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物語同士のつながりが好き

物語は誰がために~ウォルト・ディズニーの約束~

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ディズニー作品の中でも名作と名高い「メリー・ポピンズ」。
その映画化のために、イギリス在住の作者。パメラ・トラヴァースはアメリカのディズニースタジオへ。
だが気難しく頑固な彼女は、製作スタッフのミュージカル化や俳優、舞台のセット案、アニメーションをほぼ否定していく。
おかげでなかなか作業が進行しない。
そこでウォルト・ディズニ-はなんとか彼女の心を開かせようとするのだが・・。

 

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 メリー・ポピンズは幼いころに見たことがあります。

映画を見たことはなくとも「チムチムニー♪」と始まる曲を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?
その作者のトラバースさんは、頑固で性格がきつい性格に最初の方は描かれています。
といっても彼女の気持ちはわかるんですよね。要は原作を尊重した実写化をしてくれ、と彼女は主張しているわけです。
しかしメディアの違いがそこにあって、製作サイドからみれば彼女のかたくなさは厄介です。
話が進むにつれ、なぜそこまでして彼女が「メリー・ポピンズ」にこだわりがあるのかが、彼女の少女時代を交互に織り交ぜながら解き明かされていきます。

 

<クリエーターの夢とお金のはざ間で>

パメラは最初から、ウォルトを含む現場スタッフを警戒しています。
むしろ「お金目当てなんでしょ?」とつっかかっていきます。
なぜこんな事を思うかといえば、それは少女時代に起因しています。
彼女の父親は失業したのち、銀行家になりました。家族を養うために。
どこか浮世離れしている彼はお金を扱う仕事にむいていない。そしてアルコールに走ってしまいます。
倒れてもなお、そのアルコールを離さずにはいられない彼に、妻は絶望して自殺未遂まで起こしてしまいます。
ここまで、悪い面を書きましたが、けしてそれは彼のすべてではありません。
夢見がちな分、子供と同じ目線に立つ事ができ、子供の空想をけして馬鹿にしない良い父親の面も、もっています。

 

 

だからこそパメラは許せないのです。
お金のために、生活のために、銀行家になった父。そのお金を扱う仕事で彼自身と家族が壊れてしまった。
なのに、その自分がお金を稼ぐために自分の愛する作品を汚してしまうかもしれない。
お金にさんざん振り回されたというのに、そのお金がないとやっていけない。
これはパメラの個人的葛藤でもありますが、作品作りに携わる人達なら直面する問題ではないでしょうか?門外漢なのであくまで想像ですが。
自分の思うような作品を作る事とスポンサーの意向のぶつかりあいなどの。
集団製作物である映像作品ならなおさらおこる事と思います。

 

 

<物語が救うもの>

さて、彼女の少女時代はそんな暗い影を落としていますが「メリー・ポピンズ」はハッピーエンドで終わる作品です。
魔法が使えるメリーは壊れかけた家族の救世主になり得ましたが、パメラのもとにきた伯母さんは奇跡を起こせず、冷たい現実を変える事が出来なかった。
そこにパメラの「願い」が込められていてます。そしてそれがウォルトが彼女の心を開かせる鍵になります。

 

 

頑固だったパメラも少しずつですが、製作陣と歩み寄りを始めます。
けどある日、実写の中にアニメーションを取り込む案があると知り、激怒してイギリスに帰ってしまいます。
ウォルトはアメリカからイギリスの彼女の家までいって説得にかかるんですが、それがもう完全に口説いているんですよね。
色気があるとかじゃなくて、これはビジネスなんですけど、人の心を動かそうとするときに、誠意をもって相手と対峙していこうとする姿勢がまさにそれで。

 

彼は彼女の心を開かせるために、自分の内面をさらけ出しました。
幼いころ雪がふる寒い中、新聞配達をさせていた自分の父親について。

その父親の事を愛しているが、それだけではない複雑な気持ちが混在している事。
自分の半身ともいえる自ら生み出したキャラクターを売り渡さないといけない状況に追い込まれた経験がある事。
この二つからわかる通りパメラと似たような境遇をウォルトは送っているわけです。キャラクターはただの絵でも文字でもなく彼らの家族です。
同情でも分析でもなく、同じ立場のクリエーターだからこそ通じる何かがそこにあるわけです。

彼ら二人は、幼い日の彼らは現実を変えられたわけではありません。でもだからこそ物語の中でこそ現実に疲れ切った「父親」達を救う事ができます。
そして、父親を救えなかった子供時代の自分達に赦しを与えようとします。
「メリーポピンズ」に出てくる父親のMr.バンクスを幸せに描くことで。
なぜなら、「メリー・ポピンズ」を見た同じような人々がこの作品に心が動かされ、少しでもつらい現実を忘れて明日への活力となるかもしれない。
その作品を見ることで視聴者が救われていくという事は同時に、彼らクリエーターの心を救う事を意味します。

 

 

