包んでくれる人と人生が共にある喜び。
麻里が容姿のコンプレックスから「わたしは美しくないわ。」と言ったから、健は彼女に興味を抱きました。
だからといって受けた「傷」が治るわけじゃない。だけどそれによって健と出会えた。そこに人生の残酷さと美しさがある。
別に誰かと出会わなきゃ、「傷」が意味のないわけではなく、その痛みを知ってからこそ娘の雪子に対して優しくなれるところがあって、それは確かに雪子を救ってるんですよね。

 

 

<「愛」が大きすぎる彼女の選択>
この麻里・雪子と対になるような話が、3・4話に出てくる莢子の話です。彼女の祖父はは社会主義者で彼女に

「決して人をわけ隔てしてはいけないよ 

いかなる理由があっても人を差別してはいけない 

すべての人に等しくよくしてあげなさい。」

 

と教えました。莢子は敬愛するこの祖父のセリフを真正直に受けて、それを実行して生きてきました。だから彼女は「恋」ができない。
なぜなら「恋」は「人をわけ隔てる」という差別の構造をもっているから。
莢子はどうしてもその「恋」のがもつその「欠陥」や「不完全さ」に耐えられない。
そういう自分に悩むんだけど、だからこそ彼女が最終的に選んだ「生き方」というのは、こうぐっとくるものがありました。
あぁ、彼女はそうやって不完全な自分と世界を照らしていこうとするのかと。

 

 

この本に出てくる人達みんなが不完全なんだけど、それを含めてだからこそ、愛すべき人達でした。

父親たちの亡霊とどう向き合う?~おんな城主直虎27話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

方久から気賀の城主になってはどうかと提案された直虎。
ちょうどいいタイミングで、中村屋が町衆を連れ、大沢ではなく直虎にその気賀を治めてほしいとの申し出がありました。
できるものならやってみたい直虎のようですが、さすがに現実問題、超えていけないハードルが多くて一晩考えました。
というか、政次に相談した直虎さん。徳政令の時のように安請け合いしていた頃を考えると、彼女自身の成長と政次との信頼関係もここまできたんだなと感慨深くなりました。

しかしなんといっても方久さん!
直虎を気賀の城主にすべく、銭の犬こと方久が己の才覚を最大限に利用して奔走していました。
今回はもはや直虎スピンオフ「銭の犬・瀬戸方久」といっても過言ではない!というのは私が方久びいきだからでしょうか。
しかしながら、やはり戦国の世、井伊が内部で気賀の管理者を狙っている間にも、武田などの外交関係が厳しくなってきているようです。
そんなマクロの事情に振り回されつつも、自らの「生き方」にあがく三人の男達にスポットをあてていきたいと思います。

 

 

<賢いがゆえの愚かさを抱える氏真>
武田義信の自害により今川との同盟が危うくなり、家臣たちも氏真に機嫌を窺うようにしか意見を言わない状況。
今川の急伸力が落ちることで、家臣達は自分に従順だったわけではなく父親の権威に従っていただけだ、と気付いてるんだと思います。
「どうせ、余は能無しじゃ。」と言うセリフから、彼の自信のなさがみてとれます。
25話でそんな氏真には直虎のように信頼できる仲間がいるんだろうか?と書きましたが今回のでますますそれに確信を深めたといいますか。
この二人はほんと対照的なんですよね。優しい配偶者もいて、氏真には偉大な父親と超えるべき祖母がいる。彼には「父殺し(精神的な意味で)」という人生のテーマがあるけどなかなかそれが解決できない。
かたや直虎の父親の直盛は優しい人ではあったけど、超えていくという対象ではないので、それがプレッシャーとなることはありませんでした。
どちらが為政者の育つ環境として恵まれていたかというと、寿桂尼という教育者もいる氏真です。
ですが何もない状況だからこそ、自らの手で切り開かなければならなかった直虎には頼るべき仲間が多くいるというのは、まさに「人間万事塞翁が馬だと言えます。

 

