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物語同士のつながりが好き

伝奇小説の奥深さというか、すごい世界を見てしまった。~柳生陰陽剣~

柳生陰陽剣 (新潮文庫)

慶長十一年、死の床にあった柳生石舟斎が言い遺した言葉。それは、枕頭に侍っていた新陰流の達人にして、陰陽道の術客でもある柳生友景に、朝鮮妖術師との新たな死闘を覚悟させた。古代よりの怨讐をこえて魔界の王を味方にし、魑魅魍魎をも従えた友景は、後水尾帝の陰陽頭となり、この国を陰謀に陥れようとする者どもと対峙する。痛快無比、奇想天外の歴史大活劇。
(「BOOK」データベースより)

朝鮮半島が舞台の伝記作品を多く手掛ける荒山徹さんの作品です。

難しそうだと思われそうで、実際まぁ、このジャンルを読みなれていないと、とっつつきにくいかもしれません。
だけど上記の内容紹介からもわかる通り、かなりぶっとんでて「なんじゃこりゃぁ!」と楽しみつつもつっこみながら読みました。

 

簡単にいえば、秀吉の朝鮮出兵の恨みをはらさんとし、日本を混乱させようとする朝鮮国王の光海君と妖術師達。そんな彼らと死闘を繰り広げるは主人公の柳生友景。
彼はもともと強い美形の陰陽師かつ剣士で、さらに日本三大怨霊の一人である崇徳上皇からのパワーをもらって無双しまくります。
自分で書いてて、この時点でぶっとんだ設定だと思いますけど、これだけじゃなくて、オスカル・アンドレという名の美人女性剣士が出てきたり、
秀吉の側室である淀君のクローンが作られ、偽の淀君が豊臣を掌握して世の中を混乱させます。
使い魔も「モスラ」がでてきて、もうなんでもありだな!!って感じで、普通なら話が壊れていきそうなんですよね。
けど、作者の荒山さんは日朝どちらも深く知識があって、奇想天外の物語にもかかわらず、背景の強度に説得力があって、最終的に力業で納得させられるというか。
これだけの「虚構」に騙されても悔いなし!とおもわされるのは、ほんとすごい。

 

 

<強さと孤高の先へ>
というか、最後の方のシーンとか泣かされたんですよね。
主人公の友景くんの敵役として、柳生眞純という朝鮮生まれの日朝のハーフの男性がいて、
彼は自身のアイデンティティが社会的に受け入れらない孤独を抱えていました。
まぁ、文禄・慶長の役のあとなんで、日本人の血をひく彼は周りから疎まれる。
剣の才能があり、それを伸ばす環境にいた彼はひたすら強さを求めていきました。
共同体からはぶれてしまうので、生き抜くためには、それに頼らず、自らの強さをひたすら求めていくんですよね。
その孤高のなかにいた彼が、友景という対等かそれ以上に強い存在に出会うことで、救われていく。
私は「共同体からはぶれてしまった人の生き方」というテーマを追ってるんで、思わず彼の人生にぐっときてしまいました。

 

 

<秀吉と家康の外交戦略>
戦国時代の話というか、秀吉と家康はずいぶん対アジアの戦略が違うなと感じます。
秀吉が耄碌していたとか、「武家」が領土を拡大しなければ家臣に与える土地がないからという理由で出兵したというのを、話の中で見るけど、
「明」の後ろ盾がある朝鮮を攻めてる。すごくなんというか老舗の日本向けの企業が突如、グローバル競争に目覚めたように感じます。
秀吉の大陸へのビジョンはどうなっていたんだろう?どこまで国際情勢を把握していた?勝算はどこまであったのか?とかいろいろ考えてしまいます。
いや、思い込みで「えいや!」とつっこんでいける時もあるとは思いますけど。
そんな彼に対して、家康は朝鮮と国交をすばやく回復させ、内政の方に力をいれていて、この二人はかなり国造りにおいて方向性が違うんですよね。
家康はやっぱり、海外なんか目指さず、日本人向けにやっていこうぜ!って感じます。
うーん。ちょっとこの辺は勉強不足すぎて、修行が必要ですね。

今、大河を熱心にみてるんでこのへんが気になってしまいました。

少女の夢はもう見ない。だから、さよならを君に。~おんな城主直虎24話~

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

 

