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シェヘラザードの本棚

物語同士のコネクションを探して

英雄不在の世界で生きる者達に捧ぐ歌「カ~ン・カンカン・カ~ン」~おんな城主直虎16話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

前回、寿佳尼に「民を潤す事」がマニフェストの最優先事項と提示した直虎さん。
今回はその政策の具体的実行力が問われる話となりました。


「国の土台は『食』と『安全』にあり。」と考えてる私ですが、それだけでは発展はありえないでしょう。
もうワンランク生活レベルをあげるために「殖産興業」ともいえる「綿花栽培」に着手します。
そのための「人材が必要が圧倒的に足りない井伊家はどうやってそれを解決するのか?」が直虎の今回の課題でした。

もう先に簡単に言っちゃと

「口コミ(ミュージカル風)によるプロモーションを茶屋という経済交流サロンで大々的に行う。(無料)」
というものです。

 

最初、直虎さんは他の領主に頼み込むというあほみたいな事をやったり(政次のいうように相手にうま味がないのでnot win-win)
「人がいなければ買えばいいじゃない?」と人身売買をマリーアントワネットみたいなのりでいいだしたりと、はちゃめちゃでした。(人買いは、購入費が高いしそもそも不定期でしかやっていない)

 

 ここで私がおもしろいと思ったのは、戦国時代に人と情報の流動性がかなりあるという点でした。歴史に明るくないしそれが正しいかは私にはわかりませんが

農民達は「逃散」といっていざというとき逃げ出す事ができるし、領主にその器がないと見るや他の権力機関に訴えを出すことができる存在として描かれています。
これってつまり意外と「土地」に縛られずに生きており、彼らには自主性があるという事です。
茶屋にも様々な職業の人たち(僧・山伏・職人・武士など)があつまり、情報交換の場として活気に満ちていました。
だからこそ条件のいい直虎の「募集要綱」にすぐに人が集まってきます。

 

 

この普通の人達の生活レベルから戦国時代を眺める視点というのは、私個人としてはめちゃくちゃ面白い。
というのも、そもそも直虎本人も別に「百年の計」を考えられえるようなウルトラ戦略家でもないし、戦場で華々しく活躍したり、散っていくような武将タイプではないんですよね。
つまり「英雄」足りえないんです。いってしまえば、これは、たとえ彼女にリーダー性やヒーロー気質があるとはいえ「そのへんの女性」がどうにか頑張っていくお話なんです。
「英雄」が世界を変えていく話は魅力的で大好きですが、「今」を生きている私たちの世界は「英雄」不在なんです。
なにがいいたいかというと現代は、一人の「英雄」ではなく「経済」や「技術」の力で一人ひとりが社会の役割を担う事でどうにかやっていってるじゃないですか?
つまり直虎たちが直面している問題は舞台が戦国でありながら現在の私たちに通じるものがあるのです。
というか、「おんな城主直虎」は英雄の話ではなく英雄(井伊直政)を育てる話だとTwitterでみかけてそのように考えました。
(そういえば、森下さんは実業家・小林一三の話も書いていましたね。)

 

経世済民の男 小林一三 [DVD]
 

 

 

それをふまえて考えると「おんな城主直虎」が様々な社会階層にフォーカスをあてることで戦国時代の社会構造を明るみにだしていくとういのはなんともチャレンジングです。

今回は農業革命とそこから火縄銃に繋がる戦争の戦術ががらりと変わるイノベーションについてふれていました。

 

 

 

堅い話はこのへんにして直虎さんは今回、政次の案が自分より優れていたのでリーダーとしてへこんでしまいましたね。
さすがお役所仕事をさせれば右にでるもはいない政次プロデューサーです。政策実行力の腕が違います。
だけど直虎はへこむ必要はぜんぜんないんです。
前から感想記事で書いていますが直虎は政治家タイプで政次は官僚タイプ。
政次がいくら事務処理能力にたけようと、リーダーには不向きなんです。
彼女のフットワークの軽さや、ブレイクスルーできる力、あきらめずに飛び込んでいく姿勢は土壇場になったときに、きっと下の人たちの心の支えとなっていきます。
いざ自分が何かに追い込まれた時に「直虎様ならここであきらめない。あきらめたっていわない。」と思わせるでしょうし、それは意外とすごい事なのです。
政次もそこを自覚的に利用できるようになるとよりいいんですが。

直虎のほうも政次にだけ、感情をむき出しにあらわしています。(「赤毛のアン」のアンもギルバートにそうでしたね。)
彼女が政次の能力を見定め使う事はこれからの課題です。
自分の感情の意に反する人をも使っていく事が彼女のリーダーとしての責務だからです。

 

 

さて、今回ちょっとしのさんについて触れておきますが、私は彼女が愚かな人だとは思えないんですよね。分をわきまえてないといえばそうですが。
彼女は父親が不慮の事故とはいえ政次に殺された時に「悪いのはきっと父だったのだ。」とちゃんとわかっていました。
だけど、それでも感情面がついていかない。それだけ彼女は「情」のパワーが強い人です。
実は直虎もこの「情」のパワーの強さは負けず劣らずで、その発散先として政次が選ばれており、意外としのと直虎は似たところがあるんです。
直虎は社会的地位の確立によって精神的バランスがとれていますが、しのさんの井伊家での政治力のなさっぷりをみるに彼女の精神的居所はまるでない。
このタイプは、爆発させるか、寄り添うかのどちらしかないと思いますが政次は、うん、そういうのできないタイプですね。
彼は、相談にのられたら具体案はだすけど彼女から「いや。そういう正論はいいから。聞いて欲しかっただけなんだけど?」と逆切れされるタイプなんですよね。悲しいことに。
そのへんの人間関係の機微も注目してみていきたいと思います。