ただ、今川義元は本来なら松平元康を氏真の片腕にと考えていたようなので、そこが機能していればまた違った未来があったとは思います。
正直なとこ、彼は憎み切れないとこがあるというか自信がないだけで、けして頭は悪くないと思います。外交情勢や自分の器に気づけるだけの賢さがあるからこそ、悩み苦しむ。
今、その器がなくとも、悩む時点でそれを越えられるポテンシャルがあるのですが、彼がそれにそれを理解する前に残酷なマクロの波が襲ってきそうです。
経験値が足りてなかろうが、準備ができてなかろうが、人生にそれは突然にやってくる。

 

 

<あの日の自分達を救う。龍雲丸>
そんな悩みの渦中にいる氏真に対して、自分なりの「生き方」を見出した男が一人。龍雲丸は前回、直虎に「できもしないくせにいうな!」と啖呵をきっていました。
が、それはつまり、直虎がそれを実行に移そうという心意気をみせればその言葉は彼自身にかえってくるものです。「あの尼小僧さまは、やろうとしている。じゃあ、俺は?」
と自分自身に問いかけなければならないからです。
彼ら龍雲党がこじんまりじているうちは、気賀から抜け出すという手もありました。
だけどいまや大所帯。守るべきものが増えた彼には、そのための「何か」が必要です。
前回、「城」は彼にとって「死」や「大事なものを奪われた。」という象徴だと書きました。
今回、そのトラウマの象徴である「城」を自らの発想の転換で、「大事なものを生かす」ため、捕らわれぬための「城」へと昇華しました。

 

ここはすごく心にくるシーンで、彼は人を生かす城を目指すことで、あの幼い日々に逃げ落ちた自分と城を守るために死んでいった父を救っていったのではないのかと。
父親の生き方をどこかで認められなかった。あのときの自分は無力で何もできずに逃げるだけだった。そんな心にいる自分達を。
彼の父親は「城」のために死んだのではなく、「城」が人を守るから、結果、命を投げ出すだけ事になった。
それはけして無駄死にじゃない。もちろん、生き延びる上で身についた龍雲丸の盗賊スキルも。
なにかを「守る」という点で龍雲丸と彼の父親は今、同じステージにたっている。
盗賊業に嫌気がさす心は侍で、やり方や手段は自由な盗賊。その二つは矛盾しているようで、実に彼らしい。
そんな彼にしか建てられない「城」を龍雲丸の父親もきっと誇りに思ってくれてるのではと想像してしまいます。

 

 

<銭の忠犬!方久が走る!>
上記、二人とは、もはやまったく違う次元で軽く人生を飛んで行かんとするのは方久さん。
彼は関口氏には袖の下を渡して、井伊が気賀を治める時の分け前を通すと匂わす事を言いました。
そして他にも城の普請を受け持つ大沢氏には、商人という忠義不確かな町を抱えるより手放した方が得策ではないかと遠回しに提言していました。
もうここは、方久オンステージ。商売人の彼は人の「利」や「欲望」をそれこそ犬のように嗅ぎ付けます。相手の欲するものが何かわかって取り入ろうとする。
直虎と出会った日に、彼女に硯を送った彼の本質はちっとも変っていない。己が銭を稼ぐためなら、フットワークは井伊で一番軽いさを見せる。
だけど「解死人」という社会に、はじかれた存在が「商売」という媒体を通していまや人や物を繋いでいく。その繋いだ中でこそ、銭は動くと彼は知っているから。
動かぬ銭なぞ商売人にとって、意味はないでしょうから。
誰かのためでなく、己のために動いてるのに結果、誰かのためになっている。
そんな彼は、自分の卑しさを正しい形で社会に還元しているという点において、直虎の目指す「世」のローモデルの人間といえるのではないかと思います。

 

 


<政次について>
方久の裏で政次も直虎の策に積極的に協力してくれてました。
しかしながら、井伊家でいろんな危機を乗り越えるたびに、その輪の中に政次がいないのは方針とはいえ歯がゆい。直虎と分かち合えてるとしても。
人の中にいるというのに、いつでもそこから抜け出せてしまう危うさをはらんでいて。ほんとなら、そこに、直之や六左衛門、方久達とも絆が出来てたかもしれない。
なんか今回、感傷的になりました。エモーショナルによっちゃうのは、いつもの事なんですが。
来週もかの歩く災害・信玄公が出てくるようで楽しみです。