 直虎のヘッドハンティングを「がらじゃねぇ!」といって断った龍雲丸。
そんな井伊谷での小さな動きが起こっている中で、外交では今川氏真が武田家の「経済制裁」として「塩留」を行い、国力を取り戻さんとするために、「縁談政策」を推し進めてきました。
その一方、松平家康も織田信長から「武田と組むとか、ないよな?わかってるよな?!」という圧を受け、むしろ織田との縁談を強制的に持ち込まれました。

「縁談」というある意味では、新たな人との出会いといえる話の中に「別れ」というせつなくほろ苦い成分があったと言えます。
他にもいろいろ気になるポイントがあるんで、先にそちらから書いていきます。


<塩でもって敵を制す>
現代でも「塩」は生活必需品でありますが、当時の比ではないと想像します。調味料という面だけではなくだけではなく、冷蔵庫もない時代なので、食料を保存するための役割を担っていたのではないのでしょうか?
そのうえ武田は、海もない内地の国なので、それを止めれれてはたまったもんではなかったかと。
21話の感想で、脚本家の森下さんが戦国時代はプチ氷河期で作物が育たず、食糧難だったのでは?という事に触れましたが、もし武田がそのような状況ならだいぶ苦しい状況に置かれています。自給自足もままならないと、他国の物資や食料を奪ったほうが手っ取り早いと考える可能性があって、それが後々響いてくのかな?と。
あくまで私の個人的予測なのでなんともいえませんが。
そういえば、「塩」の話でちょうど北方謙三さん版の「水滸伝」を思い出しました。主人公達が国に反旗を翻すための資金源が「闇塩の売買」だったので。
それほど国家にとって塩の重要性が高かったんですね。直虎とは、時代も話も違うので同列には語れませんが、考えると面白い。
それにしても、この事態を「商機!」といわんばかりに目を光らせる方久さんの心意気はやはりかっこいい。
まさに「上に政策あれば、下に対策あり。」を実行していく彼は、市井の人の力強さを見せてくれています。

 

 <戦国の情報収集担当官>
今回は、様々な縁談の話がありました。戦国時代は国同士の外交手段として婚姻関係を結んでいます。
このブログやtwitterでも、武家の女性は外交官やインテリジェンス・オフィサーとしての役割を担っているよね、みたいな事を書きました。
瀬名姫と直虎も昔は、手紙を使って情報をやりとりしていましたし。
「両家の友好の懸け橋に。」と、表立ってはそうですが、要はまぁ「スパイ活動」の一面があって、そこはお互いわかってやっているというか。
というか、両方の「家」の立場にだんだんと立っていくので「二重スパイ」みたいになっていくのではないでしょうか?
どうかすると、寝返ったりすることもあるでしょう。
佑椿尼も、新野の家より、すっかり井伊家サイドの人間となってしまっています。
いや、「スパイ」って書くとマイナスなイメージに捉えられるかもしれませんが、それでバランスがとれて国同士が安定すればそれこそ上々です。

 

直虎も政策として桔梗の縁談を通し、北条家の動きを探ろうとしています。
ただ、国と国とのマクロの関係性に、極めてミクロな個人レベル結びつき(婚姻)に依存してます。
うまくいけば彼女たちはそこで任務を終えますが、情勢が不安定な時代や国が相手だと心配になるのもわかります。
でも、だからこそ相手の人柄や人間性が重要でしょう。
お互いに利害が絡む「国」を背負ってはいるが、彼なら・彼女なら信頼できる!と思える関係性を築く事は有事の際に役に立ちます。

 

「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー

「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー

 

 <自由のための不自由な幸せ>
さて、尼であるため縁談とは無縁なんですが、龍雲丸のもつ「自由」に対して憧れのような事を口にしていました。
だいぶ、井伊谷で自由奔放に生きているかのように見えますが、組織に縛られるゆえの不自由さがあるのは確かです。
ただ、彼女の場合は自らの自由意志(井伊谷の人々を守りたい)で今の役割をまっとうしようとしています。
自分だけを守りたいなら、彼女自身がなんらかの技術を身につければいい。百姓達に、文字や護身術、薬草の知識を身につけさせるように。
だけど、そんな彼らを大きなマクロの波から守ってやりたいと願うなら、その「不自由さ(組織人であり、為政者である事)」は必要です。

個人の力だけではどうにもならない事も、彼女の「願い」に力が伴えば届きえる。
何より彼女は一人じゃない。手を伸ばせば支えてくれる人達がいる。直虎のその「願い」のために身を捧げてくれている。その意味では直虎は確かに「果報者」で。
そして、繰り返しますがその願いの発端は彼女の「自由」な意思です。