メリー・ポピンズ」の作品は見返すと確かにMr.バンクスの救いが描かれている話で、幼いころの私は一切それに気づきませんでした。
どちらかというと魔法がつかえる女性が家にやってくるという事にわくわく感をもっていかれて。つまり
この作品は二度、「救い」を人々に与えている
最初に、子供に見た時。そして大人になった際にに再び見た時。
よく、「大人でもみれる子供向け作品」という事がいわれますが、大人になってそれをまた見た時でも感動を与えてくれる作品の事をいうのではないでしょうか。

 

 

<デレたあとの破壊力>

それにしても、ウォルトの説得に応じたあとのパメラが可愛すぎて。
試写会で涙ぐむ彼女が「アニメーションがひどすぎて」といっても、もはやツンデレのセリフにしか聞こえないんですよ。
人の表層だけでなく内面を知るという事はこんなにもイメージを変える。
ウォルト自身も同じで、パメラの性格だとマスコミ受けしないから、試写会には呼ばないでおこうとします。
ともすればビジネス的な冷たい合理的判断のように思えますが、彼が「作品」を守ろうとする姿勢からやろうとしてることがわかります。
それをパメラもわかるから、くってかかるような事はしない。けしてウォルトが作品を汚さない。作品の本質を共有していると。
まぁ、それをわかってもメリーポピンズのように現れるんですけどね。
だけどそのさまも可愛くてしょうがなかったです。

いやぁ、ほんとにいい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

見えない忠義を求める氏真と見えない絆で立ち向かう直虎~おんな城主直虎25話~

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井伊の材木の売り先が決まり喜びに沸く直虎達の一方で、「塩留」という経済封鎖を使い武田を追い込もうとする氏真。
他国との情勢がだいぶ不安定になりつつあるようです。
今回はそんな暗雲立ち込める今川家に、思わぬ形で巻き込まれる井伊家が、どのようにその危機を脱していくのかが描かれていました。


<国防と経済>
前回、方久さんが「塩留」に対して商魂魂を燃やしてました。まさに「上に政策あれば、下に対策あり」ですが、「上」である今川家はたまったもんじゃないでしょう。
取り締まりのおかげで効果がではじめたようですが、商売人達は自由に商いができないとみるや、さっさと気賀に店そのものを、移していっているようです。
商売人のこの「対策」に対して、今川も「政策」として自治で治める気賀に城を置き、影響力を強めようとします。まさにいたちごっこなんですよね。
この話自体は次回に持ち越ししそうですが、個人的にすごく気になりました。
自国を他国の侵略から守ろうとするとした時に「民を潤す」という目的の経済がどうしても統制されてしまう。
もちろんそのすきまで儲けをだす「武器商人」もいるのはいるのですが、全体的に見ると経済的にマイナスではないでしょうか?そこらへんはくわしくないので想像ですが。
だけど、どちらも確かに国のためでもあって、その矛盾を抱えて国を運営しなけれならない為政者のおかれた立場は、非常に難しい。
まぁ、そんな国の事情なんか知るか!といわんばかりに敵国にも武器を売っていたオランダ商人もいるんでなんともいえないんですが。
そういえば、家康が朱印船貿易で取引していた相手もオランダ人の「ヤン・ヨーステン」でした。
方久さんからはそんなオランダ商人スピリッツを少し感じます。


アウトローからの脱却>
武家になるのを断った龍雲丸一味でしたが、なんと気賀で万事屋(便利屋)のようなことを始めたようです。それも流れ者達に寝床や職を提供しながら。
誰かから奪う事を生業にしていた彼らが、誰かに「生きるすべ」を与えていく存在になっている。
差別的扱いを受け世の中をどこか疎んでいたのに、今やさらに不安定な立場の人間に手をさしのべようとしている。
龍雲丸は直虎のいうように「奪い合ってしか生きれぬ世」に一矢報おうとしているのではないかと思います。「奪い合わずともよい世の中」のために、その小さな一歩として。
それは確かにベイビーステップだけど世の中の一部であることは事実です。
立場をこえて直虎と龍雲丸達はその「夢」を共有できるのではないでしょうか。


<忠義というかたちないもの>
直虎は、売った木材が三河の徳川に流れた事で今川から謀反の疑いをかけられ、またも申し開きに行かなければなりませんでした。
軍事物資にもなりえる木材を大量に売り渡す時点で、警戒心がないのは「うかつさ」があるといえるかもしれません。
ですが、今回は氏真にはそれ自体よりも目的が別にあります。「井伊の首を直虎から政次にすげかえる」ことです。
彼のこのたくらみに対して直虎がどのように対処したのかを追っていきたいと思います。

今回は15回の「おんな城主 対 おんな大名」のリフレインともいえる話です。
寿桂尼との対決では、直虎は男装姿で現れ、意表をついてから理屈で殴るという戦法でした。
しかしそれだけでは足らず、農民達の「嘆願書」が運よく届けられ、それが彼女を救いました。(もちろんそのあとの彼女のスピーチが後押ししていますが)

 

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 彼女はそんな運の良さを自覚しています。自分一人だけの力だけではどうしようもない事も。その「運」を自覚的に利用するために今回は数々の手を打ちました。

 