 

 

虚構の存在が現実に伝えてくれること~きみはほんとうにステキだね~

きみはほんとうにステキだね (絵本の時間)

最近というかほぼ週刊・直虎感想!になりつつあるこのブログです。
その脚本家の森下佳子さんについて、最近私は以下のように書きました。

脚本家の森下佳子さんの作品に出てくる人物はキャラクター(虚構)的でありながらどこか生生しさがあって「生」を感じます。
「物語」なんだけど、ものすごく彼らが「生きてる」と思えて。「話」自体は竜宮小僧が出てきたりして神話的なのに、彼らが確かに「いる。」
この人物達の「実存感」は演者の方々の力と合わさって爆発力を増し、ほんとこの先誰が欠けてもつらくしんどいです。
だけど、この先も見守っていこうと思います。


それは確かに彼女の凄さなんですが、キャラクター(虚構)的というのがダメとかでは、ぜんぜんそうじゃないんです。
例えば、絵本や童話なんかは、とりわけ複雑な「人間」の心を受け止めやすくするクッションのような役割を果たしていると思うんですよね。

私の大好きな絵本で宮西達也さんの「ティラノサウルスシリーズ」というのがあります。もう、読み返すたんびに泣いてます。

 

主役のティラノサウルスは、力がつよくてあばれんぼうで自分勝手なもんだから他の恐竜たちに嫌われてます。

ある日、死にかけたところをたすけたエラスモサウルスに助けられた事から、彼らの友情が始まるのですが…。

 

最初、ティラノサウルスは友達といえる人がいないんですよね。強いから一人でも生きていけるので。
だけど自分が弱った時に、手を差し伸べてくれる存在に、ここで出会うわけなんですよ。
自分の心を自分だけが占めていた彼に、初めて他者が存在がするようになるんです。
その分、彼は自分があの悪名高いティラノサウルスって伝えられなくなるんですよね。
もし、ほんとうの事を言えば相手は離れていってしまうかもしれないという恐れや、嫌われたくないという思いがあるから。
そして、友達ができることで、ほかの恐竜達にも優しく接することができるようになるんです。
孤高に生きてきた彼にとって「生きる」ことの基準は強いか、弱いかのどちらかだったんだと思うんですよ。その弱肉強食の世界観はすごくシビアなものです。
だけど誰かといることで、世界を柔らかく受け止められるようになったんだと思います。だから他人に優しくできるようになった。
そんな彼も今まで自分がやってきたことのむくいを、最悪な形でうけることになります。他者を傷つけることは、どういう事なのかを身をもって知る事になる。
なんというか、因果応報といえばそうなんですけど、大切な他者が出来た人生の代償があまりに大きくて。
もし、誰かを大切に思わなければ、今もなお一人で生きていれば、知ることのなかった痛み。他者を愛するということは生きていく事の喜びと、それを失う恐怖を同時に抱えているそれを知ってもなお、彼は出会えて良かったと思うのか、それとも出会わなければこんな思いをしなかった、どちらを彼は最後に思うんだろう?
いや、どちらも思うかもしれない。
読み返すたんびにそれについて考えるけど、多分それは現実の自分に問われている。
誰かと生きるという事はつまりその問いかけに、必要な覚悟をすること。普段はなかなか感じる事はできないけど。

 

 

 <虚構の世界から現実を見る>

自分達の生きている「世界」はわかりにくいんだけど、徹底的にシンプルな形に落とし込むことで、逆に「真実」に触れやすくなってるんだと思うんです。
そこに、いわゆる「リアリティ」はなくとも人の心を揺さぶってくる、それが物語の持つ力なのではないかと。
物語を通して「世界」をのぞき見る事で、虚構的な彼らが、生きる事はどういう事なのかを確かに伝えてくるんですよね。
まぁ、難しい事考えなくたって、この話は面白いから、読める明日が楽しみだ!と思わせるだけで、物語は超強いんだ!と思います