<さよならを抱きしめて人生は続く>
最後に、「別れ」についてやっと言及できます。
彼女は仕事になれてきたせいか、交渉事や戦略面で力を発揮してきました。
「女性」であることさえ、道具として使う事に躊躇がない彼女に南渓和尚は、「もう、おとわはいない。」
と寂しそうにつぶやいていました。
いまや彼女は「少女」であったおとわではなく、「領主」としての直虎です。
彼女のその「少女」の部分をずっと見てきたのは乳母である「たけ」でした。
例えおとわが出家しようと、後見の役職についてもいつでも、たけの中では「姫様」で。
だけど、その「姫様」のライフステージはあがってしまった。たけだけの「姫様」でなく、みんなの「直虎様」になった。
だから直虎のために、井伊のために「さよなら」をする。そのステージに自分の居場所はないとしても。
もうここは、見ていて胸がつまりました。
好きな人とずっと一緒にいたいという自分の正直な想いと、だけどその人がより輝くために次のステージに送り出す事をする事。

その行為は難しいゆえにすごく高貴な事に思えて。
自分はいつでもそれができるのだろか?と考えてしまいます。

おとわ姫に「さよなら」を送り、背中をおした「たけ」の余生が幸せでありますように。

そして、「さよなら」をもらった直虎が、これからどう生きていくか?

その「さよなら」をいつか意味のあるものとするために、彼女がそれを抱きしめながら歩いていく日々が、少しでも明るいものでありますように。

 

 

*あっ、政次さんについては、記事が長くなったので省略。というか来週やばそうなので、きっと、ぎゃぁぎゃぁいってます。でも一言だけ。

政治家として成長している直虎を嬉しそうにほほ笑む政次さんは100点満点だし、

二人で秘密の会話をしていて、方久が入ってきた途端、「仲悪いモード」に変わるの、控え目にいっても最高オブ最高でした。

なんなんだ!?あれ!?なんなんだ!?あれ!?(好きすぎて語彙力、行方不明)

 

 

 

 

 

 

井伊谷カルテットwith N (六左衛門・直之・方久・プラス南渓和尚編)直虎を囲む魅力的な脇役達について

おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]

今週は直虎感想記事が、一日ずれ込んだので土曜日の方の更新はなしにしようかと思ったんですが、ちょうどいい機会なんでさらっと短く、直虎の脇役陣について超個人的な印象を書いていきたいと思います。
タイトルが、「井伊谷カルテット」っていうなら四人だと一人足らなくない?と考えると思いますが、ここに本来なら政次が入ります。
だけど、さんざん彼についてはあーだこーだいつもいってるので今回はいったんお休みということで。

 


奥山六左衛門・柔らかく、強く>
武芸が得意ではなく、政次から睨みを聞かせれれると、猛禽類に目をつけられた子ウサギのような反応をする気弱なとこがありますが、大好きです!!
そんな自分にコンプレックスを抱いているようですが、私は彼の本質は「柔らかさ」にあると思っています。
何が言いたいかというと、いったん相手の事を受け止めて考えられる人なんですよね。強くはねつける事は絶対にしないというか。
だからこそ直虎が後見であることに驚いてはみせても、彼女に「なにかある。」と感じ、受け止めようとする。
この相手を柔軟に受け止めようとするところは龍雲党の人達への接し方にも見受けられます。割と朗らかに話をしてましたよね。
なので政次にびびっているともいえる彼ですが、それ以上に政次の提案や意見を一番先に素直に聞いているのは六左衛門といえるのではないかと。

 

彼は「女子のくせに」といわれる直虎が、それでも戦っている姿を見てきっと「男子のくせに」といわれすくんでいた自分自身が揺さぶられ勇気を得た人だと私は思っています。だけどそこから劇的に変化したわけではなく、その勇気はいつも満タンってわけじゃない。
なにかあるたびに勇気を奮いださなきゃいけなくて、だからこそ見ているこっちに一番、勇気をくれる。
もともと勇気がある英雄は勇気をだすというより、それはほとんど決断。勇気はあまり必要がない。

だから気弱な彼がだすからこそ、こう、ぐっとくるんですよね。
英雄よりも勇気がいる量がいっぱいなきゃいけないので。
武芸が得意じゃないのに、直虎奪還の時は武器をもって突入しようとしたり、前回も直虎をかばおうとしたりで、もう彼から目が離せません!!