まず目標として「材木を駿府へ送り届ける事」があります。
この目標達成のために二重、三重の指示を方久・六左衛門に命じました。
①成川屋から材木を取り戻す。出来ないなら→
②気賀で材木を買って「井」の印を押す。それもだめなら→
③龍雲党に頼んで三河行きの船から材木を奪還する。

 

そして自身が時間稼ぎのために体をはって薬を使い、熱を出すという荒業にでました。

 

 

ここまでが下ごしらえの段階で、氏真との直接対決が待っています。
寿佳尼との対談の時は「法」の話でもあったせいか最初に「理」で相手に挑みましたが、今回はまず「情」で訴えかけました。
直虎は売った木材の売り先までは預かり知らぬところで、謀反などない。井伊は忠義をつくしている、と必死に言います。
それに対して氏真は、信じてやりたいとこだけど、いちはやく松平に通じた井伊だしなぁ、と返答しています。

 

 

えっとここで、氏真の心境を推測しますが、彼ってすごく今、疑心暗鬼になっている状態なんですよね。実際、裏切りまくりで誰を信じていいかわからない。国の周りも情勢不安定で。
そんな彼は、死んだ偉大な父親とやり手の祖母がいる中でなんとかやっていかないといけない。だけどまだまだ自信がない。
だからこそ直虎よりも信頼関係があると思っている政次に挿げ替えたい。少しでも不安を取り除くために。
なんかこの辺は、妻(直虎)の浮気を疑っているので、自分に好意をもってくれてる新しい彼女(政次)に乗り換えたい!という旦那さんかな?と感じました。
たとえがうまくないんですけど。
そして直虎から「こういうやり方は真に忠義ある者を失う。」と指摘されてしまいます。
彼が少し動揺したのは、もっとも恐れている事(信頼できる人がいない)を指摘されたセリフだからでは?と想像します。

 

で、こういう状態の相手には基本的に何をいっても通じない、というかそうじゃなくても「忠義」というみえない感情を信じろ!っていわれても信じる事ができません。私もきっと疑います。
だってその「忠義」には理由がない。むしろ遺恨が残る分、裏切ると思った方が理屈は通る。

理屈だと勝てないので「こいつは本気で、その『忠義』を証明しようと動いてる。なにやら骨を折って。理屈的にはおかしいけど。」と思わせる事が重要です。
それの目に見える形として「今川に材木を届けさせる」という事が必要ではなかったかと。

 

といっても、来週まで持ち越しなんでなんともいえないのですが、直虎はやれるだけの事はやったと思います。
いやほんとに「みえないもの(忠義)」の証明って難しいんですよね。個人的に直虎が今川家に忠義心があるかといえば、ないわけで。けど生き残るためには、こころなき「忠義」を相手に納得させなきゃならない戦術をとらないといけない。前回の庵原さんとこの会話からみえるように。
ほぼゼロベースから証明しようとすると、熱意を形にして見せるしかなくて。
こういう、かたくなな相手の心を動かすにはどうすればいいのか?というのは、ちょうど借りた映画でも似たような場面があったので書きたいと思います。たぶん。

 

 

<政次コーナー>
さてさて、長くなりすぎたのでどうしようかと思いましたが少しだけ政次さんについて。
いや、でもほんということがないんですよね。もう信頼関係が深まりすぎて、完全に囲碁という小宇宙で二人の世界でしたし。
黒と白の世界でふたりは溶け合って灰色の存在に。この白黒つかない世界で、とかわけのわからないポエムじみた言葉しかもう出てこないんですよ。
言葉を交わさずとも深く信じられる絆がある。意外にも氏真はそういうポジションの人はいなくて、対照的だったなぁと。
彼には支えてくれる妻や家臣がいても、戦友や同じヴィジョンをみれる同志がいるようにはみえなかったので。
いたら、ごめん。氏真くん。
信頼を預け合い、なにかあれば託す事ができる存在がいる。二人とも明確に言葉にしないのにそれを感じられる。見えないのにそこに確かにあるんだと信じられる。
これを僥倖といわずして何を僥倖と言うんだろう。
この二人がたどり着く先に、どこまでもついていこうと思いました。

 

伝奇小説の奥深さというか、すごい世界を見てしまった。~柳生陰陽剣~

柳生陰陽剣 (新潮文庫)

慶長十一年、死の床にあった柳生石舟斎が言い遺した言葉。それは、枕頭に侍っていた新陰流の達人にして、陰陽道の術客でもある柳生友景に、朝鮮妖術師との新たな死闘を覚悟させた。古代よりの怨讐をこえて魔界の王を味方にし、魑魅魍魎をも従えた友景は、後水尾帝の陰陽頭となり、この国を陰謀に陥れようとする者どもと対峙する。痛快無比、奇想天外の歴史大活劇。
(「BOOK」データベースより)

朝鮮半島が舞台の伝記作品を多く手掛ける荒山徹さんの作品です。

難しそうだと思われそうで、実際まぁ、このジャンルを読みなれていないと、とっつつきにくいかもしれません。
だけど上記の内容紹介からもわかる通り、かなりぶっとんでて「なんじゃこりゃぁ!」と楽しみつつもつっこみながら読みました。

 