ルール(不自由)のなかで自由でいるには~おんな城主直虎26話~

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材木を駿府に持ち込む事で今川家からの謀反の疑いを晴らす事に成功した直虎。
これに対してご都合主義だと思う方もいるかもしれませんが、私はどちらかというと非常に日本的な会議のまわり方を感じました。
意見に正当性や合理性を求められてるというより、それに従った方がいい空気感や雰囲気づくりが求められているところがです。
「忠義」という抽象的なものを求められたときに、「材木を届けさせる。」井伊家は今川家を裏切るわけないよね。ここまでする井伊を無下には扱わないよね。という空気を作っていたと思います。
そして、ここまでの空気を会議の場で伝染させるには、始まる前の「根回し」が重要な役目を担っていました。
この「根回し」は、今回の気賀での話に繋がっていたと思います。
とはいってもこうもはやく謀反の疑いが晴れたのは、その気賀に城を建てるという内情があったからでした。
井伊家を許す事は今川家の懐の広さアピールでもあり、なおかつ気賀の築城の材料が手に入ったという一石二鳥の考えが裏にあるようです。
落日を迎えつつあるとはいえ今川家のしたたかさがここで見えます。

 

<本当の「自由」を手にしたいなら>
さて、その気賀に武家が入ることになって商人たちは最初は反対が多かったものの、しだいに賛成派・反対派・中道派とわかれていったようです。
まずは反対派の龍雲丸について触れたいと思います。
彼はその反対派のなかでも強硬的で過激グループに属している感じがしますね。
過激というか火をつけるという物理攻撃にでてる点では、やっていることはテロリズムに近い所があります。
利害ではなく自身の思想性または感情によって「築城」に反対しているところでもそのイメージに拍車をかけてます。
彼は幼き日々の経験により「城」という存在自体が「死」や「大事なものを奪われた。」という象徴なっています。
彼の武家に対するアレルギーはそこからきているようです。
そんな武家に縛られたくないという思いをもとに、「自由」な生きかたをしている彼が、一番「武家」のルールに縛られてるように見えました。
武家」にならないという選択をしても「武家」がつくる世界に住んでいる彼は武家の作るルールから逃げ出す事は出来ません。
もし本当にそこで自由でいたいと思うなら、ある種の力(知恵や工夫)が必要です。
彼のやり方ではますますその武家につけいる隙を与えてしまいます。
この場合、やはり気賀に自治能力はない。武家が治めなきゃいけないという大義名分を自ら与えてしまうことになってしまいます。
組織の決定に不満があるならば、それと同等の力をもつか(この場合武力)、その内部にいてそこから影響を与えていくしかありません。
だけど経験による感情や出した答えを、人は簡単には翻せない。本当は彼も理屈ではそこに気づいているとは思います。
だからこそ、直虎の意見にいちよは耳をかたむけ討論に応じています。
迷いの中にいる彼は、はたしてどのような結論に辿りつくのでしょうか。

 


<調停者・直虎>
猪姫にみえる直虎ですが、彼女は意外にも調整型のリーダーな面もあります。
気賀での会議ではそんな一面が存分に発揮されていたと思います。
さて今回はあるルールがあります。それは
武家が気賀を治める」
というものです。これは武田への「塩留」というマクロの事情からきており、覆すのはほぼ不可能。
そのルールに対して、反対派と賛成派をうまく融和させる方向にもっていくのが彼女の仕事です。
まず、彼ら両方を交渉のテーブルにつかせるために「材木の都合」を引き合いに出しておびき寄せました。
賛成派はともかく反対派もちろん怒りますよね。
なので彼らがなぜ不満に思うのか、聞き出しています。
反対派としては、税を納めているのに自治権をとりあげられたら意味がないという面もあります。

が、商売人である彼らにとって重要なのは、自由に荷や人が移動できなくなることによる商売の停滞への危機。

 

 

そこで直虎は「築城」自体を交渉のカードとして、大沢に商売の保証を取り付けろ、と提案します。
大沢も気賀が潤う事に反対する理由もないので、十分に彼らの妥協点を探れる可能性が探れます。
直虎は賛成派の顔を立てる事も忘れません。彼らにもそういう考えがあったのではないか?といっています。

 