 

 


中野直之・硬いがしなやかで>
「柔」の六左衛門とは対照的にこちらは「硬」の直之。
典型的井伊谷育ちの体育会系で直情型。物事を深く考えたり俯瞰してみる事はしないタイプだけど、今、目の前にある現実を即受け入れて、決断できるかっこいい男性。
直虎に最初は一番反抗的だったけど、いざ受け入れの覚悟が決まるとその気持には、まったく迷いがない。だから見ていて気持ちいいいんですよね。
きりかえがはやく、いったんそれと決めればまっすぐ進んでいける。忠犬っぽさもそういうとこにあります。

 

方久の茶屋でミュージカルしたときも、機転がきいていました。硬いのにしなやかさをもつ彼はいうことあまりなくて、毎回100000点!って気持ちで見てます。
父親の直由は、政次が写経をしているときいて「かわいいところあるじゃん。」と言うシーンがあって、今の事態になってさえいなければ政次・直之コンビにもなにかしら
可能性があったのでは?と思いを馳せます。


瀬戸方久・「銭」が世界を変えるから>
このブログで何回も言及していますが、彼は「地縁や血脈」にとらわれない政次のもう一つの可能性
二人とも「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」という闇を抱えてるけど、方久は軽やか。
というのも彼は「銭」の力で世界を「変えていける」と確信しているからだと思うんですよね。
逆に政次は世界の厳しさや残酷さを「受け入れる」人なのでその姿は重く映る。
どちらがいいという話ではなく、現実をどうとらえて、戦うのかという在り方でしかありません。
方久が活躍するのはまだまだこれからだと思いますので期待しています。

 

 

南渓和尚・関わらずして関わる>
井伊谷フィクサー。不義の子だからか、俗世から離れた僧なせいか必要以上には俗世とは、あまりかかわりません。
直虎へのアドバイスはしてもあくまで彼女が自分の肌で納得するように仕向けています。
見方によってはその「傍観者」なとこが「中途半端」ともいえて。
だけどそれ以上に井伊谷でのバランサー」としての矜持があるのではないかと。
小野家にも井伊家にもどちらにも与せずなところみると、中庸でいるのは簡単そうに見えて実は一番難しい。
しかも、かつ政治的に正しい方向に向かわせながら。自分が表に出ない形で。

誰かの味方ではなく、「井伊」全体の味方であらねばならない。それ以外はすべてを切り捨てていく。
この難しい役職をひょうひょうとこなすあたり、人生の酸いも甘いもかみ分けた老齢の人の魅力がたっぷりでています。

 

 

さて、ここまで脇役陣の魅力に触れました。脚本家の森下佳子さんの作品に出てくる人物はキャラクター(虚構)的でありながらどこか生生しさがあって「生」を感じます。
「物語」なんだけど、ものすごく彼らが「生きてる」と思えて。「話」自体は竜宮小僧が出てきたりして神話的なのに、彼らが確かに「いる。」
この人物達の「実存感」は演者の方々の力と合わさって爆発力を増し、ほんとこの先誰が欠けてもつらくしんどいです。
だけど、この先も見守っていこうと思います。

 

 

 

水面下で動く男達の秘めた感情~おんな城主直虎23話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

飲みにケーションwith龍雲党で井伊の住民達との親睦を深めた翌日、近藤さんが何者かによって本尊盗まれたと直虎のもとにやってきました。
彼の言い分によると、犯人は龍雲丸達ではないかという事でした。引き渡しを要求された直虎ですがなんとか逃がそうと画策します。
彼女のその意思に添おうとする二人の策士家(南渓と政次)が表と裏で活躍しました。
今回の話はいつも以上に「行間読み」が必要だったというか、人によって捉え方が千差万別だろうなと感じました。

 

龍雲丸がなぜ、家臣となるのを断ったのか?
なつはどういう心構えで政次の味方をしているのか?
政次の真意がわかった直虎が政次のシーンでの二人の感情はどういうものか?
彼らが実際にどう思ったのかを視聴者の想像力にゆだねた作りでした。
まさに、直虎がいった「揺らいだ旗が見る者の心によってか変わる」例えのように。

 

〈奔放な龍雲丸の冷静な判断?〉
これらを全部、推測しだすときりないのでひとまず龍雲丸の事を少し述べます。
前回の感想でも、彼らは組織に属しなくても生きていける強さがあると書きました。
今回の直虎の提案は、日の目をみない彼らに社会的居場所を作るチャンスでした。

 

なのになぜそれを断ったのか?