簡単にいえば、秀吉の朝鮮出兵の恨みをはらさんとし、日本を混乱させようとする朝鮮国王の光海君と妖術師達。そんな彼らと死闘を繰り広げるは主人公の柳生友景。
彼はもともと強い美形の陰陽師かつ剣士で、さらに日本三大怨霊の一人である崇徳上皇からのパワーをもらって無双しまくります。
自分で書いてて、この時点でぶっとんだ設定だと思いますけど、これだけじゃなくて、オスカル・アンドレという名の美人女性剣士が出てきたり、
秀吉の側室である淀君のクローンが作られ、偽の淀君が豊臣を掌握して世の中を混乱させます。
使い魔も「モスラ」がでてきて、もうなんでもありだな!!って感じで、普通なら話が壊れていきそうなんですよね。
けど、作者の荒山さんは日朝どちらも深く知識があって、奇想天外の物語にもかかわらず、背景の強度に説得力があって、最終的に力業で納得させられるというか。
これだけの「虚構」に騙されても悔いなし!とおもわされるのは、ほんとすごい。

 

 

<強さと孤高の先へ>
というか、最後の方のシーンとか泣かされたんですよね。
主人公の友景くんの敵役として、柳生眞純という朝鮮生まれの日朝のハーフの男性がいて、
彼は自身のアイデンティティが社会的に受け入れらない孤独を抱えていました。
まぁ、文禄・慶長の役のあとなんで、日本人の血をひく彼は周りから疎まれる。
剣の才能があり、それを伸ばす環境にいた彼はひたすら強さを求めていきました。
共同体からはぶれてしまうので、生き抜くためには、それに頼らず、自らの強さをひたすら求めていくんですよね。
その孤高のなかにいた彼が、友景という対等かそれ以上に強い存在に出会うことで、救われていく。
私は「共同体からはぶれてしまった人の生き方」というテーマを追ってるんで、思わず彼の人生にぐっときてしまいました。

 

 

<秀吉と家康の外交戦略>
戦国時代の話というか、秀吉と家康はずいぶん対アジアの戦略が違うなと感じます。
秀吉が耄碌していたとか、「武家」が領土を拡大しなければ家臣に与える土地がないからという理由で出兵したというのを、話の中で見るけど、
「明」の後ろ盾がある朝鮮を攻めてる。すごくなんというか老舗の日本向けの企業が突如、グローバル競争に目覚めたように感じます。
秀吉の大陸へのビジョンはどうなっていたんだろう?どこまで国際情勢を把握していた?勝算はどこまであったのか?とかいろいろ考えてしまいます。
いや、思い込みで「えいや!」とつっこんでいける時もあるとは思いますけど。
そんな彼に対して、家康は朝鮮と国交をすばやく回復させ、内政の方に力をいれていて、この二人はかなり国造りにおいて方向性が違うんですよね。
家康はやっぱり、海外なんか目指さず、日本人向けにやっていこうぜ!って感じます。
うーん。ちょっとこの辺は勉強不足すぎて、修行が必要ですね。

今、大河を熱心にみてるんでこのへんが気になってしまいました。

少女の夢はもう見ない。だから、さよならを君に。~おんな城主直虎24話~

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 直虎のヘッドハンティングを「がらじゃねぇ!」といって断った龍雲丸。
そんな井伊谷での小さな動きが起こっている中で、外交では今川氏真が武田家の「経済制裁」として「塩留」を行い、国力を取り戻さんとするために、「縁談政策」を推し進めてきました。
その一方、松平家康も織田信長から「武田と組むとか、ないよな?わかってるよな?!」という圧を受け、むしろ織田との縁談を強制的に持ち込まれました。

「縁談」というある意味では、新たな人との出会いといえる話の中に「別れ」というせつなくほろ苦い成分があったと言えます。
他にもいろいろ気になるポイントがあるんで、先にそちらから書いていきます。


<塩でもって敵を制す>
現代でも「塩」は生活必需品でありますが、当時の比ではないと想像します。調味料という面だけではなくだけではなく、冷蔵庫もない時代なので、食料を保存するための役割を担っていたのではないのでしょうか?
そのうえ武田は、海もない内地の国なので、それを止めれれてはたまったもんではなかったかと。
21話の感想で、脚本家の森下さんが戦国時代はプチ氷河期で作物が育たず、食糧難だったのでは?という事に触れましたが、もし武田がそのような状況ならだいぶ苦しい状況に置かれています。自給自足もままならないと、他国の物資や食料を奪ったほうが手っ取り早いと考える可能性があって、それが後々響いてくのかな?と。
あくまで私の個人的予測なのでなんともいえませんが。
そういえば、「塩」の話でちょうど北方謙三さん版の「水滸伝」を思い出しました。主人公達が国に反旗を翻すための資金源が「闇塩の売買」だったので。
それほど国家にとって塩の重要性が高かったんですね。直虎とは、時代も話も違うので同列には語れませんが、考えると面白い。
それにしても、この事態を「商機!」といわんばかりに目を光らせる方久さんの心意気はやはりかっこいい。
まさに「上に政策あれば、下に対策あり。」を実行していく彼は、市井の人の力強さを見せてくれています。

 