私はそういう面もなかったとはいいませんが、彼らは商売上の戦略として大沢につこうとしていたというのが大きいと思います。例え、反対派を見捨てる行為だとしても。
だけどここで重要なのは、そういう話にしてた方が、この場が丸く収まるという点です。
賛成派も反対派も同じ理由からいがみ合い誤解していたという事にしておけば、その後のやりとりがスムーズに進みます。
両者ともに振り上げたこぶしを下す理由が必要でした。
直虎はそんな彼らの落としどころを提供していたと思います。

 

 

<ルールさえ利用する男・方久>
いやぁ、ほんと今回の方久さんには惚れました。「武家(大沢)が治める。」というルールに対して「井伊が治める。」という置換ができるとう発想は商売人の彼ならではです。
もちろん井伊が、水上交通による儲けが見込める気賀を治めるという事になれば、彼の商売も可能性がどんと広がるという目論見もあります。
しかもただの夢物語ではなく、ちゃんと現実の延長上にそれを見据えているとこがまたよくて。勝算があるからいっているでしょうし。
気賀にも井伊にも自分にも悪い話ではないでしょ?と全方位win-winを目指そうとするとことか惚れ惚れします。

 

 

<同じ井伊谷ファーストだとしても>
トランプさんがアメリカ・ファーストといってましたが、これはどこの国も自分のとこが一番大事です。
ただ、そのやり方や定義にずれがあるわけで。
直虎も政次も、井伊谷ファーストですが現実への認識の違いがあるように感じました。
政次は国益のためには基盤が今川との縦ラインの安定にあるという風に考えており、直虎はそれだけじゃなく横のつながり(経済)に広げていく事を強化したいと考えてるのかなと。
いや、直虎は経済まで踏み込んで考えてはないとは思うんですけど。
気賀の問題に井伊が介入するという事は危険性だけではなく、影響力が増すという、うま味もあるよなぁと思ったので。
政次が最初から否定の形からはいってきたので、ちょっとびっくりしました。
ちょっと以前にもまして彼の考えている事が掴めにくいとこが出てきているので、なんともいえません。
まぁ、方久の提案した案を踏まえて気賀に介入するという事を、どう彼が判断するかは来週のお話なんですが。
「今川」というルールの中でどう勝負していくかが今後の見どころになりそうです。

 

 

物語は誰がために~ウォルト・ディズニーの約束~

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ディズニー作品の中でも名作と名高い「メリー・ポピンズ」。
その映画化のために、イギリス在住の作者。パメラ・トラヴァースはアメリカのディズニースタジオへ。
だが気難しく頑固な彼女は、製作スタッフのミュージカル化や俳優、舞台のセット案、アニメーションをほぼ否定していく。
おかげでなかなか作業が進行しない。
そこでウォルト・ディズニ-はなんとか彼女の心を開かせようとするのだが・・。

 

メリーポピンズ スペシャル・エディション [DVD]

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 メリー・ポピンズは幼いころに見たことがあります。

映画を見たことはなくとも「チムチムニー♪」と始まる曲を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?
その作者のトラバースさんは、頑固で性格がきつい性格に最初の方は描かれています。
といっても彼女の気持ちはわかるんですよね。要は原作を尊重した実写化をしてくれ、と彼女は主張しているわけです。
しかしメディアの違いがそこにあって、製作サイドからみれば彼女のかたくなさは厄介です。
話が進むにつれ、なぜそこまでして彼女が「メリー・ポピンズ」にこだわりがあるのかが、彼女の少女時代を交互に織り交ぜながら解き明かされていきます。

 

<クリエーターの夢とお金のはざ間で>

パメラは最初から、ウォルトを含む現場スタッフを警戒しています。
むしろ「お金目当てなんでしょ?」とつっかかっていきます。
なぜこんな事を思うかといえば、それは少女時代に起因しています。
彼女の父親は失業したのち、銀行家になりました。家族を養うために。
どこか浮世離れしている彼はお金を扱う仕事にむいていない。そしてアルコールに走ってしまいます。
倒れてもなお、そのアルコールを離さずにはいられない彼に、妻は絶望して自殺未遂まで起こしてしまいます。
ここまで、悪い面を書きましたが、けしてそれは彼のすべてではありません。
夢見がちな分、子供と同じ目線に立つ事ができ、子供の空想をけして馬鹿にしない良い父親の面も、もっています。