 

龍雲丸が言うように武家は泥棒と言った手前いまさらということもあるとは思います。
けして意地をはっているというわけではなく、例え始まりは悲劇だったとしても、自分達が生きてきた人生を肯定しているし、これからもそれを貫き通したいという意思の表れなのかもしれません。

 

そして、もう一つの理由として、アウトローな自分達を人間扱いしてくれた直虎に本当に恩を返そうとするには、龍雲党は井伊のつけ入る隙になりやすい事があるかと。
実際に、近藤殿がそこをねらってきました。
ならば組織の内部にいるよりも外部にいて、なにかあった時に彼女の助けになればいいと思っている可能性があります。
確かに組織の一員になるというのは、安定したものが得られますが、彼らのような職能集団だと縛りが出てきてフットワークが重くなる可能性があります。
それは、彼らにとっても幸福とはいえない。(才能を開花させるのは一つの幸せ)
井伊に残る事と外で生きる事、この二択の損得を直虎(井伊)と組織のためになるのがどちらかを考えた時、現時点でのリーダーとして答えが今回のものなのかもしれません。
しかしまぁこう考えると、自由奔放にみえていいたいことを何でもいっちゃえそうな彼が、政次のように本音を言わずして動いているといえて面白いんですよね。

 

 

〈時が起こす奇跡 As Time Goes By
さて、政次の真意に気づき話し合いの場をもった直虎さん。
ここのシーンで直虎が「政次が誰よりも井伊の事を考えてくれておるのは明らかじゃ」
といいました。同じような事を18回「あるいは裏切りという名の鶴」でも同じような事をいっていますが
今回は、直虎と政次が手探りながらも協力しあいながらきた積み重ねもありつつ、直虎が彼の意見を頼りにするというところにすごい心に打たれるものがありました。

前からいっていますが、小野政次のテーマとして私が感じ取っているものに

「村社会という共同体のスケープゴート(生贄)に選ばれてしまった者」

というものがあります。しかも政次本人のせいでなくただ小野家に生まれたというだけで井伊では「嫌われ者で裏切り」のレッテルがついてしまっている状態でした。
「小野家」の男子であるということは政次個人の資質なんて関係なく、そのマイナス物語をスタート時点から背負わなくてはなりませんでした。
そんな「小野家」の男子である彼が、「井伊家」の惣領娘たる直虎に、全幅の信頼をおかれている。
これ、めっちゃ感動するんです。なんでかというと前の世代である直盛-政直の時にはこじれてた関係が直虎-政次の二代目では解決の方向にむかっているからなんですよね。
バッドエンドで終わっていた物語が、時間の経過と世代が変わることによって違う形を迎えようとしている。
そのベースにはもちろん直虎・政次・直親達の幼いころからの絆があります。
だけど、それは一世代目の直盛が種をまいた結果なのでは?と私は考えていて、だから直盛は「おとわ・鶴・亀」の三人を仲良くさせていたのではないか?と推測しています。
大人になれば確かに利害の対立があり立場が違う。しかしその認識が薄いうちから共に育つと、手を伸ばせば助け合うことができる関係性が築けるかもしれない。それはとても難しい事だけど。
直盛は優しすぎてだめなところもありました。けどその長期的戦略なんてとてもいえない彼の次世代への希望は、彼が死んだあとに確かに芽吹いています。


〈理性と情念のはざまで〉
そして肝心の政次の心情についての推測ですが、これがまた難しい。
彼はもともとロジカルな人です。だから直虎が「井伊」を第一に考えているとは頭ではわかってはいるとは思うんです。
だけど今回は不安があったのではないでしょうか。
龍雲丸に好意をよせている事がわかるぶん、直虎が「井伊」を最優先しないかもしれない、という恐れがあったから。
だからこそ、彼女に釘をさすような事をいった。
自分自身も、龍雲丸達を助けた理由は直虎が騒ぐと面倒だからとやったまでの事。決して個人的感情で動いてはいない。そんな「下らない」感情では動かない。
だから直虎もそれをベースに動いてくれるな。
あくまで、「井伊家」のためという目標の中に俺たちは立っているんだろ?というような心の機微があったのではないかと。
理屈ではわかっていてもそこに、情や恋慕みたいなものがあって不安が増大するんですよね。

 

 

これですね、面白いのは政次は直虎に不信感をもっているのに、その肝心の直虎からは、かけなしに信頼されているところなんですよ。
「信じるふり」なんて芸当ができない彼女の言葉は疑いようもないんです。
検地回では、そんな「信じるふり」をされるなんて気分が悪いと、直親にいってた彼が今回は逆にそんな立場にたっている。
そんな彼女からの「信頼の眼差し」を向けられ続けられる彼の内面世界がどう変わり行動していくか興味深い。
その信頼に答えられるだけの自分でいられるか?というのを問われ続けるという面がそれにはあるので。
逆に、直虎自身は彼ほど一歩引いて物事を見れない分、大切なものを守ろうとしたりするとき、どう水面下で動けばいいのか?という事を知ることができます。
こうみるとやっぱり二人は補完関係にあるんですよね。
龍雲党が手のひらからすり抜けていった直虎ですが、少しずつですが前に進んでいると私は思います。

 

山に恋した男の子。 WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~

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※ネタバレ含みます。
大学受験を失敗し、彼女にもフラれた平野勇気。
パンフレットの表紙にのっていた美女につられて、一年間の林業プログラムに応募してしまう。
しかしそこは携帯電話が圏外になってしまう山奥。
荒々しい先輩の飯田ヨキや不便な村から逃げ出したかったが、表紙の美女である石井直紀がいると知ってしぶしぶ残る。
個性的で野性的な人々の中働くことで、勇気は少しづつ林業と山の魅力に目覚めていく。

 

 

矢口史靖監督の職業ものといえば「ハッピーフライト」があります。こちらは群像劇の面が強くでていましたが、この映画は、一人の少年のビルドゥングスロマンとなっています。
すごく大雑把な言い方をすると「もののけ姫」のような日本神話が残る深い日本の山々の中で、「千と千尋の神隠し」の成長物語を描いたような印象がありました。

 

ハッピーフライト スタンダードクラス・エディション [DVD]

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 <神が生きる山という世界>
作品の中でけっこう性的なものがちりばめられていています。お祭りの中にメタファーとして取り入れられたり、主人公の下心というか下半身事情が、林業という未知の世界へ飛び込む動機の中などに。
これは林業が山という自然の一部を頂いて成り立っている仕事で、そこには日本的な自然崇拝があると思われます。
先祖が守ってきた森林を、植樹という形で残していくという命のサイクルは、子孫繁栄の思想が絡んでいるのではないでしょうか。
そもそも日本列島自体が日本神話によると、イザナギイザナミの二人の神の交わりによって生れていますね。
だからというか、リアルな林業という「職業もの」を扱いながら、少し神話の世界の神秘的な事が作中で起こるのに違和感がなく、すごく感覚的に腑に落ちちゃいました。
というか、日本の深い山々の風景の美しさと森の怖さ、川のせせらぎの音や木のにおいまでしそうな圧倒的映像美が、神話の世界があるんじゃないかと思わせてくれるんですよね。
けど、それが押しつけがましいわけではなく、あくまでさりげなくというところがまた良かったです。


<始まりは、下心。終わりは…>
さて主人公の勇気君ですが、山の仕事と同時に恋の方も少しずつではありますが進行します。
表紙の美女である直紀は、都会からきた男性と恋仲でしたが、破局した過去があります。
その男性は山での生活に結局なじめなかった。
そのことで少しトラウマ気味の直紀ですが、逆に言えば直紀も彼のために、自分の土地を捨てれなかったと言えます。
「男にポイされて可哀そう。」だという村の目線がありますが、私としては恋よりも自分の愛する土地を彼女自身が選んだだと思います。

それは勇気君にもいえて、彼は一年間の林業プログラムが終わったあと実家に戻りますが、玄関手前まで来て好物のハンバーグの匂いよりも、家を建ている建設現場の木の匂いにつられ、それが村に戻る動機になっています。
直紀がいるから戻るのではなく、自分の「生」を捧げる場所が山にはあると思って帰る。
この二人は結局、人生において一番大事なもの(山やその周辺での生活)が重なった結果、人生もまた重なりあうんだと思います。
「恋」を最優先しなかったという点では勇気君と直紀は似た者同士なのです。
映画のなかでは彼らが恋人同士になったのかどうかは、書かれていません。
だけど、最初に「性」というリビドーで始まった勇気君の物語が、山で生きるという「生」で締めくくられるのはなんかいいなと思います。
というか、「性」は「生」に組み込まれているといえるので、「性」の原動力を正しく「生命力」に変えていったといった方が正しいかもしれません。

 

 


それにしても、木というものは昔から不思議な存在でした。楠なんかをみると、自分よりもずっと長い期間生きていて、自分が死んだあとも
残っていくのかと思うと背中がぞくっとします。あの感覚はほんとなんなんだろうなぁ?