 <戦国の情報収集担当官>
今回は、様々な縁談の話がありました。戦国時代は国同士の外交手段として婚姻関係を結んでいます。
このブログやtwitterでも、武家の女性は外交官やインテリジェンス・オフィサーとしての役割を担っているよね、みたいな事を書きました。
瀬名姫と直虎も昔は、手紙を使って情報をやりとりしていましたし。
「両家の友好の懸け橋に。」と、表立ってはそうですが、要はまぁ「スパイ活動」の一面があって、そこはお互いわかってやっているというか。
というか、両方の「家」の立場にだんだんと立っていくので「二重スパイ」みたいになっていくのではないでしょうか?
どうかすると、寝返ったりすることもあるでしょう。
佑椿尼も、新野の家より、すっかり井伊家サイドの人間となってしまっています。
いや、「スパイ」って書くとマイナスなイメージに捉えられるかもしれませんが、それでバランスがとれて国同士が安定すればそれこそ上々です。

 

直虎も政策として桔梗の縁談を通し、北条家の動きを探ろうとしています。
ただ、国と国とのマクロの関係性に、極めてミクロな個人レベル結びつき(婚姻)に依存してます。
うまくいけば彼女たちはそこで任務を終えますが、情勢が不安定な時代や国が相手だと心配になるのもわかります。
でも、だからこそ相手の人柄や人間性が重要でしょう。
お互いに利害が絡む「国」を背負ってはいるが、彼なら・彼女なら信頼できる!と思える関係性を築く事は有事の際に役に立ちます。

 

「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー

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 <自由のための不自由な幸せ>
さて、尼であるため縁談とは無縁なんですが、龍雲丸のもつ「自由」に対して憧れのような事を口にしていました。
だいぶ、井伊谷で自由奔放に生きているかのように見えますが、組織に縛られるゆえの不自由さがあるのは確かです。
ただ、彼女の場合は自らの自由意志(井伊谷の人々を守りたい)で今の役割をまっとうしようとしています。
自分だけを守りたいなら、彼女自身がなんらかの技術を身につければいい。百姓達に、文字や護身術、薬草の知識を身につけさせるように。
だけど、そんな彼らを大きなマクロの波から守ってやりたいと願うなら、その「不自由さ(組織人であり、為政者である事)」は必要です。

個人の力だけではどうにもならない事も、彼女の「願い」に力が伴えば届きえる。
何より彼女は一人じゃない。手を伸ばせば支えてくれる人達がいる。直虎のその「願い」のために身を捧げてくれている。その意味では直虎は確かに「果報者」で。
そして、繰り返しますがその願いの発端は彼女の「自由」な意思です。


<さよならを抱きしめて人生は続く>
最後に、「別れ」についてやっと言及できます。
彼女は仕事になれてきたせいか、交渉事や戦略面で力を発揮してきました。
「女性」であることさえ、道具として使う事に躊躇がない彼女に南渓和尚は、「もう、おとわはいない。」
と寂しそうにつぶやいていました。
いまや彼女は「少女」であったおとわではなく、「領主」としての直虎です。
彼女のその「少女」の部分をずっと見てきたのは乳母である「たけ」でした。
例えおとわが出家しようと、後見の役職についてもいつでも、たけの中では「姫様」で。
だけど、その「姫様」のライフステージはあがってしまった。たけだけの「姫様」でなく、みんなの「直虎様」になった。
だから直虎のために、井伊のために「さよなら」をする。そのステージに自分の居場所はないとしても。
もうここは、見ていて胸がつまりました。
好きな人とずっと一緒にいたいという自分の正直な想いと、だけどその人がより輝くために次のステージに送り出す事をする事。

その行為は難しいゆえにすごく高貴な事に思えて。
自分はいつでもそれができるのだろか?と考えてしまいます。

おとわ姫に「さよなら」を送り、背中をおした「たけ」の余生が幸せでありますように。

そして、「さよなら」をもらった直虎が、これからどう生きていくか?

その「さよなら」をいつか意味のあるものとするために、彼女がそれを抱きしめながら歩いていく日々が、少しでも明るいものでありますように。

 

 

*あっ、政次さんについては、記事が長くなったので省略。というか来週やばそうなので、きっと、ぎゃぁぎゃぁいってます。でも一言だけ。

政治家として成長している直虎を嬉しそうにほほ笑む政次さんは100点満点だし、

二人で秘密の会話をしていて、方久が入ってきた途端、「仲悪いモード」に変わるの、控え目にいっても最高オブ最高でした。

なんなんだ!?あれ!?なんなんだ!?あれ!?(好きすぎて語彙力、行方不明)

 

 

 

 

 

 

井伊谷カルテットwith N (六左衛門・直之・方久・プラス南渓和尚編)直虎を囲む魅力的な脇役達について

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今週は直虎感想記事が、一日ずれ込んだので土曜日の方の更新はなしにしようかと思ったんですが、ちょうどいい機会なんでさらっと短く、直虎の脇役陣について超個人的な印象を書いていきたいと思います。
タイトルが、「井伊谷カルテット」っていうなら四人だと一人足らなくない?と考えると思いますが、ここに本来なら政次が入ります。
だけど、さんざん彼についてはあーだこーだいつもいってるので今回はいったんお休みということで。