 

 

だからこそパメラは許せないのです。
お金のために、生活のために、銀行家になった父。そのお金を扱う仕事で彼自身と家族が壊れてしまった。
なのに、その自分がお金を稼ぐために自分の愛する作品を汚してしまうかもしれない。
お金にさんざん振り回されたというのに、そのお金がないとやっていけない。
これはパメラの個人的葛藤でもありますが、作品作りに携わる人達なら直面する問題ではないでしょうか?門外漢なのであくまで想像ですが。
自分の思うような作品を作る事とスポンサーの意向のぶつかりあいなどの。
集団製作物である映像作品ならなおさらおこる事と思います。

 

 

<物語が救うもの>

さて、彼女の少女時代はそんな暗い影を落としていますが「メリー・ポピンズ」はハッピーエンドで終わる作品です。
魔法が使えるメリーは壊れかけた家族の救世主になり得ましたが、パメラのもとにきた伯母さんは奇跡を起こせず、冷たい現実を変える事が出来なかった。
そこにパメラの「願い」が込められていてます。そしてそれがウォルトが彼女の心を開かせる鍵になります。

 

 

頑固だったパメラも少しずつですが、製作陣と歩み寄りを始めます。
けどある日、実写の中にアニメーションを取り込む案があると知り、激怒してイギリスに帰ってしまいます。
ウォルトはアメリカからイギリスの彼女の家までいって説得にかかるんですが、それがもう完全に口説いているんですよね。
色気があるとかじゃなくて、これはビジネスなんですけど、人の心を動かそうとするときに、誠意をもって相手と対峙していこうとする姿勢がまさにそれで。

 

彼は彼女の心を開かせるために、自分の内面をさらけ出しました。
幼いころ雪がふる寒い中、新聞配達をさせていた自分の父親について。

その父親の事を愛しているが、それだけではない複雑な気持ちが混在している事。
自分の半身ともいえる自ら生み出したキャラクターを売り渡さないといけない状況に追い込まれた経験がある事。
この二つからわかる通りパメラと似たような境遇をウォルトは送っているわけです。キャラクターはただの絵でも文字でもなく彼らの家族です。
同情でも分析でもなく、同じ立場のクリエーターだからこそ通じる何かがそこにあるわけです。

彼ら二人は、幼い日の彼らは現実を変えられたわけではありません。でもだからこそ物語の中でこそ現実に疲れ切った「父親」達を救う事ができます。
そして、父親を救えなかった子供時代の自分達に赦しを与えようとします。
「メリーポピンズ」に出てくる父親のMr.バンクスを幸せに描くことで。
なぜなら、「メリー・ポピンズ」を見た同じような人々がこの作品に心が動かされ、少しでもつらい現実を忘れて明日への活力となるかもしれない。
その作品を見ることで視聴者が救われていくという事は同時に、彼らクリエーターの心を救う事を意味します。

 

 

メリー・ポピンズ」の作品は見返すと確かにMr.バンクスの救いが描かれている話で、幼いころの私は一切それに気づきませんでした。
どちらかというと魔法がつかえる女性が家にやってくるという事にわくわく感をもっていかれて。つまり
この作品は二度、「救い」を人々に与えている
最初に、子供に見た時。そして大人になった際にに再び見た時。
よく、「大人でもみれる子供向け作品」という事がいわれますが、大人になってそれをまた見た時でも感動を与えてくれる作品の事をいうのではないでしょうか。

 

 

<デレたあとの破壊力>

それにしても、ウォルトの説得に応じたあとのパメラが可愛すぎて。
試写会で涙ぐむ彼女が「アニメーションがひどすぎて」といっても、もはやツンデレのセリフにしか聞こえないんですよ。
人の表層だけでなく内面を知るという事はこんなにもイメージを変える。
ウォルト自身も同じで、パメラの性格だとマスコミ受けしないから、試写会には呼ばないでおこうとします。
ともすればビジネス的な冷たい合理的判断のように思えますが、彼が「作品」を守ろうとする姿勢からやろうとしてることがわかります。
それをパメラもわかるから、くってかかるような事はしない。けしてウォルトが作品を汚さない。作品の本質を共有していると。
まぁ、それをわかってもメリーポピンズのように現れるんですけどね。
だけどそのさまも可愛くてしょうがなかったです。