「内(うち)」と「外(そと)」の断絶を越えて~おんな城主直虎22話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

前回、直虎は龍雲丸の一党を木材伐採のためにヘッドハンティングしてきました。今回はそんな外部の彼らが、井伊谷の定住民といざこざを巻き起こします。
今までもミクロの部分にフォーカスを置いている大河だと述べてきましたが、この話でマクロの波に飲み込まれる弱小国家・井伊を強く感じてしまい個人的には非常に
つらさを感じるものとなりました。


<技能持ちの流浪の民と定住民にある溝>
前に人材集めの時には、同じ農民同士もあってか、とりわけ問題は起きてないようでした。ですが今回は違います。
賭博場を開いたり、酒の盗難や村娘へのストーカー被害疑惑が浮上しました。
これ、いってしまえば全部誤解からくるものだったのですが、現代でもおこる根深い「差別」の構造からきています。
なぜ差別が起こるのかといえば、自分と「異なるもの」への恐れが根本的にあって、ここでは、定住者(一般人)と非定住者(無法者)という形としてあらわれました。
龍雲党の人たちからすると、頼まれてきたのにマイナスの扱いをされ、「人間扱いされてない」と感じます。
彼らはきっと、今までもそのような扱いを社会から受けており、生き延びる結果、はぶれもの同士で集まって生きてきたのではないでしょうか?
具体的にどんな状況にいたのかは語られていませんが、想像するだけで胸が痛みます。
だからといって、盗みを繰り返していてはそこから脱却することはできません。差別されてるという理由をもとに悪事を働いては、悲しいですが社会的に認められる事はないでしょう。

 

 

が、ここまで彼らを被害者という立場によせて書いてますが、そんなに同情的に見ているわけではありません。
というのも、はぶられたと結果だとしても手に職がある彼らは、どこだって生きていける、という見方ができるからです。
社会的組織の外で生きていけるだけの強さがあるので、土地や家に縛られてしまう人達からするとある種の自由があります。
だけど、普通の人々はそんな強さがないので、だからこそ人は集団になり一人ではできないことを成し遂げたり、大きな敵に立ち向かえます。
ただ、それは構造上どうしても自分達の「内」と「外」を分けることになり、「外」認定を受けると排他されてしまう人が出てしまい、それが龍雲党のような人を生みます。

 

あんまり関係ないのですが、「コードギアス」という作品の中で。レジスタンスの女の子であるカレンが「組織、システムに入れない人はどうなるの?」
みたいなことをいった時に、相手のスザクという男の子が「組織に入るしかない人はどうなる!」という返しがあってなんとなくその事を思い出しました。

 

 


<群雄になれない今の井伊家>
ここまで、井伊ってめちゃくちゃ弱小だよね。と思ってみてましたが、あらためてまじでそうなんだなと実感してきました。
宗主国レベルで情報戦を制すということが難しいとは思いますが、各国に間者を送り込むだけの国力が単純に足らない。そのレベルに達してない。
外交は政次の今川家ラインと、常慶が松平とのそれがどうなるかまだわからない状況。
ただでさえ資金も軍事力も人材もない中で内政がいっぱいいっぱい。
この戦国バトル・ロワイヤルにエントリーするだけのリソースが圧倒的に足らなくて、ほんと涙が出てきます。
足らないからというより、現時点では資格すらない与えられてないという点で。
どれだけ直虎が井伊の「内側」を充実させようとしても、「外」にある世界の残酷さが井伊の喉元にナイフを突きつけてくる。
蒼穹の昴」で列強にいいようにされた清王朝末期のように、大国に翻弄される直虎達の「今」は薄氷の上の幸せのよう。
この手元にあるカードの少なさと、でもそこにいる人、一人ひとりは良い人達なんだよね。という感じはなんというか凄く「日本」だなと感じます。

 

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

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<やはり鳴かない鶴>
twitterでギャーギャーいってるし、他の方々の政次分析や感想を読んで正直満足していますが、「下らぬぞ。但馬。」インパクトが大きすぎて。
今回は直虎さん周辺も含めアガペーとリビドーにあふれてて、こんなにもなまなましく肉体性にふりきる大河も珍しいなぁと感じます。
この理性的で自分のことちゃんと把握しますって人が、自分が思う以上に自分の感情に振り回されているのを、いっぱいいっぱいになりながら制しようとするとこ、
控え目にいって最高すぎる。内面に大きな波がある人が理性的にふるまおうとするのがいいんですよね。
でも、逆に表層的には明るく、中身がないようにふるまう人が、意外に理性的な中身だとそれはそれで好き。と考えた時あれ?それって龍雲丸さんでは?
と思ってしまいます。彼らは正反対に見えますが井伊の「外」にいる政次と社会的に「外」にいる龍雲丸は似たとこもあります。
「土地」と「家」の縛りがあるかないかであって。そして「外」にいる彼らにそれでも手を差し伸べようとする直虎さんは、確かに眩しい存在だなぁ。
そこに計算がないとこが厄介でありつつ魅力的で、こういう人を好きになると大変ですね。
彼女の「ファム・ファタール」ぶりがこれからも炸裂していくかと思うと、涙を禁じ得ないのですがこれからも見守っていこうと思います。

エンタメが文学を繋ぐ。太宰治の『黄金風景』 ~花もて語れ5巻~

花もて語れ 5 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

いまや漫画やアニメーションがいまや世界的広がりを見せています。それの面白さ一つは、題材のバラエティ豊かさなんですよね。
恋愛やヒーローや歴史ものなどのメジャーなものから、人があまり知らない職業ものなどありとあらゆるジャンルを網羅しています。
ここで紹介する「花もて語れ」も「朗読」という珍しいものを題材です。

 

 

主人公であるはなちゃんは引っ込み思案だけど空想好きな少女。彼女は幼い時に朗読の楽しさに目覚めますが、かといってそこから何があるわけでもなく大人になり、
社会人になってから朗読教室に通い始め再び朗読のとりこになっていきます。
文学作品が多く取り上げられて、どの物語も読んでから大好きになったのですが、全巻を読んだ中で一番だと思えたのは5巻に出てくる太宰治の「黄金風景」なんです。

 

黄金風景

黄金風景

 

 

 

青空文庫でも無料で読めるので、まだ読んでないひとがいたらぜひとも読んで見てください。短編なんであっというまに読めてしまいます。

 

 

この「黄金風景」には太宰がに仕掛けた「罠」があり、私はそれにまったく気づきませんでした。女中をいじめる高慢な少年・太宰に対して最後になぜ彼女は「親切」といったのか疑問でしたが、はなちゃんの朗読で腑に落ちました。
というか、意味がわかると何回読み返しても胸にきます。はなちゃん朗読の中で太宰治がどういう人間だったのかという事にもスポットライトをあてておりこう書かれています。

たくさんの苦悩を抱えたのは、その苦悩を感じとれる、感性をもった人間だったからではないか。

 

そして黄金風景とはどういう小説かといえば

思い悩むということは、そのなやみを乗り越え始めている。
思い悩むということは、その悩みを乗り越えられる器がその人にある。

 

となっています。ここだけ抜粋すると意味不明だと思いますが「花もて語れ」を読んだら一発でわかります。
ネタバレすると面白さが半減するので書けませんがこれ、太宰自身も自分の「思い込み」から解放されると同時に、彼の視線を借りて読んでいる読者もそこから解放される構造になっていてるんですけど、ちょっとねくれているせいかわかりずらい。
太宰治の作品を何作かをそれから読んだのですが私の彼のイメージは
些細な事で人を傷つけていたかもと怯える強い感受性と、自己完結してしまいがちな頭の良さを持つけど、そんな自分に自己肯定感はそんなに強くない。
というものがあります。
だけどそんな彼だからこそ「世界の美しさ」に気づくことができた。そういう面が強くでた作品がこの「黄金風景」だと思います。

 

 

私の言葉じゃじゃ「花もて語れ」と「黄金風景」の良さをうまく伝えることができませんがほんとうにおすすめの作品です。

それにしても、この作品を読んでて思うのは「小説」は自分自身の物語の「脳内再現力」が試されてるなぁという事です。
映像作品とは違い一からイメージを自分の頭の中で作り出さなきゃならないうえに、視点が登場人物の心の中に入ったり、逆にメタ視線から俯瞰したりと結構複雑な作業をやってるんですよね。
でもこのめんどくささがピタリとはまると、独特の多幸感あってものすごく気持ちいい。物語の海に深く潜っていくあの快感はなんとも言い難い。
けど、いつでもそうなるわけではなく、そうなるように手助けしてくれるこの「花もて語れ」は私にとって知らなかった文学との出会いの入り口となりました。
エンタメ(漫画)が文学の橋渡しをしてくれたこの作品に改めて感謝を。