 


奥山六左衛門・柔らかく、強く>
武芸が得意ではなく、政次から睨みを聞かせれれると、猛禽類に目をつけられた子ウサギのような反応をする気弱なとこがありますが、大好きです!!
そんな自分にコンプレックスを抱いているようですが、私は彼の本質は「柔らかさ」にあると思っています。
何が言いたいかというと、いったん相手の事を受け止めて考えられる人なんですよね。強くはねつける事は絶対にしないというか。
だからこそ直虎が後見であることに驚いてはみせても、彼女に「なにかある。」と感じ、受け止めようとする。
この相手を柔軟に受け止めようとするところは龍雲党の人達への接し方にも見受けられます。割と朗らかに話をしてましたよね。
なので政次にびびっているともいえる彼ですが、それ以上に政次の提案や意見を一番先に素直に聞いているのは六左衛門といえるのではないかと。

 

彼は「女子のくせに」といわれる直虎が、それでも戦っている姿を見てきっと「男子のくせに」といわれすくんでいた自分自身が揺さぶられ勇気を得た人だと私は思っています。だけどそこから劇的に変化したわけではなく、その勇気はいつも満タンってわけじゃない。
なにかあるたびに勇気を奮いださなきゃいけなくて、だからこそ見ているこっちに一番、勇気をくれる。
もともと勇気がある英雄は勇気をだすというより、それはほとんど決断。勇気はあまり必要がない。

だから気弱な彼がだすからこそ、こう、ぐっとくるんですよね。
英雄よりも勇気がいる量がいっぱいなきゃいけないので。
武芸が得意じゃないのに、直虎奪還の時は武器をもって突入しようとしたり、前回も直虎をかばおうとしたりで、もう彼から目が離せません!!

 

 


中野直之・硬いがしなやかで>
「柔」の六左衛門とは対照的にこちらは「硬」の直之。
典型的井伊谷育ちの体育会系で直情型。物事を深く考えたり俯瞰してみる事はしないタイプだけど、今、目の前にある現実を即受け入れて、決断できるかっこいい男性。
直虎に最初は一番反抗的だったけど、いざ受け入れの覚悟が決まるとその気持には、まったく迷いがない。だから見ていて気持ちいいいんですよね。
きりかえがはやく、いったんそれと決めればまっすぐ進んでいける。忠犬っぽさもそういうとこにあります。

 

方久の茶屋でミュージカルしたときも、機転がきいていました。硬いのにしなやかさをもつ彼はいうことあまりなくて、毎回100000点!って気持ちで見てます。
父親の直由は、政次が写経をしているときいて「かわいいところあるじゃん。」と言うシーンがあって、今の事態になってさえいなければ政次・直之コンビにもなにかしら
可能性があったのでは?と思いを馳せます。


瀬戸方久・「銭」が世界を変えるから>
このブログで何回も言及していますが、彼は「地縁や血脈」にとらわれない政次のもう一つの可能性
二人とも「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」という闇を抱えてるけど、方久は軽やか。
というのも彼は「銭」の力で世界を「変えていける」と確信しているからだと思うんですよね。
逆に政次は世界の厳しさや残酷さを「受け入れる」人なのでその姿は重く映る。
どちらがいいという話ではなく、現実をどうとらえて、戦うのかという在り方でしかありません。
方久が活躍するのはまだまだこれからだと思いますので期待しています。

 

 

南渓和尚・関わらずして関わる>
井伊谷フィクサー。不義の子だからか、俗世から離れた僧なせいか必要以上には俗世とは、あまりかかわりません。
直虎へのアドバイスはしてもあくまで彼女が自分の肌で納得するように仕向けています。
見方によってはその「傍観者」なとこが「中途半端」ともいえて。
だけどそれ以上に井伊谷でのバランサー」としての矜持があるのではないかと。
小野家にも井伊家にもどちらにも与せずなところみると、中庸でいるのは簡単そうに見えて実は一番難しい。
しかも、かつ政治的に正しい方向に向かわせながら。自分が表に出ない形で。

誰かの味方ではなく、「井伊」全体の味方であらねばならない。それ以外はすべてを切り捨てていく。
この難しい役職をひょうひょうとこなすあたり、人生の酸いも甘いもかみ分けた老齢の人の魅力がたっぷりでています。

 

 

さて、ここまで脇役陣の魅力に触れました。脚本家の森下佳子さんの作品に出てくる人物はキャラクター(虚構)的でありながらどこか生生しさがあって「生」を感じます。
「物語」なんだけど、ものすごく彼らが「生きてる」と思えて。「話」自体は竜宮小僧が出てきたりして神話的なのに、彼らが確かに「いる。」
この人物達の「実存感」は演者の方々の力と合わさって爆発力を増し、ほんとこの先誰が欠けてもつらくしんどいです。
だけど、この先も見守っていこうと思います。

 

 

 

水面下で動く男達の秘めた感情~おんな城主直虎23話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

飲みにケーションwith龍雲党で井伊の住民達との親睦を深めた翌日、近藤さんが何者かによって本尊盗まれたと直虎のもとにやってきました。
彼の言い分によると、犯人は龍雲丸達ではないかという事でした。引き渡しを要求された直虎ですがなんとか逃がそうと画策します。
彼女のその意思に添おうとする二人の策士家(南渓と政次)が表と裏で活躍しました。
今回の話はいつも以上に「行間読み」が必要だったというか、人によって捉え方が千差万別だろうなと感じました。

 

龍雲丸がなぜ、家臣となるのを断ったのか?
なつはどういう心構えで政次の味方をしているのか?
政次の真意がわかった直虎が政次のシーンでの二人の感情はどういうものか?
彼らが実際にどう思ったのかを視聴者の想像力にゆだねた作りでした。
まさに、直虎がいった「揺らいだ旗が見る者の心によってか変わる」例えのように。

 

〈奔放な龍雲丸の冷静な判断?〉
これらを全部、推測しだすときりないのでひとまず龍雲丸の事を少し述べます。
前回の感想でも、彼らは組織に属しなくても生きていける強さがあると書きました。
今回の直虎の提案は、日の目をみない彼らに社会的居場所を作るチャンスでした。

 

なのになぜそれを断ったのか?

 

龍雲丸が言うように武家は泥棒と言った手前いまさらということもあるとは思います。
けして意地をはっているというわけではなく、例え始まりは悲劇だったとしても、自分達が生きてきた人生を肯定しているし、これからもそれを貫き通したいという意思の表れなのかもしれません。

 

そして、もう一つの理由として、アウトローな自分達を人間扱いしてくれた直虎に本当に恩を返そうとするには、龍雲党は井伊のつけ入る隙になりやすい事があるかと。
実際に、近藤殿がそこをねらってきました。
ならば組織の内部にいるよりも外部にいて、なにかあった時に彼女の助けになればいいと思っている可能性があります。
確かに組織の一員になるというのは、安定したものが得られますが、彼らのような職能集団だと縛りが出てきてフットワークが重くなる可能性があります。
それは、彼らにとっても幸福とはいえない。(才能を開花させるのは一つの幸せ)
井伊に残る事と外で生きる事、この二択の損得を直虎(井伊)と組織のためになるのがどちらかを考えた時、現時点でのリーダーとして答えが今回のものなのかもしれません。
しかしまぁこう考えると、自由奔放にみえていいたいことを何でもいっちゃえそうな彼が、政次のように本音を言わずして動いているといえて面白いんですよね。

 

 

〈時が起こす奇跡 As Time Goes By
さて、政次の真意に気づき話し合いの場をもった直虎さん。
ここのシーンで直虎が「政次が誰よりも井伊の事を考えてくれておるのは明らかじゃ」
といいました。同じような事を18回「あるいは裏切りという名の鶴」でも同じような事をいっていますが
今回は、直虎と政次が手探りながらも協力しあいながらきた積み重ねもありつつ、直虎が彼の意見を頼りにするというところにすごい心に打たれるものがありました。

前からいっていますが、小野政次のテーマとして私が感じ取っているものに

「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」

というものがあります。しかも政次本人のせいでなくただ小野家に生まれたというだけで井伊では「嫌われ者で裏切り」のレッテルがついてしまっている状態でした。
「小野家」の男子であるということは政次個人の資質なんて関係なく、そのマイナス物語をスタート時点から背負わなくてはなりませんでした。
そんな「小野家」の男子である彼が、「井伊家」の惣領娘たる直虎に、全幅の信頼をおかれている。
これ、めっちゃ感動するんです。なんでかというと前の世代である直盛-政直の時にはこじれてた関係が直虎-政次の二代目では解決の方向にむかっているからなんですよね。
バッドエンドで終わっていた物語が、時間の経過と世代が変わることによって違う形を迎えようとしている。
そのベースにはもちろん直虎・政次・直親達の幼いころからの絆があります。
だけど、それは一世代目の直盛が種をまいた結果なのでは?と私は考えていて、だから直盛は「おとわ・鶴・亀」の三人を仲良くさせていたのではないか?と推測しています。
大人になれば確かに利害の対立があり立場が違う。しかしその認識が薄いうちから共に育つと、手を伸ばせば助け合うことができる関係性が築けるかもしれない。それはとても難しい事だけど。
直盛は優しすぎてだめなところもありました。けどその長期的戦略なんてとてもいえない彼の次世代への希望は、彼が死んだあとに確かに芽吹いています。


〈理性と情念のはざまで〉
そして肝心の政次の心情についての推測ですが、これがまた難しい。
彼はもともとロジカルな人です。だから直虎が「井伊」を第一に考えているとは頭ではわかってはいるとは思うんです。
だけど今回は不安があったのではないでしょうか。
龍雲丸に好意をよせている事がわかるぶん、直虎が「井伊」を最優先しないかもしれない、という恐れがあったから。
だからこそ、彼女に釘をさすような事をいった。
自分自身も、龍雲丸達を助けた理由は直虎が騒ぐと面倒だからとやったまでの事。決して個人的感情で動いてはいない。そんな「下らない」感情では動かない。
だから直虎もそれをベースに動いてくれるな。
あくまで、「井伊家」のためという目標の中に俺たちは立っているんだろ?というような心の機微があったのではないかと。
理屈ではわかっていてもそこに、情や恋慕みたいなものがあって不安が増大するんですよね。

 

 

これですね、面白いのは政次は直虎に不信感をもっているのに、その肝心の直虎からは、かけなしに信頼されているところなんですよ。
「信じるふり」なんて芸当ができない彼女の言葉は疑いようもないんです。
検地回では、そんな「信じるふり」をされるなんて気分が悪いと、直親にいってた彼が今回は逆にそんな立場にたっている。
そんな彼女からの「信頼の眼差し」を向けられ続けられる彼の内面世界がどう変わり行動していくか興味深い。
その信頼に答えられるだけの自分でいられるか?というのを問われ続けるという面がそれにはあるので。
逆に、直虎自身は彼ほど一歩引いて物事を見れない分、大切なものを守ろうとしたりするとき、どう水面下で動けばいいのか?という事を知ることができます。
こうみるとやっぱり二人は補完関係にあるんですよね。
龍雲党が手のひらからすり抜けていった直虎ですが、少しずつですが前に進んでいると私は思います。

 

山に恋した男の子。 WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~

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※ネタバレ含みます。
大学受験を失敗し、彼女にもフラれた平野勇気。
パンフレットの表紙にのっていた美女につられて、一年間の林業プログラムに応募してしまう。
しかしそこは携帯電話が圏外になってしまう山奥。
荒々しい先輩の飯田ヨキや不便な村から逃げ出したかったが、表紙の美女である石井直紀がいると知ってしぶしぶ残る。
個性的で野性的な人々の中働くことで、勇気は少しづつ林業と山の魅力に目覚めていく。

 

 

矢口史靖監督の職業ものといえば「ハッピーフライト」があります。こちらは群像劇の面が強くでていましたが、この映画は、一人の少年のビルドゥングスロマンとなっています。
すごく大雑把な言い方をすると「もののけ姫」のような日本神話が残る深い日本の山々の中で、「千と千尋の神隠し」の成長物語を描いたような印象がありました。

 

ハッピーフライト スタンダードクラス・エディション [DVD]

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もののけ姫 [DVD]

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 <神が生きる山という世界>
作品の中でけっこう性的なものがちりばめられていています。お祭りの中にメタファーとして取り入れられたり、主人公の下心というか下半身事情が、林業という未知の世界へ飛び込む動機の中などに。
これは林業が山という自然の一部を頂いて成り立っている仕事で、そこには日本的な自然崇拝があると思われます。
先祖が守ってきた森林を、植樹という形で残していくという命のサイクルは、子孫繁栄の思想が絡んでいるのではないでしょうか。
そもそも日本列島自体が日本神話によると、イザナギイザナミの二人の神の交わりによって生れていますね。
だからというか、リアルな林業という「職業もの」を扱いながら、少し神話の世界の神秘的な事が作中で起こるのに違和感がなく、すごく感覚的に腑に落ちちゃいました。
というか、日本の深い山々の風景の美しさと森の怖さ、川のせせらぎの音や木のにおいまでしそうな圧倒的映像美が、神話の世界があるんじゃないかと思わせてくれるんですよね。
けど、それが押しつけがましいわけではなく、あくまでさりげなくというところがまた良かったです。


<始まりは、下心。終わりは…>
さて主人公の勇気君ですが、山の仕事と同時に恋の方も少しずつではありますが進行します。
表紙の美女である直紀は、都会からきた男性と恋仲でしたが、破局した過去があります。
その男性は山での生活に結局なじめなかった。
そのことで少しトラウマ気味の直紀ですが、逆に言えば直紀も彼のために、自分の土地を捨てれなかったと言えます。
「男にポイされて可哀そう。」だという村の目線がありますが、私としては恋よりも自分の愛する土地を彼女自身が選んだだと思います。

それは勇気君にもいえて、彼は一年間の林業プログラムが終わったあと実家に戻りますが、玄関手前まで来て好物のハンバーグの匂いよりも、家を建ている建設現場の木の匂いにつられ、それが村に戻る動機になっています。
直紀がいるから戻るのではなく、自分の「生」を捧げる場所が山にはあると思って帰る。
この二人は結局、人生において一番大事なもの(山やその周辺での生活)が重なった結果、人生もまた重なりあうんだと思います。
「恋」を最優先しなかったという点では勇気君と直紀は似た者同士なのです。
映画のなかでは彼らが恋人同士になったのかどうかは、書かれていません。
だけど、最初に「性」というリビドーで始まった勇気君の物語が、山で生きるという「生」で締めくくられるのはなんかいいなと思います。
というか、「性」は「生」に組み込まれているといえるので、「性」の原動力を正しく「生命力」に変えていったといった方が正しいかもしれません。

 

 


それにしても、木というものは昔から不思議な存在でした。楠なんかをみると、自分よりもずっと長い期間生きていて、自分が死んだあとも
残っていくのかと思うと背中がぞくっとします。あの感覚はほんとなんなんだろうなぁ?