いやぁ、ほんとにいい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

見えない忠義を求める氏真と見えない絆で立ち向かう直虎~おんな城主直虎25話~

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井伊の材木の売り先が決まり喜びに沸く直虎達の一方で、「塩留」という経済封鎖を使い武田を追い込もうとする氏真。
他国との情勢がだいぶ不安定になりつつあるようです。
今回はそんな暗雲立ち込める今川家に、思わぬ形で巻き込まれる井伊家が、どのようにその危機を脱していくのかが描かれていました。


<国防と経済>
前回、方久さんが「塩留」に対して商魂魂を燃やしてました。まさに「上に政策あれば、下に対策あり」ですが、「上」である今川家はたまったもんじゃないでしょう。
取り締まりのおかげで効果がではじめたようですが、商売人達は自由に商いができないとみるや、さっさと気賀に店そのものを、移していっているようです。
商売人のこの「対策」に対して、今川も「政策」として自治で治める気賀に城を置き、影響力を強めようとします。まさにいたちごっこなんですよね。
この話自体は次回に持ち越ししそうですが、個人的にすごく気になりました。
自国を他国の侵略から守ろうとするとした時に「民を潤す」という目的の経済がどうしても統制されてしまう。
もちろんそのすきまで儲けをだす「武器商人」もいるのはいるのですが、全体的に見ると経済的にマイナスではないでしょうか?そこらへんはくわしくないので想像ですが。
だけど、どちらも確かに国のためでもあって、その矛盾を抱えて国を運営しなけれならない為政者のおかれた立場は、非常に難しい。
まぁ、そんな国の事情なんか知るか!といわんばかりに敵国にも武器を売っていたオランダ商人もいるんでなんともいえないんですが。
そういえば、家康が朱印船貿易で取引していた相手もオランダ人の「ヤン・ヨーステン」でした。
方久さんからはそんなオランダ商人スピリッツを少し感じます。


アウトローからの脱却>
武家になるのを断った龍雲丸一味でしたが、なんと気賀で万事屋(便利屋)のようなことを始めたようです。それも流れ者達に寝床や職を提供しながら。
誰かから奪う事を生業にしていた彼らが、誰かに「生きるすべ」を与えていく存在になっている。
差別的扱いを受け世の中をどこか疎んでいたのに、今やさらに不安定な立場の人間に手をさしのべようとしている。
龍雲丸は直虎のいうように「奪い合ってしか生きれぬ世」に一矢報おうとしているのではないかと思います。「奪い合わずともよい世の中」のために、その小さな一歩として。
それは確かにベイビーステップだけど世の中の一部であることは事実です。
立場をこえて直虎と龍雲丸達はその「夢」を共有できるのではないでしょうか。


<忠義というかたちないもの>
直虎は、売った木材が三河の徳川に流れた事で今川から謀反の疑いをかけられ、またも申し開きに行かなければなりませんでした。
軍事物資にもなりえる木材を大量に売り渡す時点で、警戒心がないのは「うかつさ」があるといえるかもしれません。
ですが、今回は氏真にはそれ自体よりも目的が別にあります。「井伊の首を直虎から政次にすげかえる」ことです。
彼のこのたくらみに対して直虎がどのように対処したのかを追っていきたいと思います。

今回は15回の「おんな城主 対 おんな大名」のリフレインともいえる話です。
寿桂尼との対決では、直虎は男装姿で現れ、意表をついてから理屈で殴るという戦法でした。
しかしそれだけでは足らず、農民達の「嘆願書」が運よく届けられ、それが彼女を救いました。(もちろんそのあとの彼女のスピーチが後押ししていますが)

 

scheherazade.hatenablog.com

 彼女はそんな運の良さを自覚しています。自分一人だけの力だけではどうしようもない事も。その「運」を自覚的に利用するために今回は数々の手を打ちました。

 