 

 

そういや政次VS直虎と銘打って記事をを書いていましたが、どちらが勝とうが結局、政次の思いどおりじゃん!!と考えあきらめました。
勝っても負けても美味しい思いをするなんてずるいですよ!!おのれ政次!!(そこが好き)

 

『おんな城主直虎』好きにおすすめする『カルバニア物語』~世界の残酷さや断絶をとらえる柔らかい眼差し~

カルバニア物語(1) (Charaコミックス)


大好きな作品を誰かと語り合った時、好きなポイントが全然違った!!って経験はありませんか?
例えば、「おんな城主直虎」のどこがいい?って意見をきいたら、「役者さんの演技がいい」「音楽がいい」「脚本がいい」などのふんわりした理由から「直虎・直親・政次の三角関係が素敵!」「国衆達が戦国の世に振り回されていくマクロのダイナミズムが面白い」などの具体的なものまで様々です。

 

 

これってようするに「作品をどうとらえるか?何を求めているか?」という「視座」が人によって全く違うから起こっていてどの意見や感想も正しさがあります。
だけど、いやだからこそ「この作品が好きならこれがおすすめだよ。」って言う時には、自分の作品への姿勢や眼差しを添えて紹介していきたいと思います。
きっとおなじような「視座」をもつ人ならきっと琴線に触れると思うから。

 

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

 

 

さて、いつものごとく前振りが長くなりましたが本題に入ります。
なぜ「おんな城主直虎」好きに「カルバニア物語」を進めるかというと二つの作品のなかに「ひとの欠点や瑕疵やなかなか抜け出せない『業』」「だけど別の角度から見た時に同時にそれが光でもある」という両方を内包しているからです。
まぁ、そんなかたいことをいわなくてもこの二作品の設定は似たところがあります。

 

「カルバニア物語」は中世ファンタジーな世界で17才で即位した女の子「タニア・カルバニア」と女公爵を目指す「エキュー・タンタロットを中心とした群像劇。
彼女達は男性・保守的社会のなかで他貴族と時にぶつかり、理解しながら奮闘していきます。
こう書くと堅苦しくて構える人がいると思う人もいると思いますがけど肩の力を抜いて読んでほしい。

 

例えばここで出てくる、保守的な「タキオ・バスク」という領主。彼は「女の下につくのは嫌だ」といって最初の方はエキューを嫌っていますが

ビジネスを一緒にやっていくうちにだんだんと変化していきます。
が、それでもエキューが女侯爵になることに懐疑的です。
そんなタキオにエキューが「やれることや、やるべき事をしているのに何がきにくわない?」
と聞いた時、こうタキオは答えます。

「エキュー。気にくわないことなどひとつもない。」
「本当のことを言おう。いつも君には感服している。」
「君は公正で勇気があって努力家で、そりゃあ大した女だ。」
「君こそはきっとタンタロット侯爵がおつくりになった最高傑作だろう。」
「だからこそいい人生を歩んで欲しいんだ。」
「確実な良い人生を。」
「君には愛する男に手をひかれて安全な美しい道を歩いてほしい。」
「意外に思うだろうけど私もハゲたちだって君の幸せを心から願っている。」
「だからカルバニア初の女侯爵なんて誰も経験したことない冷たい風の吹く荒地みたいな場所に、君をたたせたくないんだ。」
「君の美しい顔が苦痛にゆがむのを見たくない。」(タキオ)
「君を気にいっている。」(タキオ)
「だから私はこうしてここにいるんだ。」
カルバニア物語10巻より

 

カルバニア物語(10) (Charaコミックス)

カルバニア物語(10) (Charaコミックス)

 

 

このタキオの言い分は確かに保守的な面もあるでしょう。その面には「女は男の領分に入ってはいけない」という負の部分もはらんでいるかもしれない。
だけどそれでもその中にタキオのエキューに対する深い敬意や愛情が同時に矛盾せず存在しています。
彼女を気に入っているから守ってあげたい。それが彼女の自己実現をさまたげようとも。
この保守的な考えの中にある両義性がタキオという人間の深さをあらわしています。

(というか、二つの矛盾した思いの中で悩みぬくこそが愛なんですよね。政次。聞いてるか?お前の事だよ。≪小声で≫)

 

これって「おんな城主直虎」のなかにもあって単純に「男」と「女」。「支配者」と「被支配者」。「外敵」と「身内」と、いっけん対立をはらみ敵視してしまいがちな相手の中に、スポットライトを別の場所からあてるとまったく違うものが浮かび上がってくる構造をもっています。
「女のくせに」という直之の中にある「女性は守らねば」という思いや、立場上弱くて守らなければならない百姓達にあるずるさと強さ、井伊家における小野家の存在。
その矛盾を抱えたものをみんな持ち合わせていて、それをつきつめて考えていくといくと誰も悪人なんていない。
そして相手の事が理解できたとしても完全にはその立場に立つことができない自分と相手の断絶さがそこにあり、自分の正義や生き方が誰かを傷つけていく残酷な事実が浮かび上がってきます。
だけどその過程には同時に優しさや愛おしさも確かにあるという人生のやるせない美しさが浮かび上がってくる。

 

 

なぁんか、小難しい事言い出していますが、とにかく二作品とも厳しさの中に優しい眼差しを感じるんですよね。
そういう作品が好きだ!って人にはおすすめします。

 

いや、「おんな城主直虎」にこの文脈の一つを私が勝手に感じ取っているだけで、ほかにもいっぱい面白いって感じるところがあって少女漫画的でありながら少年ジャンプの趣があったり小野政次さん、最高すぎない?」というキャラクターへの偏愛があり、弱小国衆やその下の名もなき人々の戦争だけじゃないサバイバルがあったりして、いいだせばきりがないんですよ。

 

そういういろんな観点からみえる面白さで他の作品を軽率にお勧めすればいいんじゃないな。みんな。
音楽がいいなら菅野よう子さんが携わっている他作品をおすすめしたり、小野政次が好きならきっとこのキャラも好きになる、とかね(←まじで求む)。
それがきっと作品を楽しむうえでの豊穣さにつながっていくと思います。

 

まぁ、そんなこといいつつ

「おまえの文脈の読み方なんて知るか!!これは面白いから見ろ!!」ってオラオラな壁ドンスタイルでおすすめされるのもぶっちゃけ大好きです(矛盾)

政次さんの対直虎成績0勝1敗 果たして勝利の女神は今回どちらに微笑むのか?外交編~おんな城主直虎15話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

前回は、井伊の内政問題を扱っていました。今回は外交になります。
昔から上下関係の同盟関係をもつ国の関係は非常にバランス感覚をとるのが大変です。
独立した一国としてのアイデンティティを守る事と安全保障のためには従順でなければならないという現実のはざまで、なんとかやりくりしなければならないからです。
中国の冊封体制のもとにいた韓国や琉球王国の外交官達の努力は涙なくては語れません。

 

テンペスト 第一巻 春雷 (角川文庫)

テンペスト 第一巻 春雷 (角川文庫)

 

 さて、我らが政次さんですがまだまだ後見人争いから降りる気はないようです。

「徳政令で農民達の心はつかめたかもしれないし代案も示せたが、それはあくまで井伊内部のことであって外の世界じゃ通用しないよ。」

といったところでしょうか。たしかに外の世界での外交キャリアは政次のほうに分があります。
嫌われている井伊家よりも動きやすさがある分こちらが有利といえるでしょう。

 

まずは政次がどんな策でもって直虎を攻略しようとしたかを見ていきます。

 


今川家からの呼び出しは直満・直親の例があるようにほぼ「死」を意味しています。
そこで政次は「後見からおりれば命だけは助かる。セカンドベストじゃないか。」
と評定の場と今川家への道中で二度も直虎へ提案します。
が、基本的に直虎がのむわけないのをみこしてのことなので、「とりあえず言ってみた。」って感じが強いです。
そこで虎松の生母であるしのに「直虎の後見を認めない」と一筆書いてもらいました。
これが政次の切り札となります。
たとえ、直虎が今川家に運よくたどり着いたとしてもこの一筆さえあれば、ひっくり返すことができる魔法のカードです。
しかもバックには今川家がついてるという。鬼に金棒状態とはまさにこの事。

 

さて直虎はこの小野・今川連合に対してどう対抗していくのか?
まずは、今回の直虎のミッションを整理します。

    • ①「今川家に無事にたどりつけ!!」
    • ②「徳政を行わなかったことを通させろ!」
    • ③「直虎が後見だと今川家に認めさせろ!」

     

     

という3点です。

 

は直之との衣装チェンジで政次を出し抜きました。(直虎があきらめる女子ではないと知っていながら、蛇でおびえる彼女をみてしまったものだから政次はぬかってしまった。)

 

 

法治国家である今川家に対してその法である「仮名目録」を使って対抗しました。ルールで誰かをしばるなら自分もまた縛られるので、今川サイドも筋が通らない無茶ぶりは出来ない。
ですが、ここで寿佳尼も負けてはいません。
すかさず「その法律古いよ。バージョンアップしてるからそっちに従おうね。だからさっさと徳政を行わんかい!!」と命じます。

 

 

ここでに繋がるのですが直虎はとっさに「徳政を行うということは、つまり私が後見でいいって事ですよね?」と返します。
なにこの理屈の殴り合い?法廷もののドラマをみているようでめっちゃ楽しいですね。

 

さてさて、ここで割り込んでくるのは政次くん。

上記にある魔法のカード「しのの一筆」を取り出します。
二人のやり取りを無効化できる最強のカードです。

なぜならどんなに直虎が机上で政治的手腕を発揮してもその正当性に支持がないとすれば、実行力があるかは疑わしいといっているようなものだからです。
すなわち後見とは認められません。
政次はそれを見据えて、ここぞというときにこのカードを切りました。

さすが小野外交官、やりますねぇ。

 

直虎もここまでか・・・と思われた時、巻物が届けられました。
瀬戸・祝田の百姓達の直虎後見の嘆願書です。

このシーンめっちゃくちゃいいんですよね。なにがいいって、直虎一人の能力だけではやっぱり今回は政次の策に抵抗できなかったんです。
それぐらいこのカードは強い。

 

 

Twitterでも書きましたが、「城主」直虎という「花」を咲かせるためには、「根」である民と「茎や葉」である家臣の支えが必要なんですよね。
彼女は今回そのことが身に沁みた事でしょう。

第三回「おとわ危機一髪」の回で蹴鞠勝負をしかけ成功しましたが、あれはあくまで大人の手のひらのうえで、おこったものでした。

自己完結した自己満足でとどいた小さくせまい世界のものです。そこに他者は存在しません。(それ自体は悪ではないし時にその思い込みで前に進める。)
だけど、直之をはじめ傑山達がどれだけ自分をささえているか、民の力はひとりひとりは小さくても確実に自分の力になっているか、それがわかったと思います。
直虎が戦っていく上で、自分の能力以外の他者の「見えへん力」がめぐりめぐって自分の力となっていくというのは、少女時代ではけっしてたどり着けなかった新たな大きくて広い世界です。

一人じゃ飛べない空もみんなとは飛べるってやつですね。

 

ここで対照的なのはやはり政次で、彼は一人で世界を背負ってしまっている人なのでどうしても自分の理論上の策にすがるしかない。
基本的に誰にも頼ることができず一人で生きていくしかなかった彼の限界が見えてしまいます。間違いでは決してないんですけど。
だけど彼のそうせざるをえなかったという生い立ちを考えると、それでも「井伊のために」という高潔さからくる行動はなかなかできるものではありません。


長くなりすぎて自分で書いててひいてますが、直虎と寿佳尼の対話にもどります。
ここのポイントは「なぜ寿佳尼は直虎を後見として認めたか?」です。

 

直虎自身で今川にたどりつく胆力を見せ、対等に渡りあったというのももちろんありますが宗主国のトップである寿佳尼の判断は以下の二点。

  • ①民意が直虎側にあること。
  • ②「民を潤す」という目的のために合理的判断ができる能力が直虎にはあると確信したため。

 

まず、について。
百姓達ってどうしてもいやだと思うと「逃散」してしまう力の持ち主達なんですよね。
だから、ここで無理に今川領にしてしまっても逃げ出してしまって意味がないんです。吸収合併したはいいものの、社員がストをおこしては元も子もありません。

 

について。
井伊はこれまでは「今川憎し」といいう動機で動いているところがありました。聡明な寿佳尼がそれに気付いてないとは思えません。
この従属国の宗主国に対するルサンチマンは根深いものです。
決して馬鹿にされるべきものではないと私は考えています。

 

だけど現時点での今川家に逆らうのは上策ではありません。
ただ、民意を背負った直虎は「民を潤す」という目的のための動き、それがひいては井伊や今川の「利」となるといっています。
これは民意に支持基盤がある直虎がいうからこその説得力があり、

支持者の声を一政治家である直虎は無視する事はできません。
これがもし「家」のためという個人的感傷だけなら信頼ができないんですよ。
家族を失うという悲しみや相手への憎しみを知っているからこそ(寿佳尼は息子・義元を戦場で亡くしていますよね)
簡単には直虎のいう事は信用できません。だっていままでどれだけ井伊の人が今川家によって葬られてきましたか?そこに寿佳尼は悪意はなくても自覚的でしょう。

今回の政治ゲームでは直虎は「情」という駒を動かさず合理的な「利」で盤上を制しました。
だからこそ「民のため」という目的が直虎にあるがゆえに、井伊を治めるぶんだけなら問題はない。(つまりそれを最優先に掲げるかぎり今川を裏切らない)
と政治的判断を寿佳尼は下した。
と私は考えています。(政治も歴史も明るくないのであくまで個人的推測ですが)

 

いやぁ、それにしても愛する人達を今川家によって大勢失ったというのに、直虎は意外とその辺あっさりとビジネスライクな対応ができますよね。
むしろ政次に対しては身内だとおもっているからこその愛憎があって感情の生生しさが出てしまいます。
お互いそこんとこ無自覚なのかなぁ?もし直虎が政次の事なんとも思ってなかったらあんなにも敵意をむき出しにはしませんよ。
期待してるから、好きだから相手が見えないというのは案外お互い様な二人です。

 

 

さてさて、今回の外交対決も直虎が勝ちました。まぁ政次は直虎に負けたのではない。「見えへん力」に負けたのだ。
ともいえますが、どうみても男装姿の直虎の雄姿に惚れなおした感があるので、二敗どころか三敗してるように見える政次でした。

(最終的にここが一番言いたかった。)

 

 

 

プロの矜持が救うもの。愛情や友情の絆からこぼれ落ちても。②~少年ハリウッド編~

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前回の記事で「愛情や友情の絆」からこぼれ落ちてしまった人達はどうすればいいのだろうか?
という問いに、「職業意識の高潔さが彼ら彼女らを救うんだ。」と私は結論づけました。
ただしこれはちゃんとした強い目的意識をもった組織人の話なので、もうちょっと身近で親しみやすいものを紹介したいと思います。


このブログでも一度書いた「少年ハリウッド」という作品です。


アイドル青春群像劇の名作アニメなんですが今回はここに出てくる「マッキー」こと甘木生馬と「キラ」こと佐伯希星という二人の少年に光をあてたいと思います。

 

マッキーは、高校中退したヤンキーで家庭にもなんらかの事情があって疎遠になっており、アイドルという仕事にも向いてないのでは?と悩んでいます。

つまり社会、家族、友人との「居場所」がまったくないというわけではないけど、かなり希薄で危うい状態にたたされている男の子。
このどこにも、誰ともつながってないという恐怖感は、ありふれたものであるがゆえに袋小路になってしまう問題です。
だってこんなこと話たって「誰もがそうだよ。あなただけが抱える悩みじゃないんだ。」って一蹴されてしまうから。

 

 

そしてもうひとりの少年であるキラは、帰れる家があり、そこそこお金持ちで世間で忘れられたとはいえ朝ドラの子役で一度は人気を博した少年です。
なのでマッキーよりもキャリアがあり舞台慣れはしてるし、家族という居場所があってお金があるという世間からみると恵まれた少年です。

 

TVアニメ 少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-キャラクターソングCD(佐伯希星)

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この二人って学校で出会うと絶対に友達にならないタイプ、っていうかそもそも入る学校から違うくらい差があると思うんですよ。性格も基本的には合わない。
身分制度がないといってもこの資本主義社会においてあきらかにかなりの生活レベルの差もあって、アイドルという職業の場がなければ絶対に出会わない二人といっても過言ではないんです。
そのうえ、能力差まである。共通点もまるでない。だからこの時点で友情なんてないんです。だってあまりにも違いすぎるから。

この相互理解が難しい彼らがある日、喧嘩といっても一方的ですが起こります。
マッキーがとうとう「芸能界なんてむいてない。キラみたいに生まれつきむいてるやつがやるべき。お前には居場所があっていいよな。」
みたいなことをいっちゃうんですよね。居場所がないと感じているがゆえに。
そこからのキラの言い返しがこうです。

 

「だいたいマッキーって努力してないでしょ?」(キラ)

 

「俺だって、俺なりに。」(マッキー)

 

「違う。マッキーのは努力のうちに入らない。努力の手前でばたばたしてるだけなんだよ。努力をしない人間に生まれつき向いているなんて簡単な事いわれたくないよ。」(キラ)

 

「こどものころから死ぬほど努力してきたんだ。ねぇ?乳歯が抜けただけで入れ歯したことある?小学校の修学旅行もクラスで僕だけいけなかった。運動会もほとんど出たことがない。」(キラ)

 

「自転車もサッカーも禁止。怪我したらだめだから。全部仕事のためだよ。お腹壊してさ、お腹壊してロケに出る時本当に不安でさお母さんに万が一のためにおむつ用意してって自分からいう小学生の気持ちがわかるかよ?」(キラ)

 

「都合のいい時だけ天才天才ってもちあげて、なのにさ、子役じゃなくなった途端に、相手にされなくなる気持ちがおまえらにわかるかよ!居場所居場所って簡単にいうなよ。」(キラ)

 

「僕は居場所もなにもなんだかわからないうちに全部がはじまってたんだよ。だからそこで努力するしかなかったんだ。自分できめたことなんて一つもない。」(キラ)

 

「マッキーは学校もやめて、家を出て、そのうえここもやめて?そうやって自分の居場所を決めれるじゃないか?」(キラ)

 

「僕の居場所はね、ここにしかないんだよ。」(キラ)

 

「だから磨くだよ。自分を。たった一つの居場所だから。」(キラ)

少年ハリウッド6話「雨の日の居場所」

 


もうね、これほとんど逆切れなんです。「プロの矜持」なんてかっこのいいものではないんですよ。もはや芸能界に必死にしがみついてきた少年の叫び声。
けど、マッキーは衝撃うけちゃうんです。というか彼の人生観の転機といってもいい。キラはまったくそんなつもりはないだろうけど。

マッキーからすると宇宙人レベルで理解できないと思っていたキラが、自分と同じように「居場所」について悩んでおり、むしろそこを死守するために戦ってきた人だった
事実に心が動かされてしまうんですよね。

「キラはなにもかもを持っている。俺には何もないけど。」という「下から目線」をここでぶち壊されるわけです。
これって「誰もがそうだよ。あなただけが抱える悩みじゃないんだ。」って意味を一般論から諭すようにいってはマッキーに届かなかったでしょう。
キラ自身の人生をまるごとさらした言葉だからこそマッキーの内面深くまでささりました。
友情でも優しさでも愛情でもないけど、それでもプロとしてなんとかやってきた彼の矜持が、居場所のない少年の居場所づくりをした瞬間でした。

 

①の時にも「GUNSLINGER GIRL」の中で書きましたが、マッキーはここで他者と「同じ目線に立つ。」という体験をしました。
能力や家庭環境、性格の差、そんなものどうだっていいじゃないですか。そんな「差」なんてけし飛んでいくんです。
むしろ「差」を飛び越えていく力が「同じ目線で立つ」共感能力にはあるんです。

まさに

In solitude,where we are least alone.(孤独の中で、我、ひとりにあらず。)

 

ってやつなんですよね。

 

これ、書いてて気づいたんですが、「愛情と友情の絆」も「同じ目的意識を持つ組織の中の絆」も違いはあれど「一人にしない」という事で共通してるように感じました。

まぁ、この二つは重なりあっている時があって明確に分けることができませんが。

 

 

 

 

直虎VS政次 人の上に立つ資格があるのはどちらか?~おんな城主直虎14回~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

Twitterのほうでは、「政次がね、政次は~、政次ったら」とほぼほぼ政次botになっている私ですが、この話をみる限り、彼はどうも官僚タイプの人間で上に立つ政治家タイプではないんですよね。ほんと「シン・ゴジラ」みたく霞が関あたりで勤め上げた方がよっぽど才能を開花させそうですよ。(中の人的に)

策を弄することや根回しはできるんですが、ひたすらそれに特化した能力なんですよね。

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

 

 で、一方の直虎のほうを見てみましょう。彼女の城主としての器は実は第6回で示されています。

あの「かびた饅頭」事件です。それまで直虎という女の子は亀のために、髪を自分でそってしまい出家をしてしまうほどの苛烈さと一途さをもっていました。
「家」や他人の意見なんて関係なく確固たる自分自身の意思でもってです。ここまでだとひたすらにミクロの世界のみで生きている恋する女の子なんですが
彼女は直親と結ばれる機会を井伊というマクロのために拒絶します。
ここでわたしは、直虎という人はすごいかもしれない。と思ったんですよね。

 

えっとですね、これがもし彼女が最初から「家」のために生きいているような人なら、この選択にそんなに感心はしなかったんですよ。

「そんな小さな初恋なんて家の大事に比べたら些細な事だからしゃーないじゃん。」と最初から思うような子なら。
だけど、これまで直虎はどんなちいさな事も誰かのためにと「竜宮小僧」として働きつづけ、家族や周りの人間を深く愛せる事ができる子でした。
そんな愛情深い彼女が亀との「二人だけの世界」とう甘美な世界に逃げこまない。

ロミオとジュリエット」になるという選択はないんです。

どれだけ、彼の手を取りたかったかがひしひしと伝わってくるにもかかわらず。

 

だけどここで俯瞰して十年・二十年先を見据えた策をちゃんとわかってるんですよ。
そんなマクロの現実をちゃんとわかっていながらも、ミクロの人の痛みに敏感であるという彼女のバランス感覚はなかなかありえることではなんです。

 

ロミオとジュリエット (新潮文庫)

ロミオとジュリエット (新潮文庫)

 

 そしてここまでの前提をもって今回の話を見てみましょう。

 

政令」を発布しない直虎に腹をたてた農民達との夜の田植えのシーンです。彼女は二段構成のプレゼンで彼らを説得にかかります。

 

 

まず最初に徳政令を出した場合と方久の策に乗った場合の二つのケースが引き起こされる長期的な結果を彼らに示しました。
確実に方久側にアドバンテージがあると匂わせながら。
その後、たたみかけるように方久の金に忠実な人間性について語り、そういう男ならこの件に関しては裏切らないというロジックを展開します。
上記までが一段目です。

 

そしてここからが二段目。
自ら田植えをして泥だらけになるという農民の立場もちゃんとわかってますというパフォーマンスを行いながら、
「私は、あなたたちと共に歩みたい。一緒にやってくれないだろうか?」
と低姿勢で上の立場であるにもお願いしました。

 

 

なんか私がこう書くと腹黒くみえてしまいますが、直虎はナチュラルにやってのけていて自覚はないでしょう。
このプレゼンのすごいところは、ちゃんと最初に農民にとっての客観的な現実をしめし、その次に彼らの心に寄り添っていった点です。
これはどちらもないとだめでした。一段目も二段目、両方セットだからこそ効果が出るものです。
彼らも無自覚で直虎の意図をちゃんと理解しかは怪しいですが、民衆というのは情や理想主義だけではなかなか動きません。

策だけで人を動かせても心まで動かすことができず、逆もまた然りです。
目の前にある現実をちゃんと見たうえで、それから夢をみせることがどれだけできることができるか?彼らの動機をどれだけ社会に対してうごかしていけるか?

 

これは、現在の世界の為政者達さえ四苦八苦するような難しい課題です。
直虎がなぜこれを自然体で出来るかというのは、幼いころから市井の人たちとふれあい、ミクロな彼らを愛することができる感性にあります。
そこに本来のマクロの現状把握能力が加わると「城主」という器が出来上がります。
そういうわけで、私は人の上に立つのは直虎のほうに分があるなぁと、思ってしまうんですよね。

 

直虎が政治家タイプなんで本来なら官僚タイプの政次とは相性がいいはずなんです。お互いが補完関係になるので。「井伊を守る」という課題を取り組む同志ならなおさら。

しかし今の捻じれた人間関係がドラマになっています。

 

 

 

けど直虎って本来、天真爛漫でまっすぐなもんだから普通のかわいい女性に見えてしまうんですよね。(そこがギャップとしていいんですが)
そういう立場になったからリーダーの資質が顕在化されたものの、普通はわかんなくてそこに政次の誤算があるように感じます。
「知っておる。昔から。」とか彼氏面したセリフをいってて個人的には最高だな!!と思ったんですが
彼女の器についてはわかってないように感じました。
いや、そもそも亀が「かびた饅頭」事件のあとに、「おとわはそなたのものにならぬぞ?」とか爆弾発言かましているひまがあったら、
なぜおとわが自分と結ばれるのを断ったかとか説明しとけば、少しは彼女の能力が伝わったのでは?とタラればしてしまいます。
まぁ、「美しい思い出」として自分だけの記憶にしたかったささやかな彼の抵抗のあらわれだとは思いますが。

 

 

あぁ、でも毎回かたいことをかいてるなぁ。もう、週刊「政次」にしてしまいたいけど、
高橋一生さんの演技から機微を読み取る「政次ソムリエ」や「政次一級鑑定士」の
Twitter住人のみなさんの分析をみて満足しちゃってる自分がいますね。ほんと、副音声で古舘伊知郎さんばりに
「おっと!!今、政次は目線を下げましたがどう意味でしょう?!!」
といったら
「そうですね。直虎の方を驚いて思わずみてしまいましたが、すぐに自分を律して下を向きました。」
みたいな実況ごっこやったら楽しいだろうなぁと妄想しています。

プロの矜持が救うもの。愛情や友情の絆からこぼれ落ちても。①~カルテットとGUNSLINGER GIRL編~

GUNSLINGER GIRL(1)<GUNSLINGER GIRL> (電撃コミックス)

 

 

タイトルで「プロの矜持が救うもの」って書きましたが、それに踏み込む前に「愛情や友情の絆」が救うものについて説明していきたいと思います。
ここでいう「救う」って何から誰を救うのか?というと、残酷な世界や親の負の遺産から食いつぶされそうな子供達をです。
簡単にいうと親や世界がやらかしことに全く無関係なのに、人生を失いかけている子供達の救済はどうすればいいだろう?というお話です。
直近だとドラマ「カルテット」の真紀やすずめ、「輪るピングドラム」「1Q84」などの作品で扱われています。

 

カルテット Blu-ray BOX

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1Q84 BOOK 1

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 全部説明していくと長くなるので「すずめ」に絞りますが、彼女の親は娘を使って「超能力詐欺をTVで行い、それがばれて成人してからもいじめにあい会社で居場所がなくなってしまう人なんですよね。そんな彼女がひょんなことから弦楽四重奏のカルテットを他の三人と結成して、共同生活の中で練習しプロを目指します。

 

こう書くと、視聴してない人からは彼らは成功し、立派な演奏家になってトラウマ回復なドラマになりそうな気配を感じそうですね。
けどこの四人は「きっと何者にもなれない」芸術家達なんですよ。三流どころか四流で生活さえままならない。
かといって芸術の狂気の向こう側にはいけないし、いわゆる「普通」の生活にも折り合いをつけて生きてはいけない。

 

だけどね、この四人の生活がものすごーく楽しそうに見えるんですよ。意図的だと思いますが料理がめちゃくちゃおいしそうで、くだらない事で盛り上がっている。もはや疑似家族なんです。たとえ冷たい現実や言えない秘密と背中合わせだとしても。
このゆるい共同体でできた絆こそが彼女を救っていくんです。そこを「足場」にして人生を生き抜いてく。

 

ドラマの話の快楽線をたどるなら演奏家としてある程度成功させたほうが大衆にもっとウケはいいでしょう。
だけどこの「どこにもいけない」「何者にもなれない」人たちが一生報われなくて、成功しなくて、トラウマの痛みが完全に癒えてないとしても、
それでも楽しく生きて笑って暮らしていーじゃん。
共有できる誰かが一緒にいるのならそれができるはず。
という優しい眼差しが脚本家の坂元さんにあるのではないかと思います。前作の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうにもこれと同じ手触りがありました。

 

 

 

えっと、要するに親の呪縛や世界の冷たさの中で生き抜くには?ってなったときのアンサーが新たな仲間たちとの愛情や友情の絆なんだ!!って事なんです。

 

 

で、やっとここから本題に入れるんですが、じゃあその「愛情や友情の絆」からこぼれ落ちてしまった人達はどうすればいいのだろうか?

 

という問題が立ち上がってきます。誤解してほしくないんですが私は上記の「絆」のお話がすごく好きなんです。
ただ、それすらも手に入れなかった人たちはどうしたらいいんだろう?と思ってしまうんですよね。

 

 

そこで「GUNSLINGER GIRL」の話に繋がっていきます。

 

お話の舞台は架空イタリア。地域の経済格差が原因で独立運動が起き、テロや犯罪が起こります。
それに対抗するために政府が秘密裏に作った「体を改造し洗脳された少女の暗殺者」


しかもその義体化された少女達はもともと殺人犯に暴行を受けたり、スナッフムービーの犠牲者で寿命も長くはない。
戦ってただ死ぬだけの存在。

 

 

こう書くとほんと悲惨ですね。世の中の理不尽さを煮詰めて、ただひたすらに世界のための道具であれ!!という感覚は「わたしを離さないで」に通じるものがあると思います。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 彼女たちの間にはもちろん友情や愛情もあるんですよ。だけど、もしも私がその立場だったとシュミレーションしたときに絶望しか感じないんですよ。洗脳されているからわからないとはいえ、メタ目線でみている私には「なんてかわいそうなんだろう。」ってしかみれなかったんですよね。

いや、彼女たちは「担当官」というペアの男性がいて、彼らの関係性は「閉じ切った美しさ」のジョゼ・ヘンリエッタ組や「こんな落ちつた大人な恋愛、普通でもなかなかありえねー。すごい!!」のサンドロ・ペトラ組がいて面白いですよ。
ただ彼らの疑似的な父娘・師と生徒・兄妹・恋人のどれにも私はのれなかった。自分が彼女だとしたらと考えた時に。
これは作品自体の評価とはまったく関係ないです。(むしろ傑作)


だけど、11巻まできて一人の人物がいったセリフが価値観を逆転させます。
ある任務のために協力にきた軍警察・特殊介入部隊のサレス少佐がトリエラという義体の少女に

「ふん。やっと一人前になったな。俺の部下とお前たち。サイボーグと生身の人間…立場環境…。違いは数あるが共通点だってある。死地へ赴く使命だ。」

 

っていうんですよ。これ読んだ時泣きました。多分ちんぷんかんぷんだと思いますが、このサレス少佐のセリフではじめて私は対等に見てもらえた!!
って感覚になったんですよ。これまでひたすらかわいそうな「女の子」だった少女たちへの認識が一人の「戦士」へと変わったんです。だって、「可哀そう」って是非はともかく「上から目線」なんですよ。たとえそれが優しさからきているものだとしても。だから「担当官」達からそういう目線でみられてひどく「寂しい」という感情を持っていました。(基本的に私は上から目線も下から目線もその人との距離の幅が大きいから起こりうると思っています。)

確かにサンドロ・ペトラ組みたいな関係性の絆で救われるのも素敵ですが、ぶっちゃけ運もあると思うんですよ。相性とか。だけどこのセリフはそんな絆がなくてもただただ
サレス少佐の組織人としての職業意識からでた一人の戦士への敬意にすぎないんです。だけどすべての義体の少女達への激励でもあり、この残酷な世界で戦っていくときに「あぁ。隣に確かに同じ目線の人がいる。もう、私は孤独じゃない。」と思えたんですね。しかも彼の存在が自分を救うというのなら、また自分も誰かの救いであり希望なんだ。とストンと腑に落ちたんです。

 

そして誰からも愛されなくても自分の事を「可哀そう」だと思いながら生きるのはつらすぎる。人は思うよりも自分に同情したくない生き物で、そうならないための努力をかかさないのではないかと思います。

 

この家族でも友達でもない「プロの矜持」が救い上げていくという事は、決して「愛情や友情の絆」と対立していくものではなく、この世界で平行しておこり
補完しあうものだと思います。

なんだか、長い割りに説明下手で伝わってなさそうなんですが、もうひと作品を次の記事でかいていきたいと思います。

あ。でも多分直虎感想記事が先だ。

直虎ちゃん城主ピカピカ一年生☆法師から城主へのクラスチェンジで経験値0からニューステージ!?~おんな城主直虎13話~

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

いや、ほんと面白いですね。毎回、感想かかないぞ!!とりあえず週一ペースでブログ更新☆とか心に決めていたのに
そんな自分に徳政令(←使い方違う)です。
とはいっても軽く触れる程度であらすじとかは、とばしまくりなのであしからず。


さて、ブログの題名からもわかるように今回直虎のライフステージが、がらりと変わりました。このステージが変わるときにいままでのやり方がまったく通用しなくなるこの感覚は身に覚えがあるのではないでしょうか。

直虎は最初に「政令」を確かに安請け合いしましたが、これは彼女が「法師」であり「竜宮小僧」という目の前の人を助けることができる職にいたから無意識に口をついた言葉です。
これが為政者という立場になれば話は変わります。彼女のその有り様が悪いわけではなく、ステージが変わるとルールそのものが違うのでやり方を変えなくてはいけません。これは、ある意味では「試しの時」であります。彼女の本当に人を助けたいという竜宮小僧的なものは、本物ですか?
環境が変わってもその想いは変わりませんか?ということのです。

 

この今までの自分のいままでのやり方を解体して今立っている場所のために再構成する作業は、ものすごく大変ですが直虎なら大丈夫だろうと思わせてくれます。

それはなぜか?

まずは基本的に根が素直なので相手の意見を聞くことができます。(従うかどうかが別として)そして好奇心旺盛なので吸収力がある。なによりフットワークが
軽いのでトライ&エラーを短い期間で学習できる。こう書くと、彼女の人格形成の元となった4話の子供時代がかなり重要な描写だった事がわかります。
そんな彼女ならいけるでしょ?とかなり楽観的に見守って行こうと思います。まぁ、これらが悪いほうにいくこともあるのでいろいろやらかすだろうなぁ(笑)とは思いますが。

 

 

さて、ステージが彼女のステージが変わったことで、見向きもされなかったある男にスポットライトがあたりました。
そうです。「小野政次」です。なにやらむさくるしい「今川カルテット」を作って目が死んでますね。
そして恋敵への想いで好きな人が自分と同じ厳しい舞台に立つというところが涙を誘います。
けど恋愛偏差値が35の彼だと、直虎が城主にならないとまったく相手にされていないと思うので
「よかったねぇ。ほんとよかった。直虎・城主イベントがあってほんとによかった。」
と思います。うん。少数派の意見だという自覚はあります。
いやだって、強い政敵であるがゆえに直親への想いが強ければ強いほど「小野政次」という人間に向き合わなければならない直虎という構図
のやるせなさと美しさにまいってしまうんですよ。前の記事でも似たような事かいており、どんだけ私好きなんだろうか。

 

まぁ、政次さんの事はさておき直虎が権力を持つことを恐れている描写は地味ながらいいなと思いました。

 

「権威の言葉は魔法の一種だって知ってる。王笏の一振りは見えない何かを変える気がする」(DX by Landreaall)

 

というセリフを思い出します。直虎は俗世や政治からから離れてたが故にこの魔法の怖さをちゃんとわかっていて、だけどこれから使いこなしていかないといけない。

そんな彼女の新たな世界に一歩足を踏み入れる前のすくみや戸惑いが見えた瞬間でした。

 

Landreaall: 16 (ZERO-SUMコミックス)

Landreaall: 16 (ZERO-SUMコミックス)