まず目標として「材木を駿府へ送り届ける事」があります。
この目標達成のために二重、三重の指示を方久・六左衛門に命じました。
①成川屋から材木を取り戻す。出来ないなら→
②気賀で材木を買って「井」の印を押す。それもだめなら→
③龍雲党に頼んで三河行きの船から材木を奪還する。

 

そして自身が時間稼ぎのために体をはって薬を使い、熱を出すという荒業にでました。

 

 

ここまでが下ごしらえの段階で、氏真との直接対決が待っています。
寿佳尼との対談の時は「法」の話でもあったせいか最初に「理」で相手に挑みましたが、今回はまず「情」で訴えかけました。
直虎は売った木材の売り先までは預かり知らぬところで、謀反などない。井伊は忠義をつくしている、と必死に言います。
それに対して氏真は、信じてやりたいとこだけど、いちはやく松平に通じた井伊だしなぁ、と返答しています。

 

 

えっとここで、氏真の心境を推測しますが、彼ってすごく今、疑心暗鬼になっている状態なんですよね。実際、裏切りまくりで誰を信じていいかわからない。国の周りも情勢不安定で。
そんな彼は、死んだ偉大な父親とやり手の祖母がいる中でなんとかやっていかないといけない。だけどまだまだ自信がない。
だからこそ直虎よりも信頼関係があると思っている政次に挿げ替えたい。少しでも不安を取り除くために。
なんかこの辺は、妻(直虎)の浮気を疑っているので、自分に好意をもってくれてる新しい彼女(政次)に乗り換えたい!という旦那さんかな?と感じました。
たとえがうまくないんですけど。
そして直虎から「こういうやり方は真に忠義ある者を失う。」と指摘されてしまいます。
彼が少し動揺したのは、もっとも恐れている事(信頼できる人がいない)を指摘されたセリフだからでは?と想像します。

 

で、こういう状態の相手には基本的に何をいっても通じない、というかそうじゃなくても「忠義」というみえない感情を信じろ!っていわれても信じる事ができません。私もきっと疑います。
だってその「忠義」には理由がない。むしろ遺恨が残る分、裏切ると思った方が理屈は通る。

理屈だと勝てないので「こいつは本気で、その『忠義』を証明しようと動いてる。なにやら骨を折って。理屈的にはおかしいけど。」と思わせる事が重要です。
それの目に見える形として「今川に材木を届けさせる」という事が必要ではなかったかと。

 

といっても、来週まで持ち越しなんでなんともいえないのですが、直虎はやれるだけの事はやったと思います。
いやほんとに「みえないもの(忠義)」の証明って難しいんですよね。個人的に直虎が今川家に忠義心があるかといえば、ないわけで。けど生き残るためには、こころなき「忠義」を相手に納得させなきゃならない戦術をとらないといけない。前回の庵原さんとこの会話からみえるように。
ほぼゼロベースから証明しようとすると、熱意を形にして見せるしかなくて。
こういう、かたくなな相手の心を動かすにはどうすればいいのか?というのは、ちょうど借りた映画でも似たような場面があったので書きたいと思います。たぶん。

 

 

<政次コーナー>
さてさて、長くなりすぎたのでどうしようかと思いましたが少しだけ政次さんについて。
いや、でもほんということがないんですよね。もう信頼関係が深まりすぎて、完全に囲碁という小宇宙で二人の世界でしたし。
黒と白の世界でふたりは溶け合って灰色の存在に。この白黒つかない世界で、とかわけのわからないポエムじみた言葉しかもう出てこないんですよ。
言葉を交わさずとも深く信じられる絆がある。意外にも氏真はそういうポジションの人はいなくて、対照的だったなぁと。
彼には支えてくれる妻や家臣がいても、戦友や同じヴィジョンをみれる同志がいるようにはみえなかったので。
いたら、ごめん。氏真くん。
信頼を預け合い、なにかあれば託す事ができる存在がいる。二人とも明確に言葉にしないのにそれを感じられる。見えないのにそこに確かにあるんだと信じられる。
これを僥倖といわずして何を僥倖と言うんだろう。
この二人がたどり着く先に、どこまでもついていこうと思